会議の内容は重苦しく、レゴラスの立場は辛いものであった。

 サウロンが力を付けてきたことは明白であるのに対し、
闇の森は沈黙を続けているからである。
スランドゥイルは一貫して、傍観の立場を崩そうとしない。

「スランドゥイル王は、己の利益になることしか興味がない」

 顧問からそう責められもした。

 レゴラスには王の決定を覆す力はなく、父に背くつもりもない。

 ノルドールとシンダールの確執は深く、レゴラスはただ沈黙するしかなかった。

 思慮深いエルロンドはレゴラスの立場を理解しており、
決して責め立てることはしない。レゴラスも、そんなエルロンドを尊敬していたし、
それは救いでもあった。

 エルロンドにしてみれば、レゴラスは己の子供たちより若いのだ。
気を使い、よくしてくれている。もしエルロンドに協力を申し込まれれば、
レゴラスは個人的には従うつもりでいた。

 今回、エルロンドはスランドゥイルの意向を確めるだけでよしとしてくれた。

 冥王との決戦は、今すぐはじまるわけではない。

 長い長い戦いの、ほんのはじまりに過ぎない。

 会議にはアラゴルンも同席を認められ、人間の王の末裔として参加してはいたが、
発言権は今だないようであった。アラゴルン自身、まだ自覚は薄い。
長年を生きるエルフにしてみれば、本当の名を告げられて数年しか経っていない彼は、
子供も同然なのだろう。それに、アラゴルンはまだ、実績をあげていない。

 

 

 

 夜、レゴラスはアラゴルンの私室に来ていた。
保護されているときから与えられてる部屋は、彼が谷を出たあともそのままにされており、
時折帰ってくる彼の安らぎの場所となっていた。
そこは、レゴラスにとっても馴染み深い場所となっていた。
エステルは、来客であるレゴラスになぜかよくなつき、
自分の部屋に招き入れて夜通し語らうこともあったのだ。

 レゴラスはいつものように開け放たれた窓辺に座り、
エステル(今はアラゴルンの名で呼ばれている)の言葉に耳を傾けながら、
遠い星空を眺めていた。

 アラゴルンは、この数年に起ったこと、特にアルウェンとの出会いを情熱的に語った。

「レゴラス、お前も俺が自分の立場をわきまえないうつけ者だと思うか? 
エルフの姫に恋をするなど」

 星空を眺めるレゴラスの表情は、アラゴルンには伺えない。
レゴラスは何も答えず、ただ顔をそむけている。

 その心内は、複雑に渦巻いていた。アラゴルンとアルウェン嬢の噂は耳にしていた。
当初の驚きとショックも、今は薄れてしまっている。
なぜショックを受けたのか、自分でも理解しがたい。人間がエルフに恋をするなど、
遠い昔の恋の歌とばかり思っていたからか。
小さなエステルが、もう恋をする年齢になってしまったからか・・・。
手の中の小鳥が、大空に飛立ってしまうからか。

「レゴラス?」

「聞いてるよ」

 そう答えながらも、アラゴルンの表情を直視できない自分がいる。

「僕に聞かれても・・・わからないよ。僕は、恋などしたことがないもの」

「本当に? 何百年も生きているのに、一度も?」

 恋をしたことが、本当に一度もなかったか? 自問してみる。
そもそも、恋とはなんなのか? 父を尊敬しているし、自分の種族も国も愛している。
同じ意味で、歌も森も光も。
エルロンド卿は? 敬愛しているし、彼に触れることは不思議な温かみを感じさせてくれる。
でも、アラゴルンの言う恋とは違う。彼を自分のものにしたいなど、微塵も思わない。

「キスも? 体を重ねることも?」

 無意識にレゴラスは振向き、アラゴルンを見つめた。
彼は真剣そのものだが、自分はアラゴルンの言っている意味を理解しかねていた。

「つまり・・・レゴラス、家族や子供にするようにではなく、
心の底から触れ合いたいと思うこと・・・」

 アラゴルンは、レゴラスが理解していないことを悟った。
谷の大半のエルフがそうであるように、人間のような肉欲をレゴラスは知らないのだ。

「子供を作る行為の事?」

 アラゴルンの口元が引きつる。レゴラスには、そういう解釈になるんだ?

