エルロンドは宮廷顧問の者たちと話合いを持った。

 アラゴルン二世の保護と、
北の森からの来訪者についてである。

「スランドゥイル公の子息の来訪は、
あくまで公式のものではない。
公の意向によるものではないからだ。
彼は負傷した傷を癒しに谷を訪れたに過ぎない」

 エルロンドの意見は正しいものではあったが、
不満も招いた。

「しかし、公の子息はアラゴルン二世の存在を
知ってしまった。それは好ましくないことです。
少なくとも現時点において」

「それは致し方ない。偶発的なものであるからな」

「偶発的と片付けてよいのですか?」

 エレストールの意見は理に叶っている。

「少なくとも公の子息は自分をわきまえている。
あれほどの傷を負っても、アラゴルン二世については
何も聞かぬし、私も話すつもりはない」

「それで納得していると?」

「そうだ」

 彼らが危ぶんでいるのは、レゴラスの若さだ。
見るかぎり、無邪気に子供に接している。

「しかし、感づいてはいるのでしょう」

「おそらくな。あの者は若く屈託なく見えるが、
侮ってはならぬ。最初にも言ったが、王の子としての己を
理解している。むやみな発言はしないであろう」

「ずいぶんと高く買っているようですな?」

「私は自分の見る目を信じている。
彼は怪我をした客人であり、それ以上ではない」

「我々への紹介もなさらぬと?」

「そのつもりだ。会議への出席は、スランドゥイル公の意向が
確認されてからだ。今はその時ではない」

 

 会議を解散した後、グロールフィンデルは
エルロンドに話しかけた。

「エルラダンとエルロヒアが、たいそう王子の弓の腕を
褒めておられましたな」

「ああ、聞いた」

「彼らが他人を褒めるなど、珍しいことです」

 それはエルロンドも承知している。
息子たちが認めるのだ、その評価は確かなのだろう。

「先ほど広間を見てきましたが、
楽しそうに歌を歌っていましたよ。
私にはそれほどの人格には見えませんが」

 エルロンドはほくそえみ、グロールフィンデルを見やった。

「陽気に見えるのは森のエルフの特徴だ。
お前とてスランドゥイルを知っているだろう。
公が宴会ばかりを楽しんで世界に目を向けぬと、
馬鹿にするつもりはあるまい。心内を語らぬだけで、
強い信念を持っている王だ。
レゴラスはスランドゥイルに似ているやも知れぬ。
これは変ろうとする時代の流れの布石だ。
人間の王が見出された以上、平穏は長くは続くまい。
我らもスランドゥイルと話合いを持つ必要があるかも知れぬ。
王子の来訪は、そのための布石であると私は見ている」

 主の言葉に、グロールフィンデルは口元をつり上げた。

「王子はいつまで谷に?」

「傷はよくなっている。精神的なダメージもほとんど見られない。
・・・一週間、それ以上引きとめるつもりはない。
許しが出れば、レゴラスはすぐに森に帰るだろう」

 解放たれた小鳥のように。

 

 

 

 放っておけば、レゴラスはいつまでも他のエルフたちと
歌って過していた。その屈託のなさはすぐに他の者たちに溶け込める。
新しい歌に素直に驚嘆し、共に楽器を奏で、
たわいもないことで笑いあう。
昼は庭に出て風と光と咲誇る花たちを賞賛し、
夜は輝く星々を歌に歌う。

「楽しそうだな」

 エルロンドの許しが出たので、
レゴラスは好んで木に登って梢の高さを堪能していた。
夜、高い梢から星を眺めていたレゴラスは、
エルロンドの存在に気付いてするすると降りてきた。

「エルロンド卿」

 安静から開放されてから、
エルロンドはほとんどレゴラスと会うことはなくなっていた。
一介の客人に、館主がそうそうつきそうものではない。
子供と会うこともなかった。

