エレギオンは落ちた。 生き残ったノルドールはエルロンドに導かれ、 イムラドリス、裂け谷に隠れ処をもった。 数多の戦いを目にし、そして戦ってきた。 これからも戦い続けるだろう。 戦うべき運命の者として。 尽きることのない命。 エルフのさだめ。 同じ名をもつ上のエルフは、ゴンドリンの英雄。 受け告がれる憎しみは、ノルドの血筋。 迷いなど、あるはずもない。 永遠の敵、魔王サウロンは息を潜めていた。 だからといって、安穏と平和を貪る輩は、 裂け谷にはほとんどいない。力の指輪の件があって以来、 裂け谷を守る顧問達は、息を抜いたことがなかった。 選ばれた者たちが、その動向を探るべく、ひっそりと谷を出て行く。 その中に、彼はいた。 辛き旅路を歩いている間は、他のことを考えなくてすむ。 常に精神を研ぎ澄まし、高ぶらせ、緊張状態に置く。 そうしていることに、もうずっと慣れてしまったいた。 人里はなれた木立を、彼は歩いていた。 (ヌメノールもサウロンも、ここには足を踏み入れぬと見える) 頭上を飛交うつぐみのさえずりに、ふと足を止める。 明るい日の光が降り注ぎ、濃い緑の草が生気を溢れさせている。 (ここは・・・どこだ?) 不意に彼は、自分が迷っているのではないかと言う錯覚に襲われた。 何故だろう、緑溢れるこの森が、突然異世界のように感じられる。 遠くで鹿の鳴く声がし、近くの木をリスが駆け上っていく。 少し離れたところで不意に顔を上げたウサギが、 異邦者に気がついて慌てて逃げていった。 (ここは・・・) 「!」 突然彼は、腰の剣を引きぬいて木陰に向けた。 「何者だ? 返事なくば切る」 それは、気配、だった。物音はしなかった。ならば、エルフか? そして、押し殺した笑い声。小鳥のさえずりのように響くその声は、 ピリピリと神経を張詰めた彼を逆撫でする。 「何を恐れている? リスがそなたの指を噛み千切るのか、 ツグミがそなたの目を突くのか?」 「恐れなど・・・」 「では刃を収めるがよい」 木陰から現れたのは、間違いなくエルフであった。 まっすぐな日の光の色の髪。晴渡った空の色の瞳。 口元に笑みを浮べ、そのエルフは姿をさらした。 「旅人か、迷うたか」 彼はしばらく考え、森と同じ色の服を着たそのエルフをじっと眺めた。 「ここは何処で、お前は何者だ?」 「モノを尋ねるときは、まず名乗るのが礼儀ではないのか?」 殺気は感じない。むしろ、緊張感さえ。 「・・・私はグロールフィンデル。今はなきエレギオンから来た」 エレギオンから逃れた民が、今何処に身を寄せているのか、 それを口にするつもりはない。 「エレギオンは・・・・落ちたのか」 驚きと落胆の表情で、そのエルフは言った。 (知らなかったのか?) 「そうか・・・。して、生き伸びた者たちは流浪の民になったのか、 落着く先を見つけたのか?」 「素性の知れぬものに、明かすことはできない」 その物言いに、森のエルフは口元をつり上げた。 「明かすことのできぬ、安全な場所に身を寄せているのだな? それならばよい。私とてノルドールに干渉するつもりはないのでな」 「して、お前は何者だ」 「スランドゥイル、緑森大森林の王国の者だ。 国の正確な位置を教えることはできぬし、そなたを招待するつもりもない。 オロフェア王はノルドールを懸念している」 話には聞いていた。東の森に王国を築いたシンダールの一族。 森に隠れ住んでいるという。 「ノルドールの戦士よ、戦うことを運命付けられた者よ、 しかしそなたがこの森でしばしの休息を取ることを許そう」 「休息など、必要はない。・・・迷ったようだ。出口を教えて欲しい」 スランドゥイルは、不可思議な笑みをしている。 何を考えている? 