食事の時間に遅れたことに、エルロンドは一言注意をしようと口を開きかけ、 アルウェンの連れてきた青年に言葉を止めた。 思い通りの反応に、アルウェンがにっこりとする。 「遅れて申しわけありません」 アルウェンは父の隣に座り、レゴラスは無言でアラゴルンの隣に腰をおろした。 アルウェンの思惑通り、アラゴルンも驚いた表情でレゴラスを見つめる。 「過ぎた冗談ではないか、アルウェン? レゴラスはお前のおもちゃではない」 男物ではない、白い長衣を着せられ、紅まで塗られたレゴラスが恥かしそうにはにかむ。 「すまない、レゴラス。娘がこんなにはしゃぐのは珍しい」 エルロンドの言葉に、レゴラスは怒りの表情は見せない。 「いいえ・・・僕も、戯れは嫌いではありません。父は、僕の頭によく花を載せたがります。 そんなことで楽しんでいただけるのなら」 エルロンドの表情は複雑だ。素直に「似あってる」とは言えないのだろう。 レゴラスは、男で戦士だ。この谷の男たちに同じようなことをしようものなら、 愚弄だといきり立たれるだろう。 「ね、アラゴルン、似合うかい?」 それを、冗談として楽しめるのは、楽しむことを知っている、彼の血筋なのか。 「たぶん、白より色のついたドレスの方が似合うだろう。薄い緑か、蒼の」 にやける口元を押えながら言うアラゴルンに、アルウェンはクスクスと笑い続ける。 「アラゴルン、レゴラスの正装を見た事があって? 闇の森に何度も行っているのでしょう?」 「レゴラスはいつもあの服装だよ、アルウェン。 一度だけ王の宴に招待されて、レゴラスの正装姿を見た事があるが・・・ あの時は、もっと派手だった」 「父は、宝石で僕を飾るのが好きなんだよ。うっとうしいからあまりやらせてあげないけど。 夏至の祭の時くらいは、父に遊ばせてあげようと思って」 和やかな会話と、微笑が続く。食事の場が華やいだのは、久しぶりのことだ。 もう何年も、明るい知らせは裂け谷にもたらされていない。 「この姿でずっといたら、求愛してくる男性がいるかもしれないわね? アラゴルン、あなたも立候補する?」 「美しい夕星姫が目の前にいるのに?」 「私が男なら、間違いなく名乗りをあげるわ」 レゴラスは口元に手を当てて、おかしそうに笑う。 「僕が女ではなく、アルウェン嬢が男でないことを残念に思いましょう」 エルロンドが、ひとつ咳払いをする。 「これ以上私の悩みを増やさないでくれ」 エルロンドの口元が笑みを作る。館主の失笑に、誰もが和やかな雰囲気を味わった。 夕食の後、アルウェンはレゴラスにドレスを着せたまま中庭に誘った。 星の見える中庭は、レゴラスのお気に入りの場所だ。 ベンチに並んで腰掛け、満天の星を仰ぐ。 「怒ってる?」 アルウェンの問いに、レゴラスは首を横に振った。 「ありがとう、レゴラス。お父様の笑顔を久しぶりに見られたわ」 もともと、この谷の主要因を構成するノルドールの民は、歌に長けているわけではない。 戦い逃れ、築かれた要塞、それが裂け谷。 昔からそこに住む森のエルフたちで構成されている闇の森やロリアンとは違う。 ガラドリエルの統治するロリアンでさえ、歌やエルフの笑いが絶える事はない。 シルヴァンに同化したシンダールを王とする闇の森では、尚更だろう。 アルウェンは、長き生の大半をロリアンですごして来た。それは、感謝すべきだろう。 しかし、自分は父の血が強く流れている。シルヴァンの森で歌い続けることはできない。 否、シルヴァンたちのように歌うことができない。 ここ、裂け谷では、シルヴァンの血を引くレゴラスは、ノスタルジーを誘う。 父が、レゴラスをひどく愛でていることを知っている。その理由も。 エルロンドにもシンダールの血が流れている。その血が、レゴラスに惹かれるのだ。 自分に愛情を抱くものを、無意識のうちに受入れる寛大さが、レゴラスにはある。 それは、一本の森の木のように。 「嵐が・・・近づいているのね・・・」 静寂な星空を眺めながら、アルウェンは呟いた。 「よくない噂ばかり耳にして、心が沈む。私に何ができるのかしら・・・」 レゴラスも、星を見上げる。夜空はこんなに美しいのに・・・・ 暗雲は滅びの山に立ち込める。 「私にできるのは、待つことだけ。お父様を信じて、エステルを信じて。 お願いよ、レゴラス。