アンドゥインの河を渡る頃、まず気配に気がついた。

 それから、馬の足音。

 森の手前で、レゴラスは足を止めて、それを待った。

 

 間違いなく、迎えの者だ。

 

 それほど長い間留守にしていたわけでもないのに・・・。

「レゴラス殿!」

 白い馬に乗ったそのエルフは、
レゴラスの寸前でひらりと馬から飛び下りた。

「馬だけが帰ってまいりましたので、
王がひどく心配しておられました」

「馬に伝言を頼んでおいた方が良かったかな?」

「またそのようなお戯れを」

 レゴラスはいつものように屈託なくにやりと笑う。

「この馬をお使いください」

「ありがとう。私も歩くのに飽きてきたところだよ」

 使いのエルフは首を横に振った。王子の軽口は馴染み深い。
むしろ、再びそれを聞けて安堵する。

「今までいったい何処に・・・?」

「アマンまでは行っていないよ」

「レゴラス王子!」

「帰ってから話します」

 ひらひらと手を振って、レゴラスは故郷の王宮に疾駆して行った。

 

 

 

 何事もなかったかのように、いつものように門番に話しかけ、
誰の質問もうまく流しながら玉座の間に入ったとき、
レゴラスは一切の笑みを消した。

 そこには、父であるスランドゥイル王が鎮座している。

「長きにわたる不在をお許しください」

「して、何処までオークを追っていったのだ?」

 王の声色は、低く押し殺している。

「霧ふり山脈を越えました。オークの狙いを見定めたかったので」

「わかったのか?」

「はい。ドゥネダインを・・・奇襲していました」

「それで?」

「私もオークの矢を受けまして、裂け谷で治療を受けました」

 王の表情が強張り、控えていた付人達も低くうめく。
レゴラスは頭をたれたままでいた。王に表情は読まれたくない。

「・・・エルロンドに、会ったのだな」

「はい」

 王は固く口を閉じ、レゴラスは空白の時間を耐えた。
エルフたちの静かな息遣いさえ、耳に響く。
レゴラスは息を詰めて、王の次の言葉を待った。

「・・・そうか。なら傷の心配は必要あるまい」

 レゴラスは顔を上げて、王を見た。

 父はじっと息子を見つめている。

「下がって休みなさい、レゴラス。
お前のことだ、ほとんど休息も取らずに帰ってきたのであろう」

 何か言いかけてレゴラスが口を開くと、王はその言葉をさえぎった。

「その後で会議を招集する」

 レゴラスは、頭を下げ、広間をあとにした。

 

 

 

 

 自室に戻ったレゴラスは、どっと疲労感に襲われた。
たしかに、歩きながら少しばかり休息をとったほかは、
まったく眠っていない。いくら肉体の強靭さを誇るエルフでも、
無茶をした方だと思う。

 装備をテーブルに降ろし、服を脱捨てると、
レゴラスはそのままベッドに横になった。

(エルロンド卿・・・・)

 横たわれば、嫌がおうにもそのぬくもりを思い出す。

 その記憶に包み込まれるように、レゴラスは眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 静かな歌声に、深い眠りから引戻される。

 安らかな歌声。

 帰ってきたのだという、安堵感。

 レゴラスは身体を起した。

 

 部屋を出て、テラスに向う。

 そこには、美しい金色のエルフが座して歌を口ずさんでいた。

 

 レゴラスはゆっくりと歩み寄り、そのエルフの足元に跪き、
その膝に身体を預けた。

「そのような格好で出てくるのではない」

 歌うように、そのエルフは言ってレゴラスの頭に手を置いた。

 まるで幼子のように、その膝にすがる。

「どうした?」

「夢を・・・・」

「夢?」

「はい。・・・蜘蛛に食われる夢を見ました」

 スランドゥイルは、ひとつ、笑みを零した。

「お前を食うのは、蜘蛛ではあるまい」

「・・・父上」

 それ以上の言葉が見つからず、父の膝に頬を乗せて目を閉じる。

 スランドゥイルは、また静かに歌を歌った。

 

 恋の歌だ。

 

 遠い昔の、人間とエルフの悲しい恋の歌。

 

 父は、息子の髪を撫でた。

 昔、よくそうしてくれたように。

「エルロンドは、よくしてくれたか?」

「はい・・・」

 それだけ言って、膝に顔を埋める。そうか、とだけ父は応えた。

 

 森のエルフは、歌が好き。

 森のエルフの王が、こよなく歌を愛していたから。

 多くの戦いと、苦難を知っている森のエルフ王。

 国民は、彼を敬愛する。

 レゴラスもまた、父を愛して止まない。

 自分の知らない、たくさんの傷を知っている、スランドゥイル王を。

 

 長い間そうしていて、レゴラスはやっと身体を起した。

「着替えてきなさい。会議を招集する」

 立上ったレゴラスは、王子の威厳を取り戻していた。

「はい。すぐに」