「街道は闇に包まれ、旅人が森を通り抜けることが不可能になった」

 闇の森からの使者を交えて、エルロンドは会議を催した。

「これは忌々しき問題だ」

 顧問長エルストールが、議題を口にする。

「スランドゥイル王はどうお考えか」

 あからさまな非難の視線。レゴラスはじっと顧問長を見つめている。

「スランドゥイル王の力も限界ということだ。
これは、王の国だけの問題ではない。街道の確保に、我々も手を尽したい」

「街道の西はビヨルン殿が守っております。
先日王はビヨルン殿との話合いを持ちました。
たしかに、この数百年で森は完全に闇に飲まれました。
が、王はノルドールの助力を必要としません。
通行を必要とする者は、西はビヨルン殿、東はわが王国に許可を求めれば、
責任を持って通行の安全を確保いたします」

「頑なな王の態度は、もはや傲慢だ」

 裂け谷の顧問に刺され、それでもレゴラスは表情を崩さない。

「森の安全を維持できぬのであらば、力ある我等に協力を求めるのが筋というもの。
そもそも、そのような傲慢な態度が最後の連合の戦いでの敗北を招いたのではあるまいか」

 痛いところを突いてくる。レゴラスの瞳が、心痛に細まる。

「いくら王子とはいえ、そなたのような若者を使者に送ること自体、
我等を愚弄しているようなもの」

「お言葉ですが」

 発言したエルフを、鋭く睨む。

「わが王国の貴族の中には・・・・スランドゥイル王に最も近き者の中には、
あなた方ノルドールの顧問たちの顔を、見知っているものもおります。
メネグロスでの殺戮者として。彼らが使者としてノルドールの国に赴くことは
決してありません。過去の憎しみを知らぬ私だからこそ、
こうしてここにいることができるのです。
そもそも、最後の連合の戦いで私どもが敗北したとおっしゃいますが、
問題の指輪を処分できなかったノルドールと人間が、
真の勝者であると、言えるのでしょうか。
もしそうなら、今私どもの森が再び闇に閉ざされることもありませぬでしょうに。
サウロンに指輪の作り方を教えたのは、ノルドールの民です。
そして、エルフの力の指輪を所持するのも、あなた方です。
私どもはそのことに関知いたしかねます」

 己の意見を崩す気配のないシンダールの王子に、
エルロンドは片手を額に当てて当惑を示す。
結局、ノルドールとシンダールは和解することはできないのか。
それでも、レゴラスが使者として裂け谷を訪れるようになっただけでも、
大きな進展ととるべきなのだろうか。

 レゴラスは、言葉にするほどノルドの民を憎んではいない。
むしろ、本人は和解を切望している。
だからこそ余計に、板ばさみにあう彼の心労を思うと、心苦しい。
ノルドの顧問たちの、シンダールに対しての目は厳しい。
今までの歴史からいっても、シンダールよりノルドールの方が優れているのだから、
自分たちに従えばよいと考えている。
最後の連合の戦いで王を失ったロリアンのエルフたちは、
ガラドリエルとケレボルンに統治され、いわばノルドールの友となった。
スランドゥイルだけが、それを拒否し続けている。

「闇の森の王子よ、我等とてスランドゥイル王を愚弄するつもりはない。
いつまでも水掛論をするのは不毛だ。種族間の確執を、少しでも取り除きたい。
闇の森でわれ等が悪しき者を討伐する許可が欲しいだけだ」

 レゴラスはエルロンドを見たが、顧問たちから受けた罵倒に対する怒りの色は収まらない。
それでも、なんとか心を落着けようと肩を大きく上下させる。

「おっしゃることはわかります。ですが、エルロンド卿、
スランドゥイル王は森でノルドールが我物顔で歩き回ることを懸念しております。
あそこは、私どもの最後の砦なのです。
二度と、ノルドールに辱めを受けたくはありません」

「まったく強情な! 力もないくせに!」

 吐き捨てるように言ったひとりが、立ち上がってレゴラスの前に立った。

「口先ばかりは、あなた方のほうではありませんか? 
それで、ひとつの指輪は見つかったのですか?」

 らしくないレゴラスの挑発的な言葉に、険悪なムードに包まれる。
その場を収めようとエルロンドが立ち上がったとき、黒い影が会議の中央に進み出た。
レゴラスの前に立つエルフを押しのけて、闇の森の王子をじっと見つめる。
レゴラスは、その男を凝視した。

