服を着たとき、胸のあたりに硬いものを感じて、
アラゴルンはそれを取りだした。

 忘れていたわけではないが・・・そのつもりはなかったが、
どうしても後回しになってしまっていた。

 美しい宝石。

 レゴラスの前に差出すと、レゴラスは笑いながら宝石をアラゴルンに押し戻した。

「あげるよ」

「あげるって・・・」

 宴会の席で会話に上っていたのは、この石のことじゃないのか? 
さすがに躊躇する。エルロンドの双子が、誰にも見せてはいけないと言った理由は、
この宝石の価値にあったのだ。

「なんてね、そんなわけにもいかないだろうね」

「これは、何なのだ?」

「僕が王の息子であることの証に、父が細工師に作らせたものだよ」

 闇の森の王国の、王族の証。

「預っててくれないか。それくらいの重荷を背負う覚悟はあるだろうね?」

 死ぬことのない命の代りに。

「王族の証を俺に預けるというのか」

「そうだよ。今の僕は、王に仕えてはいないから。それを額に飾る資格はない」

 それを剥奪したのが、俺というわけか。アラゴルンは複雑に口元をつり上げた。

「いつまで預ればいいのだ? 死ぬまでか?」

 レゴラスは笑った。屈託なく。

 愛しい笑みに、また心が乱される。

「そうだね、貴方が自分の国を取り戻すまで。その先のことは、その後考えるよ。
どのみちたぶん、僕はこの森には戻らないだろう。
父がそうしたように、自分の住まう地は、自分で決める」

 ふと、アラゴルンは思った。在りし日の裂け谷の風景を思い出す。
エルロンドは、レゴラスを小鳥のように扱っていた。

 一時は籠に入れることも可能だろう。だが、鳥はいつでも空を想い、
どんなに慈しんでも格子の中にはおさまらない。

 誰のものにもならない。

 自由こそが、そのものの生きる価値なのだから。

「こうしよう、アラゴルン。貴方がその戴に王の証を受けることができれば、
僕も再び宝冠を身につけよう。もしそれが叶わぬなら、僕もそれを捨てる」

 運命を共にすると。

「レゴラス、俺はお前の額に輝く宝石を見てみたい」

 レゴラスは微笑んだ。

 まるで・・・婚姻の証を交す恋人同士のように。

 

 たぶんそれが、幸福の約束。

 

 アラゴルンはレゴラスの額にキスをし、彼の部屋を出て行った。

 共に死ぬことさえできぬのなら、彼が望む生を生きよう。

 

 

 

 

 夜明は訪れ、アラゴルンは王の呼出を受けた。

 中庭には、たくさんのエルフが集っていた。
そこに、アラゴルンは引き出された。

 王と王の従者の隣に、レゴラスも立っている。
口元に微笑を浮べ、事を見守っていた。ガンダルフは、レゴラスの隣にいた。

 迷いも恐れも困惑もない。
アラゴルンは、堂々と背筋を伸ばして円陣の中央に立つ。
何がおこるのか、エルフたちはわかっているようで、くすくすと笑い声も聞えた。

「案ずるな。余興だ」 

 そう言って、王は一本の剣をアラゴルンに投げた。エルフの剣だ。
そして、己の羽織っていた外套を脱ぎ、従者に渡す。

「剣を取れ」

 言われるがままに、剣を拾う。王は己の腰の宝剣を抜いた。

 黙って見つめているレゴラスに、ガンダルフが耳打をする。

「よいのか?」

「何がです?」

「王は人間を殺すやも知れぬぞ」

 レゴラスは手を口にあてて、おかしそうに笑った。

「私に王の前にひれ伏して人間の命乞いをしろと? 
何をしたって、あの人は私の言うことなど聞きはしませんよ。
それに、スランドゥイルの剣の前に怯えるようでは、人間の王は勤まりません。
大丈夫」

 ガンダルフとて、本気で仲裁しようと思っている訳ではない。
ただ、レゴラスがそのつもりなら、それでいいのだ。

 

