萩は、授業に遅れて来た。アキとは顔を合わせようとせず、 初めて会ったときのように自分に鎧を着せて窓の外を眺めていた。 休み時間も一言も話をしようとしない。 アキも、強引に会話を引きだそうとはしない。無駄なのはわかっているから。 放課後、さっさと出て行く萩に、アキは追い付いた。 「ごめん、オレ、お前が嫌なこと、した?」 何も応えず、萩は歩き続ける。アキは自転車を押しながら、隣まで来た。 「は・・・・」 「俺に、かまうな」 ぴた、と萩が足を止める。慌ててアキも止った。 「萩?」 「二度と俺に触るな!」 アキはうろたえたが、視線だけは外さない。外せない。 「それは・・・・昼間、その・・・キスしたこと・・・・? ごめん、謝る。もうしない」 唇を結ぶ萩の表情は、どこか悲しげだ。 違う、のか? 「・・・髪のこと・・・か。」 ぷい、と萩は顔をそむけて、また歩き出した。 アタリ、だな。 「もう、言わない。事情は知らないが、誰にだって触れられたくないことってあるもんな。 悪かった、本当」 数歩歩いて、萩はまた立ち止った。 「萩・・・・」 「お前なんか、部屋に入れるんじゃなかった」 冷たい氷の壁に、鍵をかけられる。アキは大きく息を吸いこんだ。 「・・・・それでもオレは、お前のことが好きだ。たぶん、抱きたいくらい、好きだ。 お前が何を抱えていても・・・オレには何もできない。だから・・・お前が必要な時だけでいい。 オレを呼べよ。オレは、お前のためならなんだってするから。」 アキを凝視していた萩は、何か言いた気に、少しだけ唇を開いた。 そのまま言葉を出せず、萩は視線を逸らせて歩いて行った。 最初から気付いていた。萩の、悲しげな、人恋しそうな表情を。 それを出さないために、必死に虚勢を張っていることも。 「オレにはお前が必要なんだ!」 歩き続ける萩に、その背中にアキは叫んだ。 アキが好んで包っている毛布。最初にアキがこの部屋で「昼寝をさせて欲しい」と言ったとき、 押入れの奥から引っ張り出してきて与えたものだ。 アキがいない間も、毛布だけはそこに居続ける。 いつしか、そこにそれがあることに、安心と不安を感じるようになっていた。 自分もそこに寝転がってみる。 どんなに突放しても、突放しても、子犬のようにじゃれてくる。 「だって、好きだから」 迷いのない言葉は、この胸を傷つける。 不安に髪を掻き毟る。 毛布を肩にかけたまま、たて続けに何本もタバコをふかす。 火の付いたタバコを握ったまま、自分の反対側の腕に目を止める。 腕の内側。シャツをめくると、かすかな傷跡が残っている。 「・・・・・・」 萩は息を止めると、火のついたタバコを自分の腕に押しつけた。 「萩は・・・?」 出席を取るために入ってきた担任が、教室を見回して開口一番に言った。 もろもろの事情で遅刻欠席する生徒は多いが、萩はほとんど無遅刻。欠席は皆無だった。 「アキ?」 机に突っ伏してるアキに声をかける。もさっと頭を上げたアキは、 「知りません」 とだけ答えた。 アキは正直、昨夜はほとんど眠れなかった。 それでも寝不足のまま早朝からバイトに駆けずり回っていたのだ。 萩がいないのは知っていたが、空回りする自分の感情を、一晩中抱えて、もう疲れきっていた。 どうせオレは邪魔者さ。 卑屈になって、教室に来てからずっと不貞寝をしていた。 「アキ、起きろ。嫌いな数学だぞ」 教師の言葉に、いつものようにクラスがくすくすと笑う。 机に突っ伏したまま、アキは空の机を見た。萩が転入してから二ヶ月。 あれは二学期の初めだったな。 萩は、自分にとって何だったのか。 きっと・・・・きっと、毛布、だ。 何も言わないくせに暖かい毛布が、オレは欲しかったんだ。 包って寝ていたかった。暖かくて、気持いい。 あいつが何に傷ついているのか、何を怯えているのか、何から逃げようとしているのか。 孤独の檻の中で、何を思っているのか。 舐めあう傷さえ隠して。 あいつは、あんであんなに温かいのだろう? あいつの隣は、なんであんなに居心地がいいのだろう? 高ぶる感情を押しつけることで、あいつがよけいに傷つくのだとしたら・・・。 アキは無理矢理目を閉じる。教師が呪文みたいな公式を説明している。 それでも・・・・・・ それでも、オレはあいつが欲しい。 「先生!」 アキが立ち上がると、はずみで机が倒れ、教室に派手な音が響いた。 「オレ、萩を探しに行って来ます」 倒れた机をそのままに、アキは教室を飛びだした。 「アキ!」 原はアキを追い掛けて、廊下でその腕を掴んだ。 「先生、きっと萩はどっかでやさぐれてます。馬鹿をする前に連れ戻してきます!」 中年の原は、ちょっと走っただけでぜいぜいと息を荒