真っ暗な森に迷い込む。

 ここは、光の差さない、永遠の闇。

 アラゴルンは、まっくらな森で足を止める。

 ここは、闇の世界。

 見上げても空は見えず、見下ろしても確かな地面はない。

 それは、アラゴルンの人生そのもの。

 この何十年か、ひたすら突き進んできた。

 名を変え、身分を変え。

 人間でありながら、エルフの国で育った。そ
んな奇異な人生の始まりは、すべて彼の目指すもののため。

 いつか人の王となるため。

 この世界の「希望」としての予言を受け、
生まれ、「希望」として守り育てられてきた。

 その「希望」としての命運を果たすため、ひたすら歩み続けてきた。

 そこに、「自分」はあるのだろうか。

 何のために「王」となろうとしているのか。

 

 それは、ひとえに彼女のため。

 王となった暁に、妃となるべく定められたエルフの姫のため。

 

 それさえ「運命」であるのなら、「自分」という存在は、どこにあるのだろうか。

 

 まっくらな森で、アラゴルンは目を閉じる。

 この目など、開けていても閉じていても、何も見えはしない。

 光が見えない。

 

 彼女に会いたい。

 会って、確かめたい。

 そこに、「愛」はあるのか。

 本当に、彼女は自分を愛してくれているのか。自分は彼女を愛しているのか。

(立って、エステル)

 差し伸べられる白い手は、幻影。

(さあ立って、歩くのです)

 美しい姫は、まっくらな森の見せる、幻影。

(迷わないで。私はここにいます。あなたを想っています)

 本当か、嘘か。

 どこまで行けばよい?

 どこまで行けば、想いは叶う?

 幻影の姫は、微笑むだけで応えてはくれない。

 

 まっくらな森。迷いの森。

 光はなく、希望もない。

 

 どんどんと小さくなっていく自分がわかる。

 小さく、矮小になっていく。

 力はなく、希望もなく、泣くことさえできない。

 

 安らぎは、どこにある?

 自分は、どこにいる?

 

 不安という真っ黒な重圧に押しつぶされ、アラゴルンはうずくまる。

 このまま、

 まっくらな森に潰されて、なくなってしまえばいい。

 

 王になど、なれなくていい。

 姫の手に、永遠に触れることがなくなってもいい。

 

 希望なんて名は、消えてなくなればいい。

 

 まっくらな森。

 

 まっくらな森。

 

 出口のない、永遠の闇。

 

 

 

「こんなところで、何をしているの?」

 小さな小さな子供になったアラゴルンは、顔を上げた。

「探していたんだ。わからなくなってしまったんだ」

「何をなくしたの?」

「わからない」

「キミの名前は?」

「わからない」

 名前に、意味などあるのだろうか。
今まで、たくさんの名前で呼ばれてきた。
しかし、そのどれもが「仮の名前」。真実の名前は、未だわからない。

「自分が誰なのか、わからない。どこに行こうとしているのか、わからない」

「そう。キミは闇に飲み込まれてしまったんだね? この森のように」

「この森に、光はあるの? 出口はあるの?」

「光はないし、出口もない。でも、希望はあるよ」

 希望?

 眉を寄せ、顔をしかめる。

「それはね、ボク。ボクは闇の森の希望。いつか芽吹く、緑の葉」

 

 目を見開いたアラゴルンの周囲に、光が満ちる。

 小さな子供は、大きな大人になる。

「レゴラス・・・・キミを、探していたんだ」

 アラゴルンは、目の前のエルフの手を握った。

「ボクもキミを待っていたよ」

 緑葉のエルフは、満面に微笑んだ。

 

 

 

 愛欲という名の、誘惑。

 それは、なんて心地よい。

 名を捨て、運命に背き、一匹の名もない獣になる。

 組み敷いた新緑は、魅惑的に喘ぐ。

 肉体の欲望のままに、貫き、揺さぶる。

 この生に、意味などなくてもよい。

 人の世など、闇に染まってしまえばよい。

 心の赴くままに、貪り、快楽に流される。

 

 まっくらな森で、ひたすら歩んできた道を、外す。

 

 やがてアラゴルンは、目を見開いた。

 自分の名前を思い出す。

 自分の進むべき道を、思い出す。

 まっくらな森の汚れた空気が、そこだけ清純なものに変わる。
それは、森のエルフの吐息。穢れを掃う、エルフの鼓動。

「レゴラス」

 名前を呼ぶと、そのエルフは振り向いた。

「目が、覚めたの?」

「ああ」

 にっこりと笑い、森のエルフはアラゴルンの手に口づけた。

「出口は、すぐそこだよ」

 見ると、はるか前方に、ぽっかりと白い穴が開いている。

 光、だ。

「王は裂け谷の使者をお待ちだ」

 微笑のまま、森のエルフは光に吸い込まれていく。

「早くおいで、エステル。人の希望」

「・・・ああ、今行く。森の希望、レゴラス」

 

 アラゴルンは立ち上がり、光を目指して歩き出した。

 

 まだ旅は終らない。