「教える気がないのなら、それでもいい」 「グロールフィンデルと言ったな? 疲れた顔をしている」 「疲れてなど・・・!」 言い知れぬ苛立ちに、知らず声を荒げる。 「見知らぬエルフに平静を保てぬほど疲れているのだろう。 この先に火を起せる場所がある。そこで夜を明かすとよい。 もう日が暮れる」 まるで、魔法の言葉のように、 スランドゥイルの声はグロールフィンデルを包み込み、 初めて日が傾きかけていることに気付く。 これは・・・メリアンの魔法か? そんなはずはない。シンゴルを失った彼女は、ヴァリノールに去り、 その魔法は永遠に失われた。 音もなく前を歩くスランドゥイルが、足を止めてふり向く。 「どうした? ついて来い」 火を起しても安全だと、ただそれだけのことにも違和感を覚える。 それだけ、長き戦いに身をおいてきたということか。 食べられる木の実を集めてきたスランドゥイルが、 炎の向うで歌を口ずさんでいる。 「食べなさい。毒ではない」 言われるがままに、甘い果実を口にする。 なぜか、酷く懐かしい味がする。 先に食事を済ませたスランドゥイルは、星々を称える歌を口にする。 グロールフィンデルは、その口元を凝視していた。 「歌が珍しいのか? ノルドは歌を歌わぬのか?」 笑ってみせるその男に、からかわれているようで胸が騒ぐ。 「戦いに明け暮れ、歌うことさえ忘れてしまったか」 「正統な戦いだ。魔王の目から逃げ、 隠れ住んでいる輩と同じに思われては困る」 まるで子供を相手にするように、スランドゥイルは声を出して笑った。 「戦いは倦んだ」 逆にグロールフィンデルが挑発的に口元をつり上げる。 「ドリアスの滅亡は、己が身から出たさびだ。 ノルドールの戦う理由とは違う」 「そうかもな」 あっけなく認めて、スランドゥイルはかの壮健な宮殿を、 はぜる炎の中に思い出した。 「己の欲望の中に、呪はある。そういう意味では、 ノルドールとシンダールに、違いはない。 そして我らは、別の道を選んだ」 「隠れていても、いつかは見つかる」 「その時は」 炎を通り越して、スランドゥイルはグロールフィンデルを見た。 「また剣を持とう。それまでの間、ほんの僅かな間でいい、 我々は星を仰ぎ、花を愛で、歌を楽しむこととしよう」 なぜだろう、そんな悠長なことを言うシンダールの王の子が、 胸の黒いわだかまりを膨らませる。 ノルドールは、かの楽園を捨てたのだ。 憎しみに身を置くために。 己は二本の木の光を見ていなくとも、その血は継がれている。 上級エルフの英雄、グロールフィンデルの名と共に。 「・・・私を捕虜にしてサウロンに差出せば、 お前達の森はしばしの平穏を約束されるだろう」 「それはそなたも同じ事。魔王がこんな辺境を欲しがるとすれば」 「悪しき王は世界の全てを欲している」 「そうだな。それこそ魔王は喜ぶだろう。裏切りは奴の糧だ」 グロールフィンデルは素早い動きで炎を超え、 スランドゥイルを押倒して喉もとに短剣を押し当てた。 一筋の鮮血が滴る。 「サウロンに引渡しはせぬが、ここで死んでもらおう。 エレギオンの生き残りを助けたことを、呪うといい」 「同族殺しのノルドール・・・か」 雲間からあらわれた月の光が、金色に輝く二人のエルフの髪を照らし出す。 「癒されぬ心は、不幸なことだ」 月の光に乗せて、スランドゥイルはまた歌を口にした。 月の光を称える歌。グロールフィンデルの手から、ナイフが滑り落ちた。 「殺さぬのか?」 「・・・・お前の強さが知りたかっただけだ。 もしサウロンの手のものに捕まったとき、 そう簡単に我らのことを口にされては困る」 スランドゥイルは笑いながら身を起し、 ナイフを拾ってグロールフィンデルに差出した。 (続く・・・続くのか!?)