ガンダルフの用件は、ごく簡単なものだった。
指輪探索のカギを握るゴラムという者を探している。
援助は求めないが、協力はして欲しい。そ
れに対してスランドゥイルの返答も簡単なものであった。
兵は出さぬが、必要とあれば協力を惜しまない。

 スランドゥイルが協力を申し出たことは、裂け谷では驚かれた。
白の会議への参加も協力も拒んできたのだ。
これは、スランドゥイルも一目置いているガンダルフの個人的な申出ゆえに、
承諾されたのだろう。その知らせは、直ちにエルロンドにも伝えられた。
闇の森からの使者、レゴラスによって。

 レゴラスは、スランドゥイルと違って裂け谷のノルドールと足並を揃えることに
否定的ではなかった。そのため、連絡係として長い間裂け谷と闇の森を往復している。
そんなレゴラスを、エルロンドは信頼していた。
レゴラスの独特の性格は、常に裂け谷の者を魅了した。
たとえば、幼いエステル。たとえば、物静かな娘アルウェン。
エルロンドの双子の息子たちもレゴラスを弟のように可愛がっていたし、
顧問たちの何人かもレゴラスの肩を持つ事があった。

「そのような姿、スランドゥイル公には見せられぬな」

 溜息をつくエルロンドに、レゴラスは微笑んで見せた。

「宴の余興としてなら、喜ぶでしょう」

 エルロンドは思う。栄華を過ぎたエルフたちは、
歴史の黄昏時を迎えようとしているのに・・・
スランドゥイルの森はまだ若葉を残している。
ヴァラールに与えられたこの地を楽しむことを、まだ失わせてはいない。

 次の世代を荷うのは、人間であり、
ノルドより劣ると言われ続けてきたシルヴァンの民なのかもしれない。

「スランドゥイル公によろしく伝えてくれ。貴公の申出に感謝すると」

 レゴラスは片手を胸に当て、挨拶をするとエルロンドに背を向けた。

「レゴラス」

 呼びとめられ、振り返る。

「個人的に、感謝をしている。沈みがちな娘を慰め、疲れ果てたエステルに微笑を与えた」

「エルロンド卿、アルウェン嬢はあなたに笑みをと。
そんな慈愛に触れる時、僕は安らぎを感じるのです」

 深い愛情に触れる時、暗雲の忍び寄るこの地で、生きる希望を知る。

 レゴラスはもう一度頭をさげ、部屋を出て行った。

 

 

 

 レゴラスが長期裂け谷に滞在することはない。今回も然りである。

 ほんの数日の滞在で、レゴラスは帰り支度をはじめた。

「俺もガンダルフとの約束がある。霧ふり山脈を越えるまで、同行しよう」

 アラゴルンは言った。

 

 見送りの者たちの前で、抱擁はできない。
アラゴルンは静かに言葉を交す程度にアルウェンに別れを告げた。
アルウェンも慎ましやかにそれに応える。

 二人の旅人は、それぞれの馬に乗り、谷を出た。

 

 

 

 旅なれた二人は、交す言葉もなく、ほとんど休息を取ることもなく馬を進める。

 それでも、共に歩みを進めることは、お互いの心を落ちつかせる。

 オークに出会うこともなく、順調に旅を進め、
己が休むというより馬に休息を与えるために、夜は野営をした。

 僅かな行程食を口にしただけで、ごろりと横になって夜空を仰ぐ。
急がない旅路は、気が楽だ。

「眠るといいよ、僕が起きているから」

 火をおこすこともなく、並んで座りながらレゴラスが言う。
アラゴルンは苦笑をもらした。

「お前も休むといい。この付近に危険は感じないからな」

「僕は休む必要はないよ。疲れてもいないしね」

 アラゴルンが一緒でなければ、レゴラスはもっと早足で先を急ぐだろう。

 共に過す時間は、貴重だ。特に、二人だけの時間は。

 身を起したアラゴルンは、レゴラスに覆い被さり、唇に触れた。
レゴラスはされるがままに、じっとアラゴルンを見上げる。

「我慢できない。いいだろう?」

 口元をつり上げて言う。何のことか、レゴラスにはわかっていた。
アラゴルンが同行を申し出た時から、それはわかっていた。
頭の中で、同行の旅が終るまで、何日かかるだろう、何回抱かれるのだろうと数えもした。

 

 そんなことを、自分は求めているのだろうか?