「傷の具合はどうだ?」

「もうすっかりいいです。私は森に帰れますか?」

「許可しよう。好きな時に帰りなさい。
滞在したいのなら、それもかまわぬ」

 レゴラスは嬉しそうに微笑み、夜空を仰いだ。

「ここは美しくて楽しいところです。
私の興味も満たしてくれるし、時間が過ぎるのを忘れてしまいます」

 いつか旅人が館をこう表現したことがある。
ここには時間が存在しない、と。

「気に入ってもらえて何よりだ」

 レゴラスは踊るように梢に手をのばし、その葉に触れる。

「僕もいつか、こんなところに住みたいな」

 ひとりごちて木の葉にキスをし、エルロンドに振り向く。

「望むなら、ここに住まうことはかまわないが?」 

 なぜそんなことを口にしてしまうのか、
エルロンドは己に少々驚きもした。息子たちが言っていた。
あまり一緒にいると、王子を森に帰したくなくなると。

「スランドゥイル公が許せばな」

 取って付けた様に付け加える。レゴラスはくすくすと笑った。

「どうでしょうね。
父はエルロンド卿をあまりよく思っていないようですから。
私がエルロンド卿のもとに行くと言ったら、怒るかもしれません」

「そうだろうな」

 エルロンドとスランドゥイルとでは、信念が違うのだ。
このミドルアースで持つ役割が違うように。

「でも、私が谷を訪れることの許可は説得するつもりです。
いずれ、必要になるでしょうから。
・・・エルロンド卿のお許しがいただければの話ですが」

「拒む理由はない。むしろ歓迎すべきだ。
この次は、スランドゥイル公の使者として迎えよう」

「ありがとうございます」

 レゴラスは、エルロンドのもとに駆け戻った。

「名残惜しいですが、明日にでも発とうと思います」

「急だな」

「国のものに心配をかけるわけにはいきません。
オークの動きについても早急に話しあう必要があるでしょう。
近いうちに、王の許可を得て谷を訪れたいと思います。
この現状と先のことについて、エルロンド卿の助言が
必要となるでしょうから。私としては、闇の森の王が
人間の『希望』について何も存ぜぬというのは納得がいきません。
裂け谷の宮廷顧問の方々がどう思っておられようと、
私はスランドゥイル王をもっと信頼していただきたい。
同じ敵を持つ身なのですから」

 何もかもお見通しというわけだ。やはりこの若き王子は侮れない。

「承知した。
私もスランドゥイル公の使者が早く谷を訪れてくれることを願おう」

 レゴラスは、また屈託のない笑みを戻した。

 

 夜露を含んだ風が、レゴラスの金色の髪をさらう。

 エルロンドは、手をのばしたい衝動に駆られる。

 

 エルフは恋をする。

 ドワーフが何より鉱物を愛するように、
森のエルフは森に恋をする。

 森を育てる光と、風と、清らかな水のせせらぎに、恋をする。

 その対象が、二本の足で立つものに向けられることは少ない。

 同じ命を持つものと、身体を重ねる喜びを知るものは、
多くない。

 それを、望まない。

 知る必要がない。

 

 若き王子は、何を望む?

 光と風、鳥たちの唄。

 

 レゴラスは、じっとエルロンドを見つめた。

 知らぬが故の、好奇心か。

 それとも・・・。

「帰りたくないと、
思ってしまうのは私のわがままでしょうか」

 知らない感情に、困惑している。

 純粋な魂に、心が惹かれる。

「レゴラス・・・」

「どうしたらいいのでしょう? 
教えてください。知っているのなら」

 抱き寄せたい衝動を押え、
エルロンドはレゴラスの頬に触れた。

「私が知っていることで、
お前が望むことなら・・・何でも教えよう」

 レゴラスは言葉を捜し、俯いた。

「自分が何を望んでいるのか・・・・
それさえもわからないのです。
ただ・・・ただこの夜を共に過したいと・・・」

 エルロンドは、レゴラスの頬に触れる手に力を込め、
自分の方を向かせる。そして、何もわからず、
ただエルロンドを見つめるだけのレゴラスに、そっと唇を重ねた。

「お前が望んでいるのは、こういうことだ」