あれから、二十年以上の月日が過ぎていった。

 

 ガンダルフと出会い、旅を進めるうちに、
アラゴルンには自分の取るべき道が見えてきた。

 それは、幸運だった。

 道がはっきりと見えれば、わき見をしなくてすむ。

 そんな余裕さえ、なくなる。

 ヌメノールの血筋は、彼に長寿を約束していた。

 彼にとっての二十年は、他の人間にとってその半分の意味しかもたなかった。

 

 名を変え、身分を隠し、彼はするべき事を直実にこなしていった。

 

 ローハンにも、ゴンドールにも身を置いた。

 自分が、いつか継ぐべき国だ。

 だが、彼が仕えた国王も執政も、その日を目にすることはないだろう。

 彼は、それだけ長寿を約束されていたのだから。

 

 いつしか、彼は不意に自分を見失っているような気がしてきた。

 違う名で呼ばれることに、慣れすぎてしまったのかもしれない。

 あるいは、

 まだ見えぬ未来に、疲れてしまったのかもしれない。

 どこか、休める場所が欲しいと、願い始める。

 それでもまだ、

 裂け谷に帰る事も、ロリアンに赴くことも時期尚早に思えた。

 

 そんな折、アラゴルンはひとつの噂を耳にした。

 

 谷間の国の王が、交代する。

 

 偉大なる英雄バルドは、その地位を息子のバインに譲るというのだ。

 ふとアラゴルンは思い立って、南へ向った。

 谷間の国の戴冠式を、見てみたいと思ったのだ。

 いまだ足を踏み入れたことのない、古くて新しい国。

 アラゴルンは、戴冠式の前日、谷間の国に入った。

 

 

 

 ゴンドールの後に見るその国は、小さく質素で、だが美しく活気に溢れていた。
国民は王を信頼しており、そして皆、王を敬愛していた。
王が年を取ることは、国民の悲しみでもある。
だがそれも、有限なる命を持つ人間の運命。
そしてその国の民は、王の息子で新しく王位を継ぐ男を、また愛していた。

 宿屋に泊り、戴冠式の行われる日の早朝、
アラゴルン(今はソロンギルの名で呼ばれている)は、
通りに面した窓のそばで朝食を口にした。
実り豊な国の、素朴で美味しい食事だ。それはどこか、エルフの食事を思い起される。
その証拠に、この国は闇の森のエルフと交流があることを誇りにしていた。

「昨夜はよく眠れましたか、旅の旦那?」

 宿屋の主は、にこやかに焼きたてのパンを差出した。

「戴冠式をご覧になられるなら、早く出たほうがいいですよ。
今日は国中の人が集りますからね。バルド国王は立派な方でしたが、
バイン様も、それはすばらしい方でございます。
そうだ、旅のお方、エルフをご覧になったことはおありですか?」

 話し好きの主に、曖昧に笑んで見せる。

「今日は闇の森からエルフの貴人もいらっしゃるそうですよ。
ああ、ほら、もうご到着のようだ」

 主は窓の外を指差した。

 早朝の光の中に、淡い光の雲が流れ込んできた。

 アラゴルンは、その一行を見つめた。幾度となく目にした、貴族を囲むエルフの一団。
つややかな白い馬に乗った貴族の、前後左右をその付人たちが取り囲み、
まるでたおやかな水の流れのように進んでくる。霞がかった光に守られて。

「旅のお方、貴方は運がいい! 御覧なさい、馬上のお方を! 闇の森の王子ですよ!」

 薄い森の色をした衣を幾重にも羽織り、その貴人は背筋を伸ばして前方を見つめていた。
黄金の髪は結ばれることなく流され、その戴きに春の花をかたちどった冠を乗せている。

 エルフの貴人と呼ばれるにふさわしい。

 人間たちの賞賛のまなざしの中、エルフの一行はゆっくりと王宮に消えていった。

「あのお方が、バルド様と共に戦ったレゴラス様です! 
ああ、なんて美しいんでしょう! あの御髪の一房にでも触れられたら・・・・」

 主は年甲斐にもなく顔を真赤にさせ、照れた笑いをしながら厨房に去っていった。

 エルフの一行を見つめるアラゴルンを、あの主はどう見たのだろう? 
窓の外から、冷めたパンに視線を戻し、アラゴルンはそっと苦笑をもらした。
はじめてエルフを見た旅人が、呆然喪失しているように見えただろうか? 
それはそれで、違いない。レゴラスの、あのような衣装を見たのは初めてだ。

 

 美しいエルフの貴人。

 

 彼は闇の森の王の子で、決して触れてはならぬ存在。

 そう、アルウェンと会うことが、エルロンドにより禁止されているように、
彼もまた、簡単に会うことが許されぬ王家の血を引く貴族。

(レゴラス・・・・)

 その名を、舌の上で味わう。

 何度も、何度も。

 

 結局、自分は手のとどかぬものばかりを追い求め、さ迷い歩く。

 確かなものは、何もない。

 昔は・・・・裂け谷でレゴラスとあんな別れ方をする前までは、
彼だけは自分のそばにある確かなものだと信じていた。

 

 信じたかった。

 

 他の何を手にすることができなくとも、彼だけは触れることのできる存在だと。

 

 今は、こんなに遠い。

 

 ふと、誰かの愛を確めたくなる。

 そうだ、やはりロリアンに行こう。しばしの休息を願出よう。
ガラドリエルは、迎えてくれるだろうか? 

 いや、かまわない。

 自分にはもう、失うものなど、何もないのだから。

 否、最初から、失うものなど持ってはいないのだから。

 

 アラゴルンは立ち上がり、戴冠式の行われる王宮前の広場へと向った。

 人ごみに流され、ちっぽけな旅人の気分を味わいながら。