それは、痛みであり、溺れるような感覚であった。

 レゴラスが示す反応に、アラゴルンの動きも早まる。

 激しく打ちこまれる情動に、認めたくなかった言葉が、心を占める。

 

 彼が必要としていたから、そばにいたのではなく

 自分が必要としていたから、そばを離れなかった

 

 アルウェン・・・・・

 貴女はまだ、彼の激しさを知らない

 

 彼の愛は、貴女のものだ

 でも

 彼の情欲は、僕のもの

 

「・・・・アラゴルン・・・・」

 うめくように名を呼ぶ。

「俺を信じろ。俺を受入れるんだ、レゴラス・・・・」

 じんわりと目元が熱くなり、一滴の水滴が零れ落ちる。

「あなたを・・・・守る・・・・あなたを・・・・」

(愛しているから)

 言葉は唇に吸い取られ、意識が昇天する。

 

 僕は

 失うことの恐怖を

 知ってしまった

 

 

 

 ぼんやりと開いた瞳の向うで、アラゴルンはシャツに袖を通してた。

「汗を拭いてから服を着るんだよ」

 体を起しながら、そんなことを言う。振向いたアラゴルンは、にやりと笑う。

「臭い、か?」

 肯定するように笑って見せる。

「エルフは汗をかかないからな」

 シャツの前を留めながら、足早に近づいて、アラゴルンはレゴラスの首筋にキスをした。

「俺の匂いを、残してやりたい」

「無理だよ」

 くすぐったそうに笑いながら、レゴラスも自分の服を手探りで探して着込んだ。

(身体の中は、あなたの匂いでいっぱいだけどね)

 そんな言葉は口には出さない。

 濡らしたタオルで顔を拭き、髪を手櫛で整え、アラゴルンは表情を引き締めた。
ちょうどその時、豪快にドアがノックされ、返事を待たずにギムリが入ってくる。

「時間だ。メシは食ったか・・・・・」

 視界に入ったアラゴルンとレゴラスを交互に見やり、口元を引き上げる。

「早かったか?」

「いや」

「なんだ、食ってないじゃないか」

 床に置かれたままの食料に目をやる。アラゴルンはにやりと笑った。

「十分食わせてもらった」

 意味ありげにギムリは両手をひろげる。 

アラゴルンはブーツに足を突っ込んで、ギムリの肩を叩き、

「先に行ってる」

 とだけ言残し、振向きもせずに出て行った。
まだ服を着終えていないレゴラスに、ギムリはドアを閉めてやり、溜息をつく。

「旦那、荒れてるのか?」

 いつもなら、優雅に手早く身支度をするレゴラスは、僅かに指先を震えさせ、
のろのろとした動きしかしない。

「・・・そんなこと、ないよ」

 そう言う表情が、強張る。レゴラスがそんな表情を見せるのは、だぶんギムリにだけだ。
なぜか、相性の悪いと言われているドワーフに、そのエルフは素直になれた。

「髪、結うの手伝ってやろうか」

「ありがとう」

 素直な反応に、ギムリはベンチに腰掛け、レゴラスの乱れた髪を器用に撫で付ける。
その太い指は、見かけよりずっと器用で、細かい仕事も得意とする。
細いエルフの髪を指で梳かし、編上げていく。 

「大丈夫か?」

「大丈夫だよ、アラゴルンは・・・・強い人間だから」

「お前さんだよ」

 髪を結う手を休めずに言うギムリに、服の留金をかけるレゴラスの手が止る。
一瞬の躊躇のあと、

「大丈夫だよ」

 と答えて、できるだけ急いで服を着る。

「ほらできた。器用なもんだろう?」

 一糸の乱れもなく金髪を結上げ、ギムリはレゴラスの背中を叩いて立ち上がった。

「アラゴルンにはできない技だね」

 レゴラスも笑ってみせる。己も立ちあがり、ブーツを履き、ベルトを締める。

「ねえ、ギムリ・・・」

 先にドアの前に行ったギムリに、無理に笑ったような声をかける。

「僕は・・・・・何を信じればいいんだろう・・・・・」

 ドアの前で振向いたギムリは、鼻先を引きつらせた。

「アラゴルンの旦那を、信じられない、か?」

「違う・・・・・」

 武器を装着する手を止めて、レゴラスは視線を泳がせる。

「・・・・アラゴルンの存在は・・・僕には大きすぎて、
失うことの恐怖に足が萎えてしまう」

 ギムリは腰に手を当てて、フンと鼻を鳴らした。

「なら、わしを信じろ! 少なくとも、人間よりは頑丈だ」

 そんなギムリの動作に、レゴラスは泣きそうに顔をゆがめた。

「キスをしても?」

「それだけは勘弁してくれ!」

 豪快に笑うギムリに、レゴラスも笑みを見せた。

「もったいない!」

 床に投げ出したままのりんごを、二口で口に収めたギムリは、
もう一度レゴラスに笑って見せた。武器を装着したレゴラスは、背筋を伸ばし、
目を閉じ、次に目を開けた時には、いつものエルフらしい無表情が戻っていた。

「戦況は?」

「よくないね。まったく良くない! 武器庫で甲冑を着けなきゃならん! 
急げよ、お前さんももうちょっと装備を整える必要がある」

「僕に甲冑は必要ないよ」

「そうはいかんだろう? 旅はここで終りじゃないんだ。
そんな薄着じゃこっちがイライラする! とにかく武器庫に降りて来い!」

 ギムリはそそくさと出て行き、レゴラスは大きく深呼吸した。

「アルウェン」

 口に出して、その名を呼ぶ。

「アラゴルンを守るのは、貴女だ。僕はアラゴルンを信じてギムリを守る」

(レゴラス・・・・)

 微かになった思念が、どこか遠くで囁く。

(私たちの心は、ひとつ)

 

 アラゴルンを、愛している。

 彼と共に歩む。