−ヘルムの戦い−

 
 夜が開け死戦は勝利を迎えた。

 戦士たちはほんの数時間、休息を与えられた。午後にはまた、次の旅立ちが待っている。

 負傷したギムリは、小さな部屋の一室のベッドに寝かされ、アラゴルンの手により
  手当を与えられた。新しい包帯を巻き終えると、アラゴルンはその場所を
  レゴラムに譲った。

「ドワーフってのは、よっぽど頑丈にできているんだね」

「エルフの方がすごいさ。あの戦いで傷ひとつ負わなかったんだから」

 レゴラスが微笑む。軽口をたたくときの、あの悪戯っぽい笑みではなく、
  案じていた友に見せる安堵の笑み。そんな表情は、久しく見ていない。
  あまりに緊張が長かったから。

「俺には休息が必要だが、少し眠れば大丈夫だ。もっとも、馬は勘弁してもらいたいがね」

 白い包帯にそっと指を這わせる、包帯と同じくらい白くて細い指をごつい手で触れる。

「今回は負けたけど、次はそうはいかないよ。
 僕のほうが絶対君より多くの敵を倒してみせる」

「楽しみにしてるよ、旦那」

 ギムリはひとつあくびをした。後からアラゴルンが声をかける。

「眠らせてやれよ、レゴラス。ギムリはもう大丈夫だ」

 レゴラスは小さく頷いた。

「・・・エルフってのは不思議な治癒魔法を持っているんだろう?」

 ギムリの言葉にレゴラスは苦笑する。

「それはエルロンドの専売特許。僕にそんな力はないよ」

 少し考えてから、顔をそっと寄せる。豊な金髪が、ギムリの頬に降りかかる。
  ガラドリエルに負けず劣らず美しい。

「エルフの祝福を」

 レゴラスはそっとギムリの額に唇を押し当てた。

「これでいい?」

「ああ、元気になった。でもな」

 背後でもぞもぞしているアラゴルンをちらりと見やり、にっと笑う。

「もう一人癒してやらなきゃいけない人物がいるだろう? 一番の功労者がな」

 レゴラスも振り向き、すぐにまたギムリに向き直る。

「行けよ、親友。少し俺を眠らせてくれ」

「沿い寝してあげようか?」

「勘弁してくれ。癒える傷も癒えなくなる」

 レゴラスは立上り、ドアに向った。

「おやすみ親友。食事のとき迎えに来るよ」

 ギムリは笑い返しただけで、すぐに目を閉じ寝息を立て始めた。

 

 

 負傷した者が多いので、部屋数のある城でも余裕があるとは言えなかった。
  アラゴルンは仮眠の部屋をレゴラスと一緒で了承していた。

 与えられた部屋でブーツを脱ぎ、足を洗う。顔と手も洗ってベッドに腰をおろすと、
  同じように裸足になったレゴラスが隣に座って髪を解いた。ロスロリアン以来か、
  彼が戦闘体制を解除するのは。

「ギムリと、ずいぶん仲良くなったものだな」

「妬いてる?」

 悪戯っぽい表情。

「まさか」

「ローハンの姫に色目を使っていたね?」

「妬いてるのか?」

 まさか、とレゴラスは笑った。

「外で俺には敬語を使うのに、ギムリにはそのままだからさ」

「けじめだよ」

 解いた毛先をもてあそぶ。アラゴルンはその手を掴み、半ば強引に唇を寄せた。

「あの時は・・・助かった」

 城に逃げ込む時、レゴラスのたった一本の弓矢がアラゴルンを救った。

「当然の事さ。リーダーを失うわけにはいかないからね」

 ゆるい川の流れのようにさらさらと言葉をかわされてしまう。
  そんな言葉遊びを楽しんでいる時代もあった。裂け谷にまだいた頃だ。

 今は違う。時間がない。この数時間の休息の後は、次にいつ休めるのかわからない。

「人間はすごいね。この城を守りきった」

「人間だけの力じゃない。人間だけじゃ守れなかった」

「魔法使いと、あの不思議な森と・・・」

「それに、ドワーフとエルフだ」

 見詰め合って苦笑した後、レゴラスは両手を後について天井を仰ぎ見た。
  無防備な白い喉もとががさらけ出される。

「まだ、戦いは始ったばかりだ」

「そうだね」

 長い長い戦いの。

「格好良かったよ、アラゴルン。オークの群に切りこんでいく姿。
 ホビットたちをかばって、後手後手に回っていたときよりイキイキしてるみたいだ」

「お前とギムリもな。楽しそうだった」

「そうでもない」

 森のエルフは肩を落した。

「敵の血を浴びるより、風に吹かれている方がいい」

 森の空気を思い出して、胸を詰らせる。

 エルフを殺すのは簡単だ。故郷から引はなして、荒野にひとり置いてけぼりに
 すればいい。心の泉を枯らしてしまえば。彼らは生きられない。

 アラゴルンはレゴラスを抱き寄せた。癒しが必要なのは彼の方だ。肉体ではなく心の。

「睡眠の邪魔をしている様だね。僕はどこか高いところで風に当ってくるよ。
 僕に睡眠は必要ないもの」

 再びブーツを履こうとするレゴラスをベッドに押し戻す。上から覆い被さるように
 抱きしめ、うなじに鼻をうずめる。かすかに森の匂いがする。もうだいぶ薄れて
 しまっているが。

「癒してくれるんだろう? ギムリみたいに」

「キスしてほしい?」

「ああ、できれば全身にね」

 薄い笑いをして、レゴラスはアラゴルンの背に腕を回した。血の匂いがする。
 戦いの匂い。いつか僕は森に帰るが、彼はどこに帰るというのだろう?
 この匂いの消える日が来るのだろうか? たとえ全てが終っても、彼はエルフの森
 に留まりはしないだろう。そういう運命の人間だ。

 だから・・・

 彼に恋をしてはいけないのだ。

 彼以上に、故郷の森を愛しているから。

「いいよ。好きにして」

 呟いて目を閉じる。

「エルロンドのようには、抱けない」

「アラゴルンはエルフではないんだから、自分なりの方法でいいんだよ」

「じゃあ」

 位置を替え、アラゴルンは片手の上にレゴラスを乗せ、横抱きに抱きしめた。

「俺が眠るまでこうしていてくれ」

 胸の中にふわりとした風がふいてくる。

 二人は静かに眠りに落ちた。

 

 それからまもなく、おなかを空かせたギムリにたたき起こされるまで。