そして、また月日が流れてゆく。

 

 レゴラスは、谷間の国を訪れていた。

 たぶん、これが最後になるだろうと思いながら。

 谷間の国では、新たなる王の戴冠式が行われていた。

 人間というのは、こうも短い間に年老いてしまう。

 だがそれは、悲しみではない。

 彼らの希望は、常に次の世代へと受け継がれていくのだから。

「ブランド、立派な王におなり」

 バインの息子に、レゴラスはにこやかに微笑んで見せた。

「僕は、バインに別れの挨拶をしてくるよ」

 新たなる王と別れ、年老いたバインの部屋に足を向ける。
彼は窓辺の椅子に座り、明渡した己の国を眺めていた。

「レゴラス様、どうかこのまま話をすることをお許しください。
この頃は、立っていることも苦痛なのです」

 皺の刻まれた手を、力なくもちあげる。
レゴラスはバインの傍らに立ち、その手にそっと触れ、楽にするように促した。

「貴方様を見ていると、本当にエルフは年を取らないのだと実感します。
人間とは、異なる種族であると」

 年老い、死を間近に感じながら、変らぬ美しさを保つエルフの王子を見上げる。

「僕も、そう思うよ。目の前で、生まれ、育ち、死んでゆく。不思議だね」

 レゴラスの瞳は、人間を哀れんでいるようにも、己を悲しんでいるようにも見える。

「昔、父バルドから聞いた事があります。遥か西方、海の向うにエルフに
約束された永遠の地があると。今、多くのエルフが海を渡り、
このミドルアースに残ったエルフは数少ないと。
レゴラス様、貴方様もいつかは海を渡るのですか?」

「・・・・そうだね」

 レゴラスは、窓の外、見えることのない海を遠く仰いだ。

「たぶん・・・人間に、さようならを言う事に疲れてしまったら、僕も海を渡るだろう」

 最後にさようならを言う人間は・・・・もう決っている。

 同じ窓の外を眺めていたバインは、急にクックと笑い出した。
何事かとレゴラスが振向く。

「今なら・・・・お別れを言う今なら、告白してもかまわないでしょう」

 顔を上げたバインの瞳は、少年のように煌いた。

「私は、貴方様を慕っておりました。ええ、幼い日、貴方様に出会った頃から。
叶わぬと知りながらも、密かに貴方様を求めていたのです」

 少し驚いたようにレゴラスが瞳を見開く。

「愚かな人間とお笑いになるでしょう。今日この日を迎えるまで、
私はそんな自分を肯定してきたのです。しかし、夢は夢。
私はこんなに老い、貴方様は美しいまま。やっと、あきらめがつきました」

 バインの言葉が、胸に刺さる。レゴラスは笑み、膝を落した。

「バイン、貴方の人生は、幸せでしたか?」

「はい。美しい妻と、聡明な息子。これ以上の幸せがあるでしょうか」

「よかった」

 皺だらけで骨ばった指に、レゴラスはそっと唇を寄せた。

「貴方は賢明だよ、バイン。人間にとってエルフは月や星のようなもの。
僕は、貴方の誠実さを胸に刻み付けましょう」

 年老いた少年は、僅かに頬を赤らめた。

「・・・人間とエルフが結びつくことは、あるのですか?」

「あるよ」

 応えてから、考えをめぐらせる。

「でも・・・それが幸福なのかどうか、僕にはわからない。
そうだ、昔の歌を歌ってあげよう。エルフの姫に恋をした人間の男の話。
ルシアンとベレンの哀しい恋の歌」

 

 

 

 従者を連れて、谷間の国を出たとき、レゴラスは国境の木の下で
パイプをふかす人影を見つけた。従者をそこで待たせ、その二つの影に近づく。

「ガンダルフ、ストライダー、こんなところで何をしているのですか?」

 年老いた方がレゴラスを見上げ、ニッと笑う。

「ゴラムというものを探しておる」

「ビルボの・・・指輪がどうとか言う?」

「そうじゃ」

 レゴラスは片手を口元に当て、しばらく考えてから首をひねった。

「そのものがもし悪しき力に犯されているものだとしたら、
こんな北の方にまでは来ないでしょう。今はまだ」

 ガンダルフはパイプを一吸いした。

「そうじゃな、やはり、そう思うか」

「それより、こんなところまでいらっしゃるなら、
スランドゥイル王の宮殿に寄ってくださればよかったのに。
王の方が情報に詳しいですよ。それに、あなたがいらっしゃることを楽しみにしています」

 ガンダルフはパイプの灰を落し、高らかに笑って見せた。

「もちろん、そのつもりじゃ。一寸足をのばしただけじゃ。
しかし疲れたな。レゴラス、お前さんの馬を借りて、一足先に宮殿に行っておる。
ついでに従者も連れてな」

 とても疲れているようには見えない足どりで、
ガンダルフは待たせてあったレゴラスの従者に歩み寄り、その白い馬にひらりと飛乗った。

「あとからゆっくり来い。ストライダー、闇の森で会おう」

 手を振る代りに杖を振り、ガンダルフは街道を下っていった。

 残されたレゴラスが、きょとんとその後姿を見送る。

「相変わらす、よくわからないヒトだね」

 腰をおろしてパイプをふかしていたアラゴルンは、腹を抱えて笑いを押し殺していた。

「わからないのはお前の方だ、レゴラス」

 立ちあがり、泥をはらう。

「せっかく気を利かせてくれたんじゃないか」

「?」

 くすくすと笑いを押し殺しながら、アラゴルンはレゴラスの背に腕を回した。

「何年ぶりだ、お前に会うのは?」

「さあ。人間の月日の数え方は、わからない」

 とぼけているのか、本当にわからないのか。
アラゴルンは首を横に振りながら、背に回した腕に力を込めた。

 久しぶりに感じる、熱。

 煙草と、汗と、血の匂い。

 レゴラスは目を閉じ、彼の冷めることのない情熱に溺れた。

「・・・・会いたかったよ、エステル」