ドゥネダインの中に、ストライダーを探せ。

 雲をも掴むような話だ。
 ドゥネダインの存在は知っている。
 だが、なぜ?

 後に五軍の戦いと呼ばれる激しい戦争の後、「森へは帰らない」と王に宣言したレゴラスは、
王の言う「ストライダー」を探しに出たものの、当てのない旅に途方に暮れ始めていた。
 なぜ?
 荒野を歩く事に疲れ、木立の中に身を隠し、枝の上に座って空を仰ぐ。
 なぜ
 と、繰り返し思う。
 何が、なぜ、なのだろうか。
 王宮に閉じ込めようとする父王に対してか、
 ドワーフに恋をした良き友である(はずの)彼女に対してか。
 不満はなかったはずだ。
 タウリエルのことは、家族のように、友人として(本当に?)愛していたし、
 父も、敬愛していた。
 ため息をついて、目を閉じる。
 何が、間違っていたのだろう。

 モリニ、カエリタイ

「こんなところにエルフがいるとは」
 木の根もとの所から声がして、レゴラスは飛び起き、矢を番えた。
「敵ではない。人間だ」
 それは、まだ若い人間の男だった。両手を広げ、引きつるように苦笑している。
「………」
 レゴラスはぴりぴりと神経を尖らせ、矢の先を男も眉間からずらさない。
「何者だ」
 エルフ語で問う。
「俺はドゥネダイン。ストライダーと呼ばれている」
 ふ、と、レゴラスの力が抜ける。
 エルフ語で応えた? 人間が?
「エルフよ、あなたはどこの者だ? イムラドリスではなさそうだが、ロスロリアンか」
 レゴラスは目を見開き、男を見つめる。
 この男、なんと言った?
「エルフよ、あなたは高貴なお方のようだ。何故このようなところにおひとりで」 
 足の力か抜ける。
「?!」
 人間の男、ストライダーは、ハッとして両手を前に差し出した。
 まるで、
 矢に射られた小鳥のように、そのエルフは木の枝から落ちてきた。



 レゴラスは、爆ぜる炎をぼんやりと見つめていた。
 いつからこうしているのだろう。
 意識が覚醒した記憶がない。そもそも、気を失っていたという自覚がない。
 ただ、夜の闇にオレンジ色の暖かい炎が、ぱちぱちと心地よい音楽を奏でている。
 
 今宵は宴。
 星明りの宴。
 森のエルフ達が星空の下に集い、歌い、ワインの杯を回す。
 王は、
 森の民たちが楽しく催す宴を、何より愛していた。
 優しげに口元をほころばせて民たちを見守る王の頬を、オレンジ色の炎が照らす。
 
