夜の静寂に身を横たえて、ぼんやりと星を眺める。

「何もかも、背負いすぎだよ」

 横に座るエルフが言う。

「疲れた顔をしている」

「まだ、始ったばかりだ。フロド達の苦難を思えば・・・」

「パランティアを覗いたね?」

「思えば、俺の苦痛など取るに足りない」

 アラゴルンは落ち窪んだ目を閉じた。

「余裕のない表情をしているよ。今の貴方は・・・ボロミアみたいだ」

 ばっとアラゴルンは起き上がり、エルフの胸元を掴んだ。

 何故そうしたのか・・・?

 ボロミアを・・・死んだ男をいつまでも胸に秘めているエルフへの嫉妬か、
隠しておきたい心労を悟られての焦りか。

 エルフは、ただじっとアラゴルンを見つめる。

 その瞳の優しさは、何十年も昔から変らない。

 永遠を生きるエルフにとって、
人間はいつまでも擁護を必要とする子供のままなのか。

「エステル」

「その名で呼ぶな」

「ほら、・・・何に怯えているの?」

 アラゴルンは腕の力を抜いた。

「怯えてなどいない」

「じゃあ、やっぱり疲れているんだ」

 大きな戦いが続いた。強行軍で、ここまで進んできた。

 そして更に・・・・これから死者をも率いようとしている。

 ガンダルフと別れ。

 己の軍を率いて。

 アルウェンの奉げし旗を掲げて。

 

 後戻りのできない旅。

 否、それは今に始ったことではない。

 ひとつの指輪が見出されたときから、終りの知れぬ旅は始った。

 

 皆が俺を信じて、ついてきてくれる。

 

 それははたして、幸福なのか?

 

「一人で、背負い込みすぎだよ」

 アラゴルンは、首を横に振った。

「俺に、どうしろと?」

 レゴラスはかすかに微笑んで、アラゴルンの頭を抱いた。

「しばしの休息を」

 まるで子供にでもするように、
レゴラスは疲れた顔のアラゴルンの頬を両手で包み、
そっと唇を重ねた。

 

 

 

 エルフに強い性欲はない。

 人間のように、早急に子供を生み増やす必要がないから。

 エルフでも、熱き恋はするし、子孫ももうける。

 でも・・・

 快楽を楽しむだけの性欲は

 存在しない

 

 これは、純粋なエルフである彼には、拷問に近いのかもしれない。

 そんなことさえ思う。

 アラゴルンの腕の下で、レゴラスは目を閉じ、唇を噛んで声を押し殺している。
苦痛に歪む額に、何度も口付ける。

 たとえ誘ったのが彼の方であっても、それは・・・

 

(俺が求めているからだ)

 

 人間にとっての快楽は、エルフにとっての苦痛か。

 それでも、彼の細い身体に欲望を突き立てることを止めない。

「何故・・・」

 俺を受け入れる?

 熱き恋を語ることも、未来の約束も、何も求めないで。

「レゴラス」

 唇に指を這わせ、そっと口を開かせると、濡れた舌が淫靡にあらわれる。

 歌うことを運命付けられた唇が、嗚咽に震える。

 躊躇するように動きを止めたアラゴルンに、
レゴラスはうっすらと瞳をあけて、その表情を覗き込んだ。

「・・・やめないで・・・」

「レゴラス、お前の身体は、快楽を感じることはないのだろう?」

 レゴラスは、かすかに微笑んだ。

「あなたが・・・満足してくれれば、それでいい」

 自己犠牲の精神か。

 それとも・・・?

「僕が、貴方を受けいれることを望んだ。貴方は、僕の望みを叶えた。
それでいいでしょう?」

 本当の心は、何処にある?

 

 愛していると、言って欲しいのか?

 叶わぬものと知りながら。

 生涯、手に入れることのできる愛は、ひとつと決っている。
そして、アラゴルンはその愛の矛先を、もう決めていた。

 

 ただ身体を貪る。

 そんなセックスは、彼としかしない。

 ただ、食うものと食われるものの関係。

 夢中で欲望を注ぎ込みながら、エルフの血は甘いだろうと想像する。
白いうなじに歯を衝きたて、最後の一滴まで体液を飲みこみたい。

 そんな原始的な欲望。

 そんな時、アラゴルンは約束された王という呪縛から開放される。

 ただの、一匹の雄となる。

 

 宿命の敵も、率いるべき民も、誠意を誓った恋人も、

 そこには存在しない。

 

 熱き闇の底。

 

 そんな快楽。

 

 そして

 

 疲れた心が癒される。

 

 

 

  深い眠りに落ちたアラゴルンの傍らで、レゴラスは身体を起した。

 

 ギムリが待っているはずの己の寝床には戻らず、
野営の外れで一人静かに腰を下す。

 どれだけの時間、彼と身体を重ねていたのだろう?

 もう、夜が明けかけている。

 いつもそうしているように、レゴラスは己の装備を確めた。
弓を張りなおし、愛用のロングナイフを磨く。

「レゴラス」

 その声に振り向くこともしない。

「寝ないのか」

「休息は十分に取っています。眠る必要はありません」

 声の主は、少し前に合流した裂け谷からの使者。

「私には口をはさむ権利はないが、それでも聞きたい。
なぜアラゴルンにその身を奉げる?」

 レゴラスはふと手を止め、エルラダンを見上げた。

「・・・彼の張詰めた心には、ほんの少しの休息が必要です」

「なぜそれが、お前でなければならぬ」

「他に癒せる者がいないから。それだけです。
我らには絶対的な統率者が必要です。我らの父等が戦った、
あの戦争の悲劇を繰り返さぬために」

 先の大戦で、彼の部族の軍勢は孤立しており、そして現王を失うに至った。
彼らの損失は、人間とエルフの連合軍で構成されていたエルロンド達の、
想像を超えるものであった。

「純粋なる自己犠牲の精神でか?」

 深く笑んだレゴラスは、ナイフを握る手に力を入れた。

 刃先を掴んだ指から、鮮血が滴り落ちる。

「レゴラス!」

 エルラダンに手首をつかまれて、レゴラスは指を開いた。

「余興です。たいした傷ではありません・・・」

「馬鹿なことを。そんなに辛いのに、なぜ愛していると言わぬ?」

「・・・言って、どうなると? アルウェンに嫌な思いをさせるだけなのに」

「妹は、知っている」

「ならなおさら」

 レゴラスは立上り、ナイフをさやに収めた。

「人間の欲望は心地よい。私はそんな卑劣なエルフです」

 人間達の起き出した野営地に、レゴラスは足を向けた。

 かける言葉を捜すエルラダンに、何処からか一人のドワーフが近づき、
ニヤリと笑った。

「何にも言わないのが親切、って事もありますぜ、旦那」

「ギムリ殿」

 そのドワーフは、前を歩くエルフを大声で呼んだ。

「レゴラス! 何処に行ってたんだ? 馬に餌をやる時間だぞ!」

 ふり向いたレゴラスは、安堵したような笑みをしていた。

「ギムリ、君が餌をやってもいいんだよ? 君の馬でもあるんだから」

「冗談! 俺はあの長い鼻面はどうも好きになれなくてね」

 笑い合う二人に軽くため息をもらすと、彼の双子の片割が、彼の肩に手を置いた。

 

 

 

 アラゴルンは、大いなる威厳を持って彼らを導いた。

 

 疲れを知らぬ、大いなる統率者として。













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 まびる様へ貢物