ガラドリエルとの謁見も済み、食事と寝場所も与えられた。

 肉体的にも精神的にも、疲れきった一行は、すぐに眠りにつくだろう。

 ボロミアの態度は気になるが、良きにつけ悪きにつけ、
彼を慰め導けるのはアラゴルンだけだ。
お互いにその運命に抗おうとしても、それが現実のなのだから。

 レゴラスは、その男の寝所へと急いだ。

 

 ひとつ深呼吸をして、その男の私室ともいえるフレトへと上っていく。

 とても静かなところだ。他の多数のエルフたちの寝床とは、離れている。
多分それは、その男に与えられた特権だ。
少なからず地位のある者であることはわかっていた。

「本当に、来るとは思っていませんでしたよ」

 レゴラスの姿を見る前に、その男は言った。

「約束でしたから」

「ガラドリエル様に会って認められたのですから、そんな約束守る必要もないでしょう」

 レゴラスは立ちすくんだまま、背を向けて座り、弓の手入れをする男を見つめた。

 

 この男に、約束という言葉にどれだけの意味があるのだろう?

 それは、戯れという言葉と同じ意味なのか。

 

「僕は、自分の言葉に責任を持ちます。たとえ、些細な口約束でも」

 ハルディアは弓を磨く手を止め、レゴラスに振向いた。

 その鋭い眼光は、まるで他者を信用していないようだ。

 レゴラスは無邪気とも取れる仕草で部屋の中を見回し、ポツリと呟く。

「何もない」

 エルフが好む、美しい装飾の施されたタペストリーや、彫刻や、宝石。
そんなものの置かれていない部屋は、無機質で冷たい。

「ここに帰ってくることは、ほとんどありませんからね」

 彼は、辺境警備の責任者だ。

 レゴラスはハルディアを見定めるように見つめた。

「・・・・あなたは、最後の連合の戦いに参加したそうですね?」

「どうしてそれを?」

「ここを探す間に、おしゃべり好きのロリアンのエルフから聞きました」

 あの戦い。

 思い出しただけでもぞっとする。

「ハルディア」

 レゴラスは、ハルディアの前に跪いた。

「あなたの意図を当ててあげましょうか? 
あなたは僕に性的興味があるわけじゃない。
モルドールに向う僕に、どれだけの価値があるのか知りたいだけ。違いますか?」

 唇をつりあげ、挑発的に微笑むレゴラスに、ハルディアは目を細めた。

 たいそうな自信家だ。

「さあ、どうでしょう」

 目の前の端正な顔に、指をのばして触れてみる。レゴラスは、表情を変えない。

「確かに、私はあなたにどれだけの価値があるのか知りたい。あらゆる意味を含めて。
あなたのような若くて経験の浅いエルフが、なぜ指輪所持者を守る使命を受けたのか。
それを遂行できるだけの価値が、本当にあるのか。
あなたにどれだけの覚悟があるのか」

 頬を指でなぞられながら、レゴラスがほくそえむ。
ハルディアの言葉に、意外性はない。

「父を、スランドゥイルを深く傷つけ、恐怖の闇に陥れたモルドールに、
立ち向うだけの勇気が僕にないと?」

「恐れをなして足をすくめてしまっては、与えられた使命は遂行できず、
失敗すれば世界は終ってしまうのですよ。レゴラス殿。
その重荷を引き受ける覚悟が、どれだけあるのですか?」

 純朴なホビットを守り、誘惑にうつろいやすい人間を導きながら。

「確信が欲しいのなら、ハルディア、僕に試練を与えてみるといい。
僕は、腕の一本も惜しくはない。
でも、ここであなたにそれをくれてやるわけにはいきません。
あなたの思いつく、他の試練を口にしてみなさい」

「どんな屈辱的なことでも?」

「この旅が失敗する以上の屈辱など、僕にはない」

 意思の固さが、瞳の色に表れる。ハルディアにとって、それは十分な答えであった。
頬を撫でる指を引き寄せ、体を離す。

「私はあなたに、あなたの肉体の持つ情欲を差出せと命ずるでしょう。
でも、あなたはそれに従う義務はない。
あなたはスランドゥイル王の息子で、エルロンド卿に認められた者なのですから」

 肉体に触れる指が離れたことに、レゴラスはほんの僅か安堵の吐息をつく。
ハルディアはそれを見て取った。

「無理はおよしなさい。あなたのプライドは、心の弱さを隠しているに過ぎない。
私があなたをどう思おうと、あなたには関係のないことです。
私は、力ある王でも指導者でもないのですから」

 それは、優しさではなく、侮辱だ。
レゴラスは、上着の留金の一番上を、指ではじいた。

「僕は、あなたに敬意を表しているのですよ、ハルディア? 
あの戦いの生存者として。誇り高きシルヴァンの兵として。
もう一度言います。僕に試練を与えなさい、ハルディア。
僕は、敬意を持ってそれに従いましょう」

 何ゆえそこまで意固地になる?