「…父上…」 
 自分の声に、レゴラスはやっと我に返った。
 目の前に、暖かな炎。
「?!」
 身体を起こす。と、先ほどの、あの人間の男と目が合った。
「………」
 すぐ近いところに男の顔がある。
 男は少し恥ずかしげに、気まずそうに唇を上げると、つと身を引いた。
 レゴラスは、男の膝の上で眠っていたのだ。
「気がついたか。大丈夫そうだな」
 共通語で男は言い、自分の荷物をごそごそと漁ると、そこから水の入った皮袋を出し、金髪のエルフに差し出す。
「毒ではない」
 レゴラスは男の顔と皮袋を交互に見て、不思議そうに少し首をかしげ、首を横に振る。
「共通語が、わかるか? エルフ語の方が?」
「共通語は、わかる」
 呟くように、レゴラスは応えた。
「不用意に触れたことは謝る。木の上から落ちてきたんだ。
木の葉のように軽くて…いや、エルフの体重が軽い事は知っているが、
まるで、………枯れた木の葉か、餓死した小鳥のようで………こんな言い方は失礼だが、
いや、すまない。ただ、地面に横たえておくと、そのまま本当に死んでしまいそうで」
 若い男は口ごもり、戸惑うように視線を漂わせる。
「………私は、レゴラス」
 乾いた、感情のない声が、そう名乗る。
「レゴラス?」
 レゴラスは男から目を離さぬまま、わずかに頷く。
「どこから来た? なぜそんなに憔悴している?」
 男の質問には答えず、レゴラスはただじっと男を見つめる。
「………ストライダー?」
 男の名乗った名を、口にする。ストライダーは頷く。
「あなたが、ストライダー? ドゥネダインのストライダー?」
「そうだ。俺を、知っているのか?」
「知らない」
 ストライダーは顔をしかめる。
「あなたを探していた」
「言っている意味が、わからないが」
「ストライダー、あなたを探していた」
「なぜ?」
 レゴラスは、脳裏にきらめく光を感じた。
 そうだ、彼がストライダーだ。
 地面に両手を着き、その男に顔を寄せ、よくよく観察するようにその瞳の奥を覗き込む。
ストライダーはわずかに頬を染め、のけぞる。
 運命、という言葉が思い浮かぶ。
 レゴラスは、昔に聞いた物語を思い出す。
 遥か昔の物語。エルフと人間の友情。
ベレグは、若きトゥーリンと初めてであったとき、運命を感じたという。
 これが、そうなのか。
「………レゴラス、どこから来た?」
 見つめられ、戸惑い視線を外しながら、ストライダーは問う。
「私は…流浪の者」
 もう、森へは帰れない、という思いが、レゴラスの心を深いところに引っ張る。
 だが、
 父は、ストライダーを探せと言った。
 そして、ストライダーと出合った。
 これは、新たな一歩なのだ。
 まだ、何をどうすればいいのか、わからないが。
「そう…か」
 ストライダーはもぞもぞと身体を動かすと、木の枝を持って焚き火に投げ入れた。
「俺は、南へ旅をしている。目的地は言えないが。
もし、行く当てがないのなら、しばらく一緒に行かないか。
俺は、少しはエルフについて知っているつもりだ。
エルフという種族が、肉体より精神に左右されるということも。
今の…その、きみをみていると、心がとても不安定なようだ。
属する氏族を名乗らないのも、何か理由があるのだろう? 
きみが、俺を探していたというのも、気になるが…今はまだ、何も話せないのだろう。
だから、…しばらく一緒に旅をしないか」
 レゴラスは、ストライダーを見つめる。
 不思議だ。
 一緒に旅をしないか、と? 不安そうに見あるから?
 そんなふうに言われたのも、扱われたのも、初めてだ。
 森では常に、『王の子』であったのだ。
 『王の子』であろうとし続けた。
 父たる王に服従し、民を束ね、森を守る。
 誰もが呼ぶのだ。『my lord』と。
「いやなら、無理にとは」
「ストライダー、あなたは、私の、lordか」
「ちがう。俺はきみの主ではない。俺は、誰の主でもない。俺は、きみと友達になりたい」
 Mellonと、エルフ語で発音する。
 とくん、と、心臓が鳴る。
 タウリエルが自分をそう呼んだとき、素直に受け入れがたいものがあった。
最後に彼女は、友、ではなく、主、と呼んだのだ。レゴラスのことを、『my lord』と。
 では、友、とは、なんなのだろうか。
 そんなことも、自分は知らない。
 なんてことだ。
 何でも知っているつもりだったのに、
 こんなにも、
 何も知らないのだ。
「友、とは何だ? 教えて欲しい、ストライダー」
 レゴラスを見つめ、ストライダーは苦笑する。
 ストライダーは知っている。エルフという種族を。
外見は人間に似ていても、まったく違うのだ。
だから、成人しているようにみえるこのエルフが、まるで卵から孵ったばかりの雛鳥のように、
何もわからないと言い出しても、さほど驚かない。
エルフの国の中だけで暮らしていれば、知らないことも多いのだ。
たぶん、この金髪のエルフは、高貴な出なのだろう。だからこそ、何も知らないのだ。
 自分が、イムラドリスから出て、ドゥナダインたちと暮らし始めた時、
驚くほど人間について何も知らなかったのと同じように。
「友とは…言葉では説明が難しい。そうだな、俺もまだ、わかっていないのかもしれない。
一緒に考えるのも悪くないんじゃないか」
「一緒に…?」
 しばらく考えて、ストライダーは一人納得したように頷いた。
「俺はきみに従属しない。きみも俺に従属しない。そこには何の権限も、強制も、ない。
主従関係ではないんだ。俺はきみに命令はできないし、きみも俺に命令はできない。
でも、頼みごとはできる。お願い、するんだ。俺は今、休みたい。明日も歩きたいから。
俺はここで眠るが、きみも朝までここにいて欲しい。あくまでお願いだ。従う義務はない」
 レゴラスは、ストライダーをじっと見つめる。
「私が、あなたの言葉に従うと思っている?」
「思っていない。実はな。たぶん、今俺が目を閉じたら、きみはいなくなるだろう。
それは惜しいと思うが、仕方がない。それも運命だ」
 運命…
「あなたが眠りたいなら、眠ればいい。私はここにいる。あなたと出会うことが、私の運命なのだから」
 ストライダーは首を傾げる。
「………わからないな。きみは、わからない事だらけだ。
俺がきみを理解するまで、きみはそこにいてくれるのかな」
「私の運命の先をあなたが教えてくれるまで、私はあなたといる。
………あなたといたい。許可、してくれるだろうか」
「許可など、必要ないと言ったろう? 俺はきみにここにいてくれとお願いしている。
きみは、わかったと頷いてくれればいい。そして、気が向いたときに、きみの事を話してくれればいい」
 しばらくストライダーを凝視した後、レゴラスはこくりと頷いた。
 ストライダーは、ニッと笑うと、突然レゴラスを両手で抱き、すぐに離した。
「?!」
「人間の挨拶だ」
「人間の、挨拶」
 レゴラスは自分の両手を見下ろし、おずおずと、そっとストライダーの背に手を回す。
 そして、新しいことを一つ覚えた、と、小さな喜びを感じた。



 2人の、長いたびが始まる。