「・・・まあ、そうだ。そう思う相手が、今まで一度も現れなかったのか?」

 ここに来て、はじめてレゴラスはクスリと笑った。

「ないよ」

 アラゴルンが小さな溜息をつく。

「じゃあ、俺の話はばかげて聞えるだろうな」

 一目見たときから、運命を感じるなんて。
だが、意外にもレゴラスは深く悲しそうに笑んだ。

「・・・・そんなことはないよ、エステル・・・アラゴルン。
理性に反して感情が引きずられることはある。自分ではどうしようもないほどにね」

 レゴラスの答えは、アラゴルンの予想外だった。アラゴルンの胸が、ちくりと痛む。

「そういう相手が、いるんだ?」

 言葉に出さず、レゴラスの瞳の色が肯定する。

「誰だ?」

「言えないよ」

 アラゴルンはレゴラスに歩み寄り、ぐいっと顔を寄せた。

「言えよ」

「だめ」

 鼻先が触れ合うほどに、顔を近づける。

「・・・谷間の国の王、か?」

「何でそう思うの?」

「足繁く通っているそうじゃないか。ここに来る前も。
闇の森の交易のためと顧問に説明していたよな? 
でもそんなこと、王子のすることじゃない」

 何故そんなに真剣に見つめる? レゴラスはこみ上げる感情を押し殺し、唇をつり上げた。

「そうだね、個人的な理由がなければ、エルフ王の子が人間の国に行く必要はない」

 アラゴルンの表情が、青ざめたように見えた。
体を離したアラゴルンは、部屋の反対方向まで歩いて行き、壁にもたれた。

「どうしたんだい、アラゴルン? 君の『恋の相談』じゃなかったの?」

 意地悪な質問だ。わかっているのに。

 アラゴルンは、ぎゅっと拳を握り、レゴラスのところに戻ってきた。
乱暴に肩を掴み、不器用に唇を重ねる。
何が起ったのかわからず、レゴラスは目を見開いた。
熱く湿った感触を残して、アラゴルンはすぐに唇を離した。
そして、首筋に抱きつく。まるで、子供の日のように。

「・・・どうして・・・お前は俺だけを見てくれないんだ?」

「何を・・・言っているの?」

「お前はエルフで、俺は人間で、お前は自分の国を持ち、俺は持たない。
立場の違いなんか、身にしみてわかってる。お前が恋を知らないなら許せる。
だが、俺以外の人間に目を向けることは許せない」

 低く呟くアラゴルンの声に、また心がゆすぶられる。

 幼い頃から、彼は何度も何度も繰り返した。

(一緒にいてよ)

 幼い要求は、彼が大人になっても変らないのか?

「バルドは奥さんも子供もいて、自分の家族と国を愛している。
恋の相手にはなりえないよ?」

「関係ない。好きに思う感情に弊害なんかない。
レゴラス、お前が好きになる人間が、なぜ俺ではならないんだ?」

 エステル、君が恋をするエルフが、何故僕ではないの?

 そんな言葉が、浮んで消える。

 ああ、僕は君が好きなんだね・・・・。

「エステル、大人におなり。君はエルフの姫に恋をしている。
そして、僕は君のおもちゃじゃない。僕は君のものではないんだよ」

 

 もし・・・・

 彼がアルウェンと出会わなかったら?

 彼の情熱の全てが、僕に注がれていたら・・・・?

 

 僕は、彼のものになっていただろうか?

 

 いずれは死を迎える人間に、

 心の全てを許していただろうか?

 

 若いアラゴルンの瞳に、情熱の炎がちらちらと映る。

 それは、怒りと、苛立ち。

「俺が・・・お前を自分のおもちゃのように扱っている、と?」

「そうだよ、アラゴルン。自分でもわかっているはずだ。
君は女性に恋をしていながら、僕を所有物にしたがっている」

 ギリッとアラゴルンは歯軋りをして、レゴラスから体を離した。

「わかっていないのはお前の方だ。俺はお前を必要としている。
アルウェンに対してとは違う気持で」

「じゃあ、言い方を変えるよ。アラゴルン、僕は君の保護者じゃない」

 ぎりぎりと歯軋りをしたまま、アラゴルンは背を向けた。
自分の気持に整理がつかないのか。上手く伝えられない苛立ちに、小刻みに肩が震える。

「・・・・レゴラス・・・ずっと思っていて、言わなかったことがある。
言うべきじゃないと。でも、今はっきり言っておく。俺は・・・お前を抱きたい。
肌を重ねたい。愛し合いたい。言っている意味は、わかるだろう? 
子供を作ることはできないが、そういう愛し方をしたい。俺は、強欲なのか?」

 レゴラスはアラゴルンの背中を見つめ、視線を夜空に移した。

 

 胸が、痛い。

 

「少し、頭を冷した方がよさそうだね。お互いに」

 そう言って、立ち上がり、部屋のドアに向う。

「レゴラス!」

 うつむいて叫ぶアラゴルンのそばを通るとき、レゴラスはそっと彼の髪に触れた。

「行かないでくれ」

 ドアの前で立ち止り、振向く。

「嫌われたくない・・・お前を・・・失いたくない」

 レゴラスはかすかに微笑み、エルフ語で静かに呟いた。

「嫌うことなんて、できないよ。一時の感情に流されたくないだけ」

「・・・愛しているんだ」

 同じエルフ語で、アラゴルンも呟く。

「知ってるよ。僕も、同じ気持だから」

 レゴラスは静かにドアを開け、そして出て行った。