美しい谷の風景を背景に、館主が談笑している姿を見るのは珍しい。

 日の差込まない廊下の影から、
グロールフィンデルはその姿を見下ろしていた。

 輝く髪を持った青年が、館主に笑いかけ、歌を口ずさみ、小鳥を呼ぶ。

 微笑ましい光景だ。

 本来なら。

 

 苦い木の実を口にするように、二人の姿を眺める。

 空を見上げたレゴラスが、グロールフィンデルの視線に目を細める。

 

 また、あの表情。

 

 エルロンドはレゴラスの肩に手を置き、
自分の方を向かせ、何か呟く。
レゴラスは嬉しそうに館主に笑って見せた。

 

 昼間、好奇心旺盛で無邪気な姿を見せておきながら、
毎夜彼はグロールフィンデルの褥を訪れる。

 エルロンドに見せるあの笑顔は、
決してグロールフィンデルには向けない。

 本心と偽りの、境界線が見えない。

 自ら服を脱ぎ、淫らな要求をしてくる彼に、
優しい口づけはいらない。

 それでもどこかで、無理をしているのだろうとは思う。

 彼の体は、男を受入れることに慣れていない。

 ではなぜ、傷つくほどの欲望を見せるのか。

 単なるあてつけか。

「どうした? 自分から動け」

 無茶をしていることはわかっていても、酷く扱ってしまう。
彼はグロールフィンデルの上で、苦痛に顔を歪ませ、
震える唇をかみ締めている。動けないでいる彼を責めるように、
下から突上げると、彼は両手で口を押えて悲鳴を殺した。

 

 快楽でさえない行為に、いったい何の意味があるのか?

 

「私は、いつやめてもかまわないのだぞ」

 深く進入を果しながら、挑発的に言う。
レゴラスは首を大きく横に振りながら、なんとか動こうともがく。

 汚されることのない純粋さを、どこかで保ちながら。

「淫靡な表情だ。誰がお前に欲を植付けた?」

 痛みに潤む目を開け、レゴラスがグロールフィンデルを見下ろす。

 そこには、恍惚とした輝きさえある。

 紅く染まった唇は、言葉を作れない。

 そして、残虐な感情を呼覚ます。

「いつかその美しい顔を切り裂いてやろう。
どんな悪魔が隠れている?」

 レゴラスは僅かに唇をつりあげた。
そのまま体を倒して自分を貫く男に口づける。

「・・・・切り裂くなら、この胸を・・・。
私の血で、貴方を染めましょう・・・」

 それからゆっくりと体を動かし、
半ば開いた唇から、濡れた吐息を吐いた。

 

 

 

 日の差すテラスで、レゴラスは頬杖をついて谷を眺めていた。

 それが習慣であるかのように、唇がかすかな歌を奏でる。

「ここには、・・・・歌が足りない・・・」

 呟いて振り向く。エルロンドは足をとめた。

「自分の国に、帰りたくなったか?」

 優しい声。それに安堵するように口元をほころばす。

「まるで、籠に閉じ込められた鳥のようだな。
新しい環境に、飽きたのではないか?」

「飽きはしません。ここは・・・
エルロンド卿からは学ぶことがたくさんあります。ただ・・・・・」

「ただ?」

「歌が・・・足りないのです」

 スランドゥイルは、どのように彼を育てたのだろう? 
闇に犯された森の中で。

 ノルドが遠い昔に棄て去った、神の恩恵を口ずさむ。

 血の違い、生き方の、考え方の違い・・・それとも、
かける愛情の深さの違い・・・。

 レゴラスの視線が、エルロンドの後に向けられる。
エルロンドも振り向いてその男を見た。

「お邪魔でしたか?」

 グロールフィンデルは、感情の読み取れない声で言った。
この男は、高貴な美しさを携えている。
遠いどこかにテルリの血が入っているのだろう、
黄金の髪は川の流れのように肩に落ちている。

 威厳のある上級エルフ。

 エルロンドの片腕。

 その男が、冷たい視線をレゴラスに向ける。

「少し体を動かしたい。つきあわないか?」

 レゴラスは笑むこともせず、まるで命令されたかのように立ちあがる。
エルロンドは怪訝な表情をグロールフィンデルに向けるが、
その男は冷やかに唇をつり上げた。

「エルロンド卿も、いらっしゃいますか?」

 

 

 

 広く取られた中庭の中央は、何も置かれておらず、
草が踏みしめられている。

 時折、簡単な剣術の訓練がなされる場所だ。

 前を歩いていたグロールフィンデルは、中庭の中央で足を止め、
レゴラスに剣を投げ渡した。レゴラスが剣を拾い、その切先を眺める。

 訓練用とはいえ、すばらしい切れ味が見て取れる。

 しばらく呆然と、レゴラスは剣を眺めていた。

「かまえろ」

 言われて、片手で握った剣を前に出す。思ったより軽いのは、
エルフの武器だからだ。それでも・・・・
愛用しているロングナイフよりはずっと重い。

 グロールフィンデルの動きは、優雅で隙がない。
一瞬見惚れて剣を叩き落された。

「拾え」

 言われるがままに剣を拾い、かまえ直す。息つく暇もなく攻め入られ、
じりじりと後退る。戦術に自信がないわけではない。
だが、圧倒的な力の差を見せ付けられる。

 慣れない武器に、間合が計れない。

 剣、それ自身が生きもののように、
グロールフィンデルは自在に剣を操る。

 ほんの一ミリ、切先がレゴラスの服をかすめ、
手の甲にかすかな傷を負わせ、その頬に血のラインをつけた。

 これが、英雄と呼ばれる戦士の力。

 それでも逃げることはせず、レゴラスは攻撃に必死に耐えた。

 

「もういいだろう」

 突然やんだ攻撃に、レゴラスは足の力が抜けて地面に座りこんだ。

 目の前に立ちはだかっているのは、エルロンド。
投げ出されていた剣の鞘で、いとも簡単に
グロールフィンデルの剣を受け止めていた。

「弓使いにナガモノの扱いは無理だ」

「戦場で武器は選んでいられませんよ」

 剣を引き、グロールフィンデルがニヤリと笑う。

「ここは戦場ではない」

 素直にグロールフィンデルは剣を収める。
エルロンドは振り返り、レゴラスの腕を掴んで立たせた。

「血が出ている」

 滑らかな頬を、赤い血が彩っている。

「手当を」

 指先で傷に触れようとしたとき、
レゴラスはエルロンドから視線を移した。
蒼い瞳がグロールフィンデルを刺す。

「その程度の傷の手当なら、私にも出来ます。
傷を負わせた責任として、私が処置しましょう」

 そう言って片手を出すと、レゴラスはエルロンドをすり抜けて
グロールフィンデルの手をとった。

「・・・・・」

 エルロンドの視線の先で、グロールフィンデルは笑むこともせず、
レゴラスの手を引いて歩き出した。