「ひとつの指輪を処分できなかったのが人間の愚行なら、
俺がその指輪を見つけて処分してやる。スランドゥイルにしてみれば、
ギル=ガラドの後継者たるエルロンドも、イシルドゥアの末裔である俺も、
信用することのできない存在なのだろうが、
少なくとも過去の教訓を学ぶほどの知恵はもちあわせている。
つまり、俺たちは己の尻拭いをするために闇の森を通る許可が欲しいと申し出ているのだ」

 その人間の言葉に、顧問たちが嫌悪を示す。

「飾り立てた言葉では、誤解に誤解を重ねるだけだ」

 顧問たちを見回して、その人間が言う。

「プライドが邪魔をして頭を下げることができない、そういう連中の会議など、
不毛極まりない。レゴラス、スランドゥイルに伝えろ。
近々、俺が挨拶に行く。たぶん、ガンダルフも一緒だ。必要ならば、王に頭を下げる」

 レゴラスは人間の顔をじっと見つめ、立ちあがると最上級の敬意をこめた挨拶をした。

「アラゴルン2世の言葉、しかと伝えましょう」

 それから、先ほどのエルフに目をやる。

「過ぎた無礼をお許しください」

 レゴラスが謝ったことで、それぞれが不満そうな表情を残しながらも席に着いた。

「エルロンド卿、申しわけありません。失礼をいたしました」

 いつもの冷静さを取戻している。エルロンドは、ほっと溜息をついた。

「アラゴルン、いつ戻ったのだ?」

「今、です」

 人間は、あらためてエルロンドに向き直り、片手を胸に当てた。

「大切な会議を乱して、申訳ありませんでした」

 型どおりに謝り、そしてアラゴルンは会議の場を出て行った。

 

 

 

「レゴラス! レゴラス!」

 静かな谷の木立で、声を荒げる。

「出て来い!」

 周囲を見回して、三度目の名を呼ぶ。

「谷中のエルフに聞えるよ」

 高い梢から声がして、レゴラスはアラゴルンの目の前に舞い降りた。

「何か用?」

 口元に笑みを作って、アラゴルンを見る。アラゴルンは大きく溜息をついた。
それから言葉もなくレゴラスを抱しめ、唇を重ねる。
苦しそうにレゴラスはもがいて、そっと体を離した。

「どうしたの?」

「べつに、どうもしない」

 それが何気ない挨拶であるかのように、もう一度捕まえて押倒す。
地面に横たわったまま、じっとレゴラスはアラゴルンを見上げた。

「・・・したい、の?」

「そうだ」

「今?」

「そうだ」

 有無を言わさぬ強引さで服をはだけさせ、アラゴルンはレゴラスを抱いた。

 

 再会の挨拶もなしに、肉体の接触をする。そんな行為を、レゴラスは拒まない。
求められるがままに受け入れ、ことが済むと落着きを取戻したアラゴルンの髪を、
そっと撫でた。

「久しぶりだね。疲れているの?」

「ああ。少し休みが欲しくて、戻ってきた。お前も、ずいぶん荒れているようだな」

 先ほどの会議のことか。レゴラスは目を伏せて苦笑する。

「・・・少しね、疲れているんだよ」

 レゴラスが裂け谷の顧問たちの前で見せる厳しさは、
決してアラゴルンには向けられない。
実際その場に居合せなければ、陽気で優しい森のエルフが、
激しい感情を持ちあわせていることを信じることができないだろう。
昔は、レゴラスのそんな厳しさを理解できなかった。
何を怒っているのか、わからなかった。

 しかし、今日のような場合、アラゴルンにはレゴラスの心痛を察してやることができる。
それだけ自分は、大人になった。

 レゴラスは、理解し合えない敵種族の只中にいるのだ。

 それには、どれだけの忍耐が必要なのだろう。

「本当はね、エルロンド卿の意見が正しいのだと思うよ。従うべきなんだと思う。
でもね、そう言うわけにもいかないんだ。
僕がスランドゥイルの遣いで来ている以上、ノルドに忠誠を誓うわけにはいかないんだよ」