エステルのそばにいてあげて」 「僕に・・・できるでしょうか?」 「エステルはあなたを必要としている。それは、私にもわかるの。 それとも、人間のそばにいてあげることは、嫌?」 嫌、ではない。 ただ・・・・。 ただ、エステルが自分に向ける視線に、時折怯えるだけ。 「貴女が、そうおっしゃるのなら」 アルウェンはレゴラスの手を取った。 「約束よ、約束。エステルが嫌いでないのなら、彼に手を貸してあげて」 「アルウェン、僕は・・・・」 言いかけて、言葉を探す。 彼女は知っているのだろうか。レゴラスとエステルの関係を。 彼が彼女と出会う前から続いている、関係を。 「私、エステルを愛しているの。彼のためなら、何でもするわ。 彼の望むことを、全て叶えてあげたい。レゴラス、私の気持をあなたに託すことは、 あなたの重荷にしかならない? レゴラス、エステルを愛してあげて」 愛、という言葉の意味を探す。それはまだ、自分にはわからない。 彼を受入れてあげることしか、できない。それが、愛なのだろうか? レゴラスは答えるかわりに星空を見上げ、静かに歌を歌った。 安らかな子守唄を。 レゴラスの歌声にしばらく聞き言っていたアルウェンは、 そっとレゴラスの袖口をひっぱった。そして、人差指を唇に当てる。 歌いやんだレゴラスも、アルウェンの仕草の意味に気づく。 「なぞなぞあそびをしない? かくれんぼをしているのは誰?」 レゴラスはクスリと笑う。 「盗み聞きの得意なツグミ」 「周囲の色に自分をあわせる野うさぎかしら」 「俊足を誇る子馬」 「力強き熊」 「嘘つきの人間」 「エルフの石」 観念したように、アラゴルンは木陰から姿をあらわした。 「二人で内緒話か?」 立ちあがったアルウェンが、優しく微笑む。 「ええそうよ、秘密の話。教えて欲しい?」 「遠慮しておく」 穏かな表情で、アラゴルンはアルウェンの手を取った。 「レゴラス、エルロンドが探していた」 月光の名残のように、レゴラスは白い衣をひるがえし、 僅かな微笑だけを残して館に入っていった。 それを見送ったアラゴルンが、今度はアルウェンと並んで座る。 「ずいぶんと、レゴラスを気に入っているようだな?」 「そうね、私より若いエルフは、彼だけですもの。 それに、レゴラスを見ているとロリアンの森を思い出すわ。心安らぐ森の光を」 「俺は、君に闇しか与えられないか」 そんなことを言う愛しい男の、髪をそっと撫でる。 「愛しているわ」 指を絡めたまま、口づけを交し、星の光を仰ぐ。 「ノルドの血は、シンダールに苛立ちを感じる。 征服せずにはいられない衝動に駆られる。 ・・・・そう言っていたのは、グロールフィンデルだったわ。 だから、父に気を付けるようにと。 シンダールの王子とは、常に距離を保っておかないと、血の欲望に支配される、と。 あなたもそう思う、アラゴルン?」 「さあ、俺はノルドールではないからな。わからない」 愛しげにアラゴルンの髪を、頬を撫で、アルウェンは不思議な笑みを見せる。 「私は・・・レゴラスが好きよ。でもね、それが愛なのか、支配欲なのか、 わからなくなる時がある。あの子は、とても純粋で従順なんですもの。 ねえ、アラゴルン、あの子を、レゴラスを、愛している? それとも支配したいと思う?」 頬を撫でるアルウェンの指を絡め取り、唇に押し当てる。 「・・・アルウェン、俺は、幼少のころからレゴラスを知っている。 奴は、俺にとって兄弟であり、友人なんだ。 君の言う愛とは違うし、支配したいとも思わない」 うそ その言葉に、アルウェンは自嘲する。 違うわ、エステル。あなたはレゴラスを愛しているし、支配したいと願っている。 それが叶わないことも、わかってる。だから・・・・・ あの子を、抱くのね 「さっきね、レゴラスにお願いしていたの。あなたのそばにいてあげてって。 私がここから出られない分、あなたを守ってあげて欲しいって」 アラゴルンが苦笑する。 「そんなに俺は、頼りないか?」 「ええ、そうよ。あなたの体のキズが増えていることに、私は耐えられない。 あなたの微笑が薄れていくことが、とても悲しいの」 アラゴルンは肩を落し、そっとアルウェンを抱き寄せた。 「・・・・すまない。君を愛した男が、俺のような人間で」 切ない抱擁を返しながら、アルウェンはもう一度囁いた。 「あなたを愛しているの、アラゴルン」