 

 無意識の感覚にぞっとする。

 いつから・・・・こんな関係になってしまったのだろうと。

 はじめは、同情だったのかもしれない。
若いエステルは、エルフに囲まれ生活することに、戸惑いを感じていた。
それを、慰めたかっただけなのかもしれない。
アルウェンとエステルの出会いは、レゴラスと彼との関係をたち切るだろうと想像した。
愛する者は心のよりどころとなって、辛さや孤独を紛わす。
背徳的な情交を交すことは、必要なくなるだろうと。 

 けれど、アラゴルンはレゴラスを抱いた。慣れた習慣のように。

 何故だろうと思う。

 レゴラスが想像していたほど、愛は単純ではなかった。
それはきっと、エルフと人間の違いなのかもしれない。
何年も離れていても、心が繋がっていれば、エルフにとってそれは苦痛ではない。
人間は違う。アラゴルンの恋は、辛く厳しいもの。
微笑を以て共に暮すためには、何十年も遠回りをしなければならない。

 彼は、アルウェンを愛している。アルウェンも、彼を愛している。
なのに、離れている時間が長すぎて・・・・人間は心に穴を空けてしまう。

 その、ひとときの慰めでしかないのかもしれない。

 エステルは自分のものにはならないし、自分も彼のものにはならない。

 

 これは、愛とは違う。

 

 けれど、いとおしいと感じてしまう。

 幼子の髪を撫でるように、レゴラスは彼の衝動を受入れる。

 そこに、喜びを感じてしまう自分に気づく。

 

 星空の下、アラゴルンに抱かれながら、ぼんやりと考えをめぐらす。

 彼が、満足して眠りに付くまで。

 

 レゴラスが、その行為に快楽を感じていないことは、アラゴルンにはわかっていた。
自分が感じるように、レゴラスにも悦楽を感じて欲しいと願ったときもあった。
まるで、人形を抱いているようだと。
身体を重ねている時、レゴラスの瞳は眠っているようにうつろで、
心をどこかに飛ばしていたから。引戻し、自分を見て欲しいと声を荒げたことも。
でも、それは不可能だ。なぜなら・・・・

 レゴラスは、愛すべき対象ではないのだ。

 これは禁じられた行為であって、決して公言できるものではない。

 それでも、レゴラスを抱きたいと思うし、そうしている。

 自分の中にも、戸惑いはある。

 アルウェンがいるのに・・・・と。

 彼女は、こんな風に抱かない。

 否、まだ、許されていない。

 彼女の微笑や、絡めた指先や、触れた唇、それだけで満足してしまう。

 アルウェンを、愛している。

 レゴラスは、アルウェンの代りではない。
彼女を抱かないかわりに、レゴラスを抱くのではない。

 次元の違う、何か。

 疲れたとき、彼女の微笑が恋しいように、レゴラスの肉体を求めてしまう。

 心と身体が、別々に引裂かれるように。

「レゴラス」

「なに?」

 耳元で囁くと、そのエルフはアラゴルンを見た。

「・・・・俺を・・・肉体の欲望に打ち勝てない俺を、蔑んだりしないか?」

「何を今更?」

 レゴラスは笑みをもらした。

 

 愛しているとは、言えない。

 

 星が、綺麗だ。

 

 嵐が過ぎ去れば、アラゴルンはアルウェンを手に入れる。

 あと、どれくらいかかるのだろう?

 

 あと何回、身体を重ねるのだろう?

 

 レゴラスはアラゴルンの髪を撫で、胸元に引き寄せて髪にキスをした。

「いいんだよ、何も心配しなくて。必要な時には、僕を呼べばいい。
アルウェンと約束したんだ。あなたのそばにいてあげるって。
僕は、あなたについていくよ」

 アラゴルンはレゴラスの身体をきつく抱しめ、そして身体を離した。

「少し、眠るとしよう。夜明と共に出発だ」

 

 別れを想像することはできない。
志半ばにして、自分が死ぬことも、レゴラスが倒れることも、
決してないと断言できてしまう。

 離れることはない。

 アルウェンが、決してアラゴルンを見捨てることがないように。

 

 レゴラスの優しさに、自分は応えてあげることができるのだろうか。

 この関係の終着点は、あるのだろうか。

 

「眠りなさい、エステル」

 目を閉じたまま考え込んでしまっていたアラゴルンに、レゴラスが囁く。

「僕は、あなたのそばを離れないよ。あなたがその寿命を終えるまで」

 星の瞬きのような言葉は、アラゴルンを静かに包んで、眠りの淵に落していった。

 

 約束しよう。

 俺は、お前のそばを離れない。