 笑って見せるレゴラスの心内は、さぞ辛いものだろう。

「さっきは、ありがとう。あなたがああ言ってくれなければ、
僕はひき返しがつかなかった」

 アラゴルンは、目を細めて微笑んで見せた。

「あれは、正直な心境さ。俺にとっては、ノルドールだのシンダールだの、
関係ないからな。そんなくだらないことでいがみ合ってる暇があったら、
もっと前向きに行動して欲しいね」

 吹出して、レゴラスが笑う。確かに、その通りだと。

 レゴラスは、何事もなかったかのように、優雅な指先で乱れた服を整える。
人間の男に抱かれることが、まるでただの抱擁のように。
それを見て、アラゴルンも自分の服を整え直した。

「なあ、レゴラス」

 細い金髪が、風に流れる姿を見つめながら問う。

「お前も、いつかは王位を継ぐのか?」

 王位を手に入れるために、長い苦労の道を歩むアラゴルンに、
レゴラスは軽く首を振って見せた。

「エルフは、人間のように寿命はないもの。僕が父の国を継ぐことはないよ。
父が何かの原因で死ぬことがあればべつだろうけど。
もし戦いに巻き込まれることがあっても、僕はこの命にかえても王を守る。
決して王を死なせやしない。だから、僕があの国を継ぐことはない」

 そうか、とアラゴルンは呟いた。

「・・・・・ねえ、エステル。僕らは先の見えない、長い道を歩いているようなものだね。
目的は確かにあるのだけど、あまりに遠くて、霞んでしか見えない。
時々、自分の歩いている道が、本当に正しいか、不安に思うときがあるよ。
特にエルフには、人間のような限られた時間がないからね。
どこに向っているのか、わからなくなる時がある」

 今日のレゴラスは、ずいぶんナーバスになっている。
アラゴルンはレゴラスの顎を掴み、自分の方を向かせた。

「道に迷っているのは俺の方だ。レゴラス、お前に不安になられては困るんだ。
だから、決めた。俺の先祖の過ちは、俺が正す。
ひとつの指輪は、きっと見つけ出して抹殺する。
そして、俺は王位を手に入れる。そのあかつきには、お前が王となれる森を進呈しよう。
お前が、種族の諍いなど関係なく自由に暮せる国を、だ。だから俺についてきてくれ。
俺はきっと、お前を守る」

 情熱的な瞳で告白されて、レゴラスは一瞬アラゴルンを見つめ返し、
そして笑い出した。

「おかしいか?」

 笑いながら首を横に振る。

 きっとあなたは、あなたが思いを寄せるエルフの姫にも、同じ情熱を向けるのだね? 
同じ約束をするのだね? 僕が、そのことを知らないと思っている?

「エステル、あなたは本当に強引でわがままなんだね。
そうまでして僕を繋ぎとめておきたい?」

「そうだ」

 短い肯定の言葉。

 彼のわがままや甘えを、ずっと受けとめてきた。これからもずっと、そうするだろう。

 彼を受入れることで、自分をも受入れてもらっている。

 レゴラスには、アラゴルンの血筋や家系など関係ない。
同じように、アラゴルンにとっても、レゴラスの血筋など意味をもたない。

 お互い縛られた環境にいて、それを超越できる関係は、何よりの慰めになる。

「そんなことを言わなくても、僕はあなたのそばにいるよ」

 何の約束も、必要ない。約束は、心を縛ってしまうから。

 自由な関係でいたい。

 その上で、共にいる事を選びたい。

 二人の道が、交わることはないのだから。

「強情なのは、お前の方だ。俺がそう言っているのだから、ただ頷けばいいんだ」

「まったく、わがままだね」

 レゴラスは笑った。

「僕はエルロンド卿のところに行かなくちゃ。
さっきの会議のこと、謝らなければならないから」

「何も、謝ることなどないだろう? 
顧問たちとのいざこざは、今に始ったことじゃない」

「そうもいかないんだよ。僕は、争いをしにここに来ているわけじゃないからね。
さあ、もう離して。今夜、また会おう」

 やさしくアラゴルンの腕を振り解いて、レゴラスが立ち上がる。

「レゴラス・・・・」

「エステル、戯れの約束でも、嬉しいよ。
僕は、約束にあなたが縛られないことを願ってる。あなたはいつも自由でいて欲しい」

「俺は、いつでも自由さ」

 笑って見せると、レゴラスは微笑んで去っていった。

 自分で選んで進む道なのだ。

「そう、俺は自由だ」

 アラゴルンは、自分で自分に言い聞かせた。