 二人の男は、刃を交えた。

 他のエルフたち同様、スランドゥイルもまた老齢の影も見せない。
驚くほどのすばやさと力強さ。アラゴルンは後ずさり、かろうじて攻撃を防いでいた。

「あまり私を馬鹿にするでないぞ。何を考えているかは知らぬが、
逃げてばかりいるのでは、私はぬしを切って捨てる」

 スランドゥイルの言葉に、アラゴルンはニヤリと口元をほころばせた。
そして、王の剣を勢いよくはじき、攻撃に転じた。

「楽しそうだな」 

 試合というよりは演舞に近い。少なくとも、見る者はそう感じた。

 ガンダルフの言葉に、レゴラスも返す。

「楽しそうですね」

 どちらが優勢ともつかぬ試合がしばらく続き、
アラゴルンは最後の踏み込みで王の剣を叩き落した。

 歓声と笑い声があがる。

 アラゴルンは王の宝剣を拾い、跪いて王に奉げ渡した。

「人間ごときに負けるとは、私も落ちたものだな。
それとも、この者の剣の腕を認めるべきか? レゴラス」

 宝剣を受取りさやに収めた王は、息子に目を向けた。
レゴラスはにこやかに微笑んでいる。

「お前はどう思う?」

「私なら」

 レゴラスは従者から王の外套を受取り、それを父の肩にかけながら言った。

「お互い本当の手の内も見せずじゃれあっているうちに、
お二人の眉間をこの矢で貫いてさし上げますよ」

「あいかわらずの自信だな。
で、息子よ、お前はその腕を誰に奉げるつもりだ?」

 アラゴルンも、ガンダルフも、他のエルフたちまでもレゴラスに注目する。
それを軽く見回して、

「悪しき魔王に戦いを挑む者になら、誰にでも」

 そうレゴラスは答えた。

 王は高らかに笑った。

「よいわ。いつかお前は強大なる敵に立ち向う誰かに付添い、
この森を出るであろう。それが運命だ」

 王はアラゴルンに背を向けた。

「よい汗をかいた。着替えて広間に来るがよい。食事にしよう」

「父上、また宴会ですか?」

 レゴラスの言葉に、王がまた笑う。

「それは夜の楽しみだ」

 息子と従者を従え、王は館に戻っていった。

 

 

 

 玉座に座る王のもとに、アラゴルンとガンダルフは跪いた。

「アラソルンの子アラゴルンよ、ぬしをイシルドゥアの末裔として認めよう。
今後ぬしは我の王国を自由に出入りする権利を有する。
必要な申出があらば、我と我の一族は喜んでぬしに力を貸そう」

「ありがとうございます」

「ただし」

 笑みを見せぬ王の声色は、冷たく広間に響いた。

「いかなる理由があろうと、我と我の一族に対する裏切りは許されぬ。
どんな些細なことでもだ。我が裏切りを認めた場合、
ぬしは全てのエルフを敵に回すと覚えておけ」

「承知しております」

 アラゴルンは顔を上げた。

 王は、息子の心がどこにあるのかを知っている。

 それを承知でアラゴルンの存在を認める、寛大な王だ。

「よいな、レゴラス」

 王は傍らの息子を見やった。

「御意」

 レゴラスは短く答えただけだった。

 

 

 

 