 自らを傷つける行為に。

 侮辱されることへの反発か。

 否、自らを傷つけることで、己の決心の固さを確固たるものにするためか。

「いいでしょう、レゴラス殿。服をお脱ぎください。
わかっているはずです。何をすべきか。
あなたが許しを請うなら、いつでも私はあなたを解放してあげます」

「あなたが満足を得ることができれば、あなたは僕に従うのですよ、ハルディア」

 これは、勝敗をかけたゲームか。それとも契約か。

 どちらでもかまわない。

 

 彼の誘惑に、自分はもう堕ちてしまっているのだから。

 

 

 

 最初からわかっていた。

 闇の森の王子は、言葉にするほど汚れてはいないことは。
好んで体を差出すほど、その行為を喜んでも楽しんでもいない。
むしろ、それは拷問に近い。

 どれだけの奴が、この肉体を楽しんだのだろう?

 苦痛に顔を歪ませ、歯を食いしばり、それでも抵抗しない、純粋な肉体を。

 決して服従しない、高貴な魂を。

 受入れることを拒み続ける肉体を、犯すことで征服欲を満たされる。

(ノルドールなど、最初から信用してはいないのだ)

 王を失い、兵を失い、自らも傷つきながら気丈さを保っていたあの男の、
豪気さを受け継いでいる。

 細い体に身を沈めながら、ふと、あの男の視線の先を追ってみたくなる。
レゴラスの、視線の先を知りたくなる。

 それは、自分のプライドをも揺るがすことになるのに。

 

 しっかりと目を見開いて、自分を射抜くその視線に、
ハルディアは自ら封印していた疑問に気づく。

 

 自分は、間違ってはいなかったか?

 ガラドリエルとケレボルンを主と認めることは、本当に正しい決断だったのか?

 

 否、ガラドリエルの力がなければ、ロリアンの森は、とっくに光を失っていただろう。
かつて緑森大森林と呼ばれたあの森が、今は闇に沈んでしまったように。

 

 だが・・・

 

 彼らは、スランドゥイルとその一族のように、
本当に純粋にこの森を愛しているだろうか?

 傷ついても犯されても、なお守る価値を、この森に見出しているだろうか?

 彼らは、この森を見捨てはしないだろうか?

 この森に住む、愛すべきエルフたちを。

 

 

「苦しいのでしょう? 一言哀願すれば、すむことですよ。
その口から、開放を求める言葉を漏らしなさい。
私はあなたを、これ以上侮蔑することはありません」

 悲痛な疑問を押し殺すように、腕の下の端整な顔立ちに触れる。

「それとも、快楽に身を任せ、全てをなかったことにしますか? 
それでもかまわないですよ? 優しく抱いてあげることもできる」

 力のこもる指先を開き、レゴラスは両手でハルディアの頬を包んだ。

「優しくしてもらいのは・・・・あなたの方でしょう?」

 緑の光を讃える瞳に見つめられ、動けなくなる。

「僕から、力ずくで快楽を引き出す事は不可能だよ。
でも、あなたが認めるなら、僕はあなたを愛してあげることができる。
守るべき、シルヴァンの民として。尊敬すべき戦士として」

 全身が、乾いた砂のように崩れていく感覚。

 そう、あの時・・・・

 

(ついて来い! 必ず守ってやる!)

 あの男は、そう叫ばなかったか?

 現実それが不可能であったとしても。

 仕えるべき主としての価値が、

 そこにあったのではないか。

 

「ハルディア」

 音楽を奏でるように、唇が動く。

「力を・・・かしてくれるね? 人間の王に。

 彼は冥王を倒し、森に光を取戻してくれる。

 力の指輪の魔法に頼らない、

 エルフの国を・・・・

 我らの、安住の地を」

 

 海を渡らなかったシルヴァン・エルフたちが

 求めていた生活。

 

「おいで。愛してあげる。快楽を与えよう。僕の、腕の中で眠るといい」