スランドゥイルは、その部屋に入ったとき、ひとつの幻影を見たような気がした。

 一瞬足を止め、それから中央に横たわるエルフに歩み寄る。

「何をしているのだ、レゴラス?」

 最愛の息子は、ぶ厚い段通の上で、静かに横たわっていた。
その周囲に宝石をちりばめて。

 黄金色の髪に、赤や青や虹色の宝石がきらきらと光を映す。

 片手には一際大きな緑色の宝石を持ち、それを唇に押し当てている。

「レゴラス」

「考え事を・・・・」

 宝石と同じ色の瞳で、レゴラスは父親を見上げた。

「冷たくて、気持いい。こうして美しい石に囲まれていると、心が落ちつくのです」

「わしの宝物をこんなにばらまきおって。息子でなければ追い出すところだ」

 レゴラスは微笑を見せた。

 スランドゥイルはレゴラスの傍らに腰掛け、光り輝く石を拾い上げては光にかざした。

「石の輝きは、永遠だ」

「エルフの命と、同じように?」

 数々の石の中から、スランドゥイルは緑の石を選び出し、
それを横たわる息子の髪に飾る。ひとつ、またひとつと。

「陽光に映える緑の草花を愛しているのではなかったのか?」

 父に言われ、レゴラスはエメラルドを唇に当てたまま瞳を閉じた。

「いつかは枯れてしまう花々を愛するのは・・・悲しいことですね。
あの輝きをこの宝石に閉じ込めておけたらいいのに」

「有限の命を無限の中に閉じ込めたら、その輝きは偽りのものになってしまう。
石と花は交われないのだ」

 石は、砕いて花の養分を運ぶ糧となる。
そうして、人間に命を差出したエルフは少なくはない。
ベレンがルシアンと結ばれるためにモルゴスの元に赴いたとき、
彼に付従ったエルフがいた。名は何と言ったか? 思い出せない。
友情の名のもとに、そのエルフはマンドスに去った。

 友情・・・?

 それも、ひとつの愛の形なのか。

「心を乱しておるのだな。原因は誰だ? 限りある命を持つ者か」

 レゴラスは答えず、ただ冷たい石を唇に押し当てる。あの熱を、冷ますために。

「人間は、エルフの平穏を乱す。奴らは生き急ぐ。流れる時間が違う。
それだけに、永遠は刹那に魅了される。
お前はまだ、長く生きることに倦み疲れてはおらぬだろうに。それでも刹那に憧れるか」

 あの、溢れるほどの情熱に。

 情熱だけなら・・・・ノルドだって持っている。
人間とは、違う時間の流れを持ってはいても、彼らは情熱的だ。
たとえ呪いを受けても、求める宝を追い続ける情熱を。

 結局自分は、あの熱に憧れているのか。

 永遠なるモノに囲まれて、静かなときを過すより、ほんの一瞬熱い炎を燃やす、
あの種族に。

 誰に反対されようと、ノルドの国に通う理由は、・・・情熱への憧れか。

 それでも

 これほどまでに心を奪われる相手が、ノルドのエルフなら、
父に勘当されはしてもこんなに苦しくはなかっただろう。

 冷たく輝く石に囲まれて、瞳を閉じる。

『俺にはお前が必要なんだ』

 あんな燃える瞳で、そんなことを言われたら・・・・。

 でも、それでどうなる?

 心を許したところで、あの人間は、自分のものにはなりはしないのに。

 ほんの何十年か時を重ねても、永遠の別れが待っている。

 いや、それ以前に・・・。

 彼の運命は、自分と重なりはしない。

 彼の運命は、別のエルフと共にある。

 だから・・・・

 だから

「誰にも、会いたくない」

 呟いたレゴラスに、王は立ちあがった。

「しばらくここにいるがいい。宝石に埋れる事に飽きるまで。
百年もすれば、あきらめもつく」

 レゴラスが体を起すと、その髪から緑色の輝きが零れ落ちた。

「わしはこの地を愛しておる。エルフは死なぬ。
だが、たとえ約束された地であろうと、愛する森を離れ、
魂だけが去っていくことは、わしにとっては死と同じ意味だ。
去る者はよい。残された方が辛い。お前には、まだわからぬだろう。
アマンでの再会を約束した者が、なんと多いことか。
そして、その約束はいまだ果されぬ」

「どちらにしても、失う辛さに違いはないのでは? 
僕が、ここでほんの少しの間目を瞑っていれば、人間は死んでしまう。
熱に焦れて燃え尽きるより、後悔の悲しみに沈んでしまった方がましだと?」

「人間を、愛しているのか」

 はっとして、口を閉じる。王は、あきらかに嫌悪の表情を見せた。

「いいえ、いいえ、父上、どうかご理解ください。父上を愛しております。
父上を悲しませるようなことは・・・・」

「何を今更」

 ふいとスランドゥイルは背を向けた。

「勝手にイムラドリスへ通い、余計なことばかりしておるくせに」

「違います、父上!」

「違わぬ。お前がここから出る事は許さぬ。わしの許しが出るまで、
ここで頭を冷すのだ。人間のことはあきらめろ。いいように利用されるだけだ。
奴らの愛は不確かで揺るぎやすく、汚れた欲望に満ちておる」

 汚れた欲望・・・・?

「汚れた欲望なら、エルフだって持っております! 
ドリアスの滅亡だって、エルフの持つ汚れた欲望が招いたこと」

 また、言いすぎたことに気付いてレゴラスは口をつぐんだ。

 口に出してはいけない、シンダール王家の傷。

 レゴラスは両手を口元に当て、うつむいて目を閉じた。

 父を傷つけることが、・・・何よりも辛かった。
そんな自分を、許せないと思った。

 ほんのひとときの感情にまかせた情熱の幻影と、深い傷を持つ父への愛とを、
秤にかけるなど愚か過ぎる。

 許しを請うこともできず、震えながらうずくまる。

 どうか私に、罰をお与えください、と。
暗い地下牢に、百年でも閉じ込めてください。
そうすれば、おのずと頭が冷えるでしょう。

 かたく閉じた瞳の奥に、レゴラスは光るものを感じてそっと顔を上げた。
目の前に父が跪き、息子の顔を見つめている。

「・・・・悲しみの果てに、何がある?」

 父の声は、心の一番深いところを貫いた。

「愛する心を、責めはすまい。迷いを断ちきれと言っておるのだ。
永遠に憧れる気持を、捨てられぬのならあきらめろ。よく考えるのだな。
失うとわかっているものを愛するというのが、どういうことなのか」

 そう、自分はまだ、本当に愛するものを失ったことがない。

「父上・・・・」

 決心をつけろ。揺らいだ心のまま、再びあの人間と会うことはできない。
一時の感情に流されてしまっては、後悔を悔いることさえ叶わぬのだ。

「父上、キスを・・・してくださいますか?」

 スランドゥイルは、そっと息子の額に唇を寄せ、そして部屋を出て行った。

 

 はたして、自分に迷いを断ちきることができるのであろうか?

 

 父の唇の感触を確め、レゴラスはまた目を閉じて横たわった。

 

 永遠なる愛を、自分は捨てられるのだろうか・・・?