 アラゴルンは、ガンダルフと共にスランドゥイルの宮殿を出た。

 事の報告に裂け谷へ戻らなければならない。
暗く閉ざされた闇の森を、また何日も歩かねばならぬのかと、
アラゴルンは苦笑して見せた。

「ここもかつては美しい森であった。人間が真の王を戴く時、
魔の力は消え去り、また光が戻るであろう」

 ガンダルフは応えて言った。

 王宮から遠ざかり、エルフの神聖な力も届かなくなる頃、
二人はふと足を止めた。ピリピリとした敵意を感じたからだ。

 息を詰めて、アラゴルンは待った。右手を剣に置くことなく、軽く握る。

 風を切る小さな音がして、鋭い矢がアラゴルンの頬をかすめて
背後の木の幹に突き刺さった。横目でちらりと見ると、
そこに一匹の毒蜘蛛が串刺しになっている。

「今度は外さない」 

 どこからともなく、怒りを含んだ声が聞える。ガンダルフは黙し、
アラゴルンは声のするほうを見た。

 木陰から現れたのは、いつかの若いエルフだ。
弓を構え、矢の先をアラゴルンの喉にぴったりとあわせている。

 アラゴルンはそのエルフを見据えた。

「よく狙うがいい。お前の敬愛する王子を辱めた人間だ」

 両手を広げ、抵抗の意志のなさを見せるアラゴルンに、
そのエルフの動きは止ったまま動かない。

「貴方の負けですよ」

 張詰めた時間に風を注ぎ込むように、彼は舞い降りた。闇の森に差込む光のように。

「ガリオン」 

 レゴラスが、その者の矢じりを掴む。
ガリオンと呼ばれたエルフは、怯んで力を抜いた。
レゴラスの手のひらから、一滴の赤い宝石が滴り落ちる。

「王の決定は絶対です。この人間を傷つけることは許されません」

「・・・王子・・・」

 それからレゴラスは、にっこりと微笑んだ。

「ですが、このことは王には報告しません。
私はまだ私の忠実なる従者を失うつもりはありません。
持場に戻りなさい。今すぐに」

 語尾は強く、一切の反論を許さぬ命令であった。
ガリオンは一礼して、姿を消した。最後にアラゴルンに見せた眼光は、
強い怒りを含んだままであった。

 アラゴルンとガンダルフが同時に肩の力を抜いてため息を吐いた。

 それを見て、またレゴラスが笑う。

「レゴラス、傷を見せてみろ」

 アラゴルンがレゴラスの手を取る。
レゴラスは言われるがままに手のひらを開いた。

「大丈夫です。エルフの武器は、エルフを深く傷つけはしません」

 確かにそのとおり、傷は浅く、ふさぎかかっていた。
それでもアラゴルンはレゴラスの手のひらの血を舐めとった。
レゴラスはすぐに手を引込め、意味ありげにガンダルフを見る。
ガンダルフは、見なかったことにしよう、と首を横に振った。

「私が護衛できるのはここまでです。気をつけて。
それからガンダルフ、父がぜひ近いうちにまた寄ってくれと申しておりました。
酒の相手が欲しいみたいですよ」

 ガンダルフは笑って見せた。

「レゴラス、また会おう」

「次に会うときは、不吉なものを持ちこまぬようにお願いしますよ」

「不吉なものとは、俺のことか?」

 アラゴルンが口をはさむと、レゴラスとガンダルフは顔を見合わせて笑った。

「灰色のガンダルフが必要とされるときは、
いつも不吉な影の落ちるときですからね」

 レゴラスは、そっとアラゴルンの肩に触れた。
その一瞬に、別れを惜しむ強い悲しみを感じる。

「さようなら、人の子よ。流れる時間を惜しんではなりません。
運命の時間を受入なさい。必要なとき、必要なものは手に入るでしょう。
貴方の持つエルフの加護を信じて」

 レゴラスは深く笑み、まるで風が通り過ぎるように闇の森に消えていった。

 

 アラゴルンとガンダルフは、また歩きはじめた。

「王の決定は、実に慈悲深い。そう思わぬか?」

 ガンダルフの言葉に、アラゴルンも素直に肯定する。

「その胸の石、大切にしなさい。もし粗末にするようなことがあれば、
お前に向けられる矢は一本では済まされぬぞ」

 胸の石。エルフの加護。アラゴルンはほくそえんだ。

「これは、俺の命です」

 

 長い別れの時間の後、

 再び歴史が動くとき、

 運命が二人を引合わす。

















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 終った終った!長かったね。でも、終ってしまうと寂しいね。
 ぜひ感想を聞かせてくださいまし。掲示板が寂しいので・・・。