時は流れる。

 淀みなく。

 時代は流れる。

 神々の時代から、エルフの、そして人間達へと。

 戦乱は繰り返される。

 飽きることなく。

 

 最後の同盟の戦いの後、
エルロンドはロリアンの女王ガラドリエルの一人娘を娶った。

 それは、

 ノルドールの平和の証であるはずだった。

 しかし

 平穏な時代は、長くは続かない。

 ケレブリアンは癒されることのない傷を負い、この地を去った。

 

 繁栄と衰退のくり返し。

 

 やがて闇は、東の地、緑森を犯し、
いつしか美しき森は闇の森と呼ばれるようになった。

 

 

 

 幾多の戦いをその目で見てきたエルロンドは、闇を懸念し、
そこにあるシンダールの王国に幾度も使者を送ったが、
そのたびに王宮に招かれることなく追い帰された。

 シンダールの王スランドゥイルは、最後の同盟の戦いで敗退し、
深く傷つき、頑なに心を閉ざしてしまった。

 

 そんな折である。ノルドールの国、裂け谷に一人のエルフが訪れた。

 

 

 

 谷を警備していたエルフたちに連れられてやってきた来訪者に、
エルロンドは少なからず驚かされた。

 彼はまだ若く、小さく歌を口ずさみながら珍しげに周囲を見回していた。
それは、散策の途中、珍しいものを見つけた
シルヴァンエルフのようであった。邪気のない表情に、
蒼い瞳が輝いていた。

 そして彼は、シンダールの王、スランドゥイルによく似ていた。
紛れもない、シンダールの一族であった。

「私はスランドゥイルの息子、レゴラスです。
逍遥の途中、道に迷いこの谷へ参りました」

 エルロンドのみならず、谷の顧問たちも、
この突然の異邦者に目を見張った。

 あれほど他の国との接触を嫌っているスランドゥイルの息子が、
こんなにも無邪気に谷を訪れたのだ。

 

 

 

 本来なら、重要な会議が開かれてしかるべきである。
闇の森、シンダールの国との交渉は、エルロンドが切望していたことだ。
なのに、そのエルフは使者ではなく、ただの客として谷に滞在している。

「使者としての役割を負えぬか、王に見放されでもしたのでしょう。
でなければ、己のシンダールとしての立場を
まったく理解しておらぬのですよ。御覧なさい、あの態度を。
毎日ただ歌って過している」

 顧問たちは軽蔑気味に言った。

 しかし、エルロンドはそうは思わなかった。
あの蒼い瞳の奥には、光が隠されている。
それでも本人が目的を告げぬ以上、聞き出すことは不可能だ。
強情なスランドゥイルに似て、レゴラスは大切なことは少しも噯に出さず、
無邪気さを装っていた。

 何度もエルロンドはレゴラスを呼び、日の差すポーチで、
あるいは他者の目のない自室で、会話を交したが、
この無邪気なエルフの意図は、探れないままでいた。
そして、その無邪気さに惹かれる自分に、一人身をふるわせた。

 

 中庭で小鳥と戯れるレゴラスを、少し高い位置にあるポーチから、
エルロンドはぼんやりと見下ろしていた。
傍らに、最高顧問の一人であるグロールフィンデルが立つ。

「あれを見ていると、母を思い出す」

 グロールフィンデルは、エルロンドが最も信用する顧問だ。
普段は沈黙を守り、ひとたび必要に迫られれば最強の戦士となる。

「エルウィング様・・・ですか」

「父が海に出ると、いつも海岸で歌を歌っていた」

 ノルドールに攻め入られ、シルマリルを抱いて
海に身を投げたエルウィング。海の王ウルモによって助けられたが、
幼かった息子たちエルロンドとエルロスは再び母に会うことはなかった。

 あの時から、エルロンドは父方の血筋、ノルドールと共に生きている。

 グロールフィンデルは静かにほくそえんだ。

「ずいぶんと感傷的なことをおっしゃる。シンダールの王子に、
己のシンダールの血を奮起されましたか?」

 エルロンドは、グロールフィンデルを見て口元をつり上げた。

「あの者の存在は、危険ですな。我らにとって、あまりに異質すぎる」

「求める者には門を閉じぬ。それがこの館のやり方だ。
簡単に排除することはできない。異論は?」

 うやうやしく衣のすそを引き上げ、グロールフィンデルは頭を下げた。

「館主は貴方です。エルロンド卿」

 時々、エルロンドはこの男を本当に御しきれるものかと思う。
たとえば、今のようなときに。

「グロールフィンデル」

「はい?」

「・・・・殺すなよ」

 主の言葉に、グロールフィンデルは一瞬驚いた顔をし、
またほくそえんだ。

「殺すなら、王子ではなく、王を。ご命令を下されば、
いつでもスランドゥイルの首を取ってまいりましょう。
王を失った国を滅ぼすのは簡単。かつてのドリアスのように。
住む者のいなくなった宮殿に、我屈強の兵を送り、
モルドールへの監視塔といたしましょう」

「そのようなこと、ロリアンが許すはずがない」

「笑止。何のために狡猾なガラドリエルの娘を娶ったのでしょうか? 
ロリアンを動かすのは・・・否、目を瞑らせるくらい簡単でしょうに。
まさか、会ったこともなかった娘に愛情を抱いていたとは言いますまい」

 エルロンドはグロールフィンデルを見つめ、
そして小さくため息をついた。

「あの者の影響を強く受けているのはお前の方だ、グロールフィンデル。
そのようなこと、まさか本気で考えているわけではあるまい」

「私はシンダールを・・・スランドゥイル王を好きませぬゆえ」

「ギル=ガラドは」

 エルロンドはグロールフィンデルの肩に手を置いた。

「なぜ私を館主と指名したのか、わかる気がする。
私は、血の記憶に縛られたりはしない」

「私がノルドの血に縛られていると?」

「少なくとも、今のお前はそうだ。純粋なシンダールに、
誇り高きノルドールの血が呼覚まされるのであろう」

 グロールフィンデルは、己の肩のエルロンドに手に指を重ね、
そっと払った。

「ご心配には及びません。・・・殺しはしませんよ」

「私は、お前という右腕を失うのが惜しい。
シンダールの若き王子ごときに、フォルノストの英雄グロールフィンデルを
くれてやるわけにはいかぬ」

 エルロンドは、館の中に入っていった。
グロールフィンデルは腕を組み、主を見送ったあと、
ポーチの下のレゴラスを見下ろした。

 指先に小鳥をとまらせ、歌を口ずさんでいた王子が、
ふとポーチを見上げた。そこにいたグロールフィンデルと目が合う。
レゴラスは、目を細め笑って見せた。

「・・・・・」

 グロールフィンデルの背に、冷たいものが流れる。

 あの目は、間違いなくスランドゥイルの目だ。
すべてを悟っているような。何ものにも決して汚されぬ、
・・・・シンダールの貴き瞳。

 まるでその視線から逃れるように、グロールフィンデルも館の影に入っていった。