指輪を滅ぼす一行は、ロリアンを旅立っていった。

 ガラドリエルからの祝福と贈物を受けて。

 願わくば、彼らに幸運を。

 森の中で、船に乗る彼らを密かに見送りながら、ハルディアは祈った。

 

 その前日、ハルディアは一揃えの矢をレゴラスに送った。シルヴァンの力を込めた矢。

「いずれ人間は、その寿命を終えるでしょう。
その後、あなたはどこに癒しを求めるのですか?」

 美しいロリアンの森で、レゴラスは無言で遥か西方を眺めた。

「・・・・シンダールの血が、僕を海へと誘う。人の王が、僕をこの地に留めている」

 やがては誘惑のままに・・・。

 ハルディアはレゴラスの端正な横顔を見つめ、そして口元で笑んだ。

「レゴラス殿、あなたの情熱は、己で決めた限られた時間をこの地で過すためのもの。
だから恐れをなさないのですね」

 振向いたレゴラスは、哀しげに見えた。

「ご武運を」

 矢を手渡すと、レゴラスはそれを愛しそうに撫で、ハルディアの額にキスをした。

 

 

 

 それから、裂け谷からの使者が頻繁にロリアンに訪れるようになった。

 常に臨戦態勢を整えておくように。

 

「ハルディア」

 ケレボルンは、彼を呼びだした。旅の一行が出て行ってから、何日もが過ぎていた。

「イムラドリスからの正式な要請がありました。ローハンにエルフ軍を送ります。
指示は随時イムラドリスから送られるでしょう。
ロリアンの兵の指揮を、あなたが取ってください」

「仰せのとおりに」

 ハルディアは頭を下げた。

「ハルディア、そなたに言っておかねばならない事があります。
・・・・・あの最後の連合の戦いで・・・
ギル=ガラドは決してシルヴァンの軍を見捨てたわけではありません」 

 重苦しい言葉に、頭を下げたままハルディアは目を伏せた。

 

 言葉では、なんとでも言える。

 あなたは、あの戦場には居られなかったのだから。

 

「今一度、手を組むことに、同意してくれますね?」

「それがケレボルン様のご意志なら」

 下げた頭を上げられない。渦巻く心内を見透かされそうで。

 ケレボルンの溜息は、悲しみの吐息のように、ハルディアの耳に届いた。

「・・・・私は、間違っていたのでしょうか、ハルディア? 
アムロスの意思を継ぐことはできなかったのでしょう。
否、アムロスがこの地を去って、ロリアンの運命はもう終っていたのかもしれません。
私を・・・ガラドリエルを、許してもらえますか?」

 ハルディアは顔を上げた。

 古のエルフ、力あるシンダールの正当な王族の末裔は、顔に疲れの色を見せていた。

ハルディアは、自分の表情が優しくほころぶのを感じた。

「いいえ、ケレボルン様。ロリアンの運命は終ってはいません。
あなた様がこの森をお見捨てにならないかぎり。ガラドリエル様のご寵愛が続く限り」

 ロリアンが終るのではない。ミドルアースでの、
エルフの時代そのものが終りに近づいているのだ。
ケレボルンは瞳に光を取戻し、かすかにその身を発光させた。

「私も、再び剣を持つときが来たようです。私は私の運命が続く限り、
このロリアンの森を守り、戦いましょう。
その後、スランドゥイルとも話合いを持つつもりです。
彼はね、ハルディア、強情で短気だが、陽気な優しい若者でしたよ」

 共に時を過した、メネグロスでは。

「エルフの楽園を願しオロフェアの意思を継ぐもの。
スランドゥイルは守り、レゴラスは攻めいる。
どうか、我らが緑の若葉を守ってやってください」

 ハルディアは、もう一度頭を下げた。そして、戦いの装備を整えるために出て行った。

 

 ハルディアが去ったあと、たたずむケレボルンの隣に、そっとガラドリエルは近づいた。

「わたくしは、本当にこの森を愛しておりますのよ」

 ケレボルンは、愛すべき妻の手をそっと握った。

「わかっている」

 あまりに多くの光と影を見てきた上のエルフは、夫の肩に頬を乗せた。

「だが私は、お前と共に海を渡ることはできない。許してくれるか」

 目を伏せる程度に頷き、ガラドリエルは囁いた。

「あなたの帰りを、遠きアマンの地で待っております」

 

 

 

 戦場に向う、張詰めた空気を感じながら、ハルディアは遥か前方を眺めた。

(あなたは、ノルドを恨んではおられぬのですか)

(エルロンド卿は、すばらしい方ですよ)

 そう言うレゴラスに、陰りはなかった。

(許しは愛です。愛を忘れては、守るべきものを守り抜くことはできません)

「もう一度、あなたの唇に触れたかった」

 唇の中で呟き、ハルディアは戦場に向った。

 

 再び、あなたに会えるだろう。エルフの、約束された地で。

 そのときは、もっとゆっくり話をしよう。

 目に映る、美しい全てのことを。

 優しさと、慈しみを持って。