帰還

 

 

 

 明朝、ミナス・ティリスにあがる。

 

 それぞれの、あるべき器に戻る。

 

 しがらみのない放浪者でいられる、

 

 これが、最後の夜。

 

 

 

 レゴラスは、焚火の前でギムリと共にいた。

 ドワーフと友になるなど、この旅がなければありえないことだ。

 レゴラスにとって、異種族のギムリは、何もかも新鮮で、興味深く、
一緒にいて飽きることがない。それは、ギムリにとっても同じらしく、
時には悪態をつき、時には賞賛しあい、己の種族について誇らしげに自慢しあい、
飽きる事無く時間を過した。

 レゴラスにとって、ギムリはよき理解者になっていた。

 

 そうして、旅の終りの時間を、ふたりは退屈する事無く過していた。

 

「レゴラスの旦那、お迎えが来たようだぜ」

 そのうち、誰かが迎えに来るだろう事は、わかっていた。
エルロンドの一行が日暮前に到着したことは、小耳に挟んでいたから。

「どうしようかな。ドワーフを独りにするのは、心配だ」

 いつものように軽口を叩いてみせると、ギムリは「ふん」と鼻で笑った。

「わしは高飛車なエルフとは違うぞ。人間とも上手くやっていける。
あっちの連中が、さっきからあぶり肉とビールの臭いをぷんぷんさせてんだ。
エルフのお守りがすんだら、すぐにでもわしはビールにありつきたいね」

 そう言って、レゴラスの背中をばしんと叩いた。

「ミナス・ティリスで会おう」

 豪快な笑みを見せるギムリに、レゴラスはちょっと複雑に微笑んだ。

 

「レゴラス殿」

 背後からの声に、笑みを消してふり向く。

「お迎えにあがりました」

 そう言って、片手を胸にあて、頭を深く下げたのは

 

 グロールフィンデル

 

 その優雅な仕草は、かつての貴族、そのままである。

 まるでここが、晩餐会のホールであるように。

 レゴラスは軽く会釈をし、ギムリに目配せすると、ギムリはウインクして見せた。
そのドワーフの滑稽な表情に、緊張感も弱まる。

 ありがとう、と、唇を動かし、レゴラスはグロールフィンデルについて行った。

 

 

 

 人間の兵士たちの野営とは、少し離れた場所に、そのテントは建ててあった。
美しい布で飾られている。

 中にいる主は・・・・・・

 

 ノルドの王

 

 ゴンドリンの貴族を足元に置くことのできる、唯一の領主。

 常に背後に控えるグロールフィンデルを見るだけで、
その者の地位の高さをうかがうことができる。

 

 そのグロールフィンデルが、今はレゴラスに頭を下げる。

 

 何も言わずグロールフィンデルは、入口の布を押上げ、レゴラスを中に促し、
己はその外に立った。

 

「ご苦労であった。そなたの帰還を喜ばしく思う」

 イムラドリスの領主は、両手を広げてレゴラスを迎え入れた。

「ありがとうございます、エルロンド卿」

 型どおりに、レゴラスも丁寧な挨拶を返す。

 目をあげ、エルロンドを直視した時、レゴラスはふと身体の力が抜けていくのを感じた。

 

 本当に

 旅は終ったのだ

 

 帰ってきたのだ

 

 と。

 

「椅子にかけ、身体を休めるとよい。ワインと食事を用意してある」

 あらかじめしつらえてあった銀のトレイに、ワインのグラスと果物が載せられている。
それを見下ろし、レゴラスはわずかに苦笑した。
なんて、上品な食事。闇の森の王ならば、皿いっぱいの肉が出てくるはずだ。

「食事は、済ませました」

 断る理由を探す。

 空腹は、感じていない。

 

 今は、他の事が頭を占めている。

 

 旅は、終ったのだ、と。

 

 椅子に腰掛けることさえせずに、エルロンドをじっと見つめる。

 

 旅が終ったら・・・・・

 

 エルロンドとの最後の時間の過し方を、考える。

 

 エルロンドは、海を渡る。

 約束の地で、彼を待っている女性がいる。

 だから、

 こうして話しがっできるのは、これが最後になるだろう。

 

「レゴラス、エルフの代表として、果すべき役割を全うしてくれた。感謝している」

「感謝など・・・・」

 必要ない。

 当然のことをしたまでだ、と、用意された返事を返すこともできる。

 だが、言葉に詰る。

 

 当然のこと?

 当然のこと、なのだろうか。

 

 自分は、それを本当に望んでいたのか。 

「私は・・・旅の終りを恐れていました」

 告白するなら、これが最初で最後になる。ひとつの時代の終りと、新たなる時代の狭間。

 そしてそれを、エルロンドもまた共感していた。

「私はこれで、私が欲していたものを失います」

 その言葉の意味を、エルロンドも理解している。

「これは、君が望んでいた未来ではないのか?」

「望むものと欲するものは違います」

 視線を逸らさず、まっすぐにエルロンドを見つめる。

「私は、私が望んでいた未来を手に入れました。・・・・・光、を。
私は、今すぐ鳥になって我森に帰り、その光を目にしたい。
王の喜びの表情を見たい。森の民と喜びを分ちあいたい。
けれど・・・・・そこに私の欲していたものはありません」

 レゴラスの、欲しているもの。

 エルロンドは、胸に罪悪感を感じる。
これは・・・きっと、レゴラスが裂け谷を訪れなければ、求めることがなかったであろうもの。

「旅が失敗することを、求めていたのかね?」

 ふるふると首を横に振り、レゴラスは少しうつむいた。

「・・・・エステルが・・・・エレスサールが指輪の誘惑に負け、悪に堕落してしまったら
・・・・私は喜んで彼を殺したでしょう。
私のナイフで胸を貫き、その屍を胸に抱き、世界の終りを傍観したでしょう。
エステルは、愛する女性を失い、人の王の宿命から開放され、私の腕の中で永遠に眠るのです」

 足元を見つめるレゴラスの瞳が恍惚に潤み、唇が微笑む。
残酷な笑いを貼り付けたまま、レゴラスはエルロンドを見上げた。

「役割を全うできなかった貴方は、海を渡る事無く、闇の中で朽果てるのです」

 エルロンドの背中を、ぞくぞくと何かが這い上がる。なんて、魅力的な未来だ。

 

 もう、指輪の呪縛に囚われることがない。

 

 そこには、正義も倫理もない。

 

 種族間の諍いはなく、外交に頭を悩まされることもない。

 

 汚された本能だけの、世界。

 

 ああ、私は、暗闇の中で、若きエルフを滅茶苦茶に犯すだろう。
泣いて許しを乞う、その声に突き動かされて。

 レゴラス、お前は知っているのだ。私がどれだけの呪縛を抱えているのか。

 禁を犯す私を、グロールフィンデルが殺してくれるかもしれない。

 

(エルロンド、私はあなたを救えなかった)

 

 そう言って、涙を流すのだ。

 

 夢想に浸るレゴラスの腕を掴み、エルロンドは乱暴に引き寄せて胸にかき抱いた。

「・・・・・エルロンド卿・・・・・」

「欲望を、望んではいけない。レゴラス・・・・今ここで、お前の声で、願うがいい。
私は指輪を捨て、海を渡るのをやめよう」

 光ある世界で、たったひとり、堕ちる。

 ゆるりとあがったレゴラスの腕が、エルロンドの背に回る。

「どうか・・・・私の欲望を満たしてください。
貴方のやさしさを捨て、醜い私を喰らい尽して・・・・」

 

 夜が明けるまで、

 貴方に従属することを誓わせて