人間とは、

 うつろいやすく狡猾で、

 情熱的であるがゆえ、

 いずれ命の灯火を消す。

 そんな種族。

 

 小さな種が、よい土壌で芽を出し、溢れんばかりの生命力で育ってゆき、
花を咲かせて実を結び、子孫を残して枯れ朽ちる。

 人間とは、そんな種族。

 

 目の前で繰り返されるいとなみ。

 

 そんな種族を尊敬こそすれ、

 そのいとなみに交わろうとは思わない。

 

 彼らは、

 異種族、なのだから。

 

 

 

新しく再建された谷間の国に、そのエルフは度々訪れていた。
闇の森の交易は、相変わらずエスガロスと行われていたが、
年々その量は谷間の国に奪われていった。
なぜなら、谷間の国の王はスマウグを倒した英雄であり、
また闇の森のエルフ王とも顔見知りで、お互いを信頼しあっていたからである。

「今年は山の斜面に日が当り、質のよいブドウがたくさん取れました。
上等のワインがどっさり作れるでしょう」

 谷間の国の王バルドは、訪れたエルフの貴族ににこやかに告げた。

「しかし、レゴラス殿が直々にいらしてくださるとは、珍しい。
どれくらいぶりになりますか」

 自分では度々訪れているつもりでも、
人間にしてみれば何年という月日が経っていることに、ふと気付く。

「・・・そうかな? そうですね。
久しぶりに人間の国を見たくなったんですよ」

 バルドは年齢の刻まれた顔で、うれしそうに笑って見せた。

「私も貴方に会えてうれしく思っています。・・・最近はよからぬ噂を耳にするもので、
少々不安に思っていたところです」

「滅びの山が火を噴いた・・・ことでしょう?」

「ええ」

 バルドは、遥か北方を仰ぎ見た。ここからでは見ることができないが、
そのうわさは中つ国を恐怖に陥れた。

「国の外でオークの姿を度々目にしますし、東夷のうわさも耳にします。
自分がもし、エルフのように年をとらなかったら、そう思うときもあります。
この腕でこの国を守り抜きたい、と。しかし、今すぐならまだしも、
これから先十年二十年先となると、自分の体力に不安を感じます。
十分な兵力は育てているつもりです。それでも・・・私が年老い、
死した後の国の行く末を思うと、心が沈みます」

 年を重ねたバルドの横顔を、年を取らないレゴラスは神妙な面持で見つめた。

「・・・バルド・・・」

 精悍な顔立ちは、少しも衰えていないのに、忍び寄る老齢に恐れおののいている。

「スランドゥイルは、この国を見捨てたりはしませんよ。
己の国と同じように、王はこの国を守ってくれるでしょう。もちろん、僕も。
少しは、慰めになりますか?」

 年老いた英雄は、ほくそえんでレゴラスを見た。

「それは・・・心強いです。どうか、私亡き後も、この国を見守ってやってください」

「必ず」

 バルドの表情が緩み、やっと思い出したようにテラスの椅子をレゴラスに勧めた。

 この国の王宮は、派手でも豪華でもないが、確固たる護りの砦として作られていた。
いつでも四方が見渡せるように、高い見張り塔の周りをぐるりとテラスが囲んでいる。
その西側のテラスがバルド王のお気に入りで、
親しい者との会談は、たいていそこで行われた。

「ところで、レゴラス殿はなにか用がおありなのではなかったですか?」

 椅子に座り、レゴラスはぐるりと周囲を見渡した。
王宮の足元に、人間たちの町があり、そこは活気が溢れていた。

「特に用というものは・・・」

 言いかけて言葉を止め、王宮の下で行きかう人間たちを見つめる。

「・・・いえね、時々、人間というものがわからなくなるのですよ」

 バルドも同じ人間の町を見下ろす。

「人間にとってエルフが神秘的な種族であるように?」

「そうかもしれない。だけど」

 続ける言葉を探す。

「何か悩みでも?」

 察し深い人間の王に指摘され、曖昧に口元をゆがめる。

「いえ、バルド、あなたに会って安心しましたよ」

 何のことかと首を傾げる人間の王に笑いかけ、レゴラスは人ごみに視線を戻した。

 そこにあるのは、人間のいとなみ。エルフが手を貸し、協力することはあっても、
決して交わることのない、人間の世界。本来あるべき、人間の姿。

 二人はしばらく無言で街並を眺め、そしてレゴラスは帰り際にバルドと握手をかわした。

 人間の体温は、その胸のうちの炎のように熱く、そして、触れるたびに隔たりを感じる。

「レゴラス殿」

 バルドは声を落し、他のものに聞えぬように僅かに顔を寄せた。

「・・・・人間の、真の王が見いだされたと聞きます。そのうわさは本当でしょうか? 
それとも、単なる希望に過ぎないのでしょうか」

 レゴラスは唇を結び、しばらく考えた後に、更に声を落して答えた。

「真の王の出現は、僕には予言できませんが、『希望』は確かに存在します」

 それを聞いたバルドの表情は、安らいだかのように見えた。

 レゴラスはバルドに別れを告げ、谷間の国を去り、その足で裂け谷へ向った。

 滅びの山が噴火したことにより、エルロンドの会議が召集されたのだ。
レゴラスは、闇の森の使者である。
もっとも、使者を送ることさえスランドゥイルは快く思ってはいないのだが。

 

 

 

 人間とエルフは、どんなに信頼しあっていても、一線を引いた関係を保っている。
たとえば、谷間の国の王バルドと自分のように。彼らに、心乱されることはない。

 なのに・・・。

 あの人間は違う。

 どこが違うというのか。

 エルフの中で育てられたせいか、人間とエルフの隔たりを、まるで自覚していない。

 そして

 そんな彼に、心が揺れ動く。

 それは、不安。

 同じエルフという種族の中でさえ、
自分は誰かに執着(人間はそれを恋と呼ぶ)することがないのに、

 気がつくと、
その人間の子供(ちょっと目を離しただけで、驚くほど成長してしまったが)に、

 不可解な感情を抱いている自分に気付いて、狼狽したりする。

 だから、本来あるべき関係を保っているバルドと会って、心を落ちつかせたかった。

 裂け谷へ向う前に。

 

 

 

「ずいぶん遅れたな。闇の森は使者を送ることをやめたのではないかと、
顧問たちが噂をし始めたところだ」

 自分を出迎えたその男の顔を、レゴラスはじっと見つめた。

「・・・エステル?」

「今は、アラゴルンの名で呼ばれている」

 何年会っていなかったのか? 少年は、また背が伸びて、
今ではレゴラスと同じ視線の高さになっていた。

「ああ、アラゴルン。見違えたよ」

 口元で笑んで見せるが、どこか笑えない。

「エルロンドがお待ちかねだ」

 昔のように、飛びついて抱きついたりはせず、その青年は静かに前を歩き出した。

「アラゴルン、谷を出たと聞いたけど?」

「たまには帰ってくる」

 振向き、アラゴルンはレゴラスに顔を寄せた。

「それとも、俺に会いたくなかった?」

 情熱的な灰色の瞳で見つめられ、思わずたじろいてしまう。
そんなレゴラスに、アラゴルンはふっと鼻で笑った。

「迷惑そうだな」

「・・・そんなことないよ。僕も君に会いたかった」

 嘘ではない。戸惑いと不安が、多分に含まれているとしても。

「夜、ゆっくりと話をしよう。とりあえずお前をエルロンドのところに連れて行かないと、
顧問たちに叱られるからな」

 背を向けたアラゴルンが、静かに歩き出す。

 その背中に、レゴラスは年々募っていく不思議な感情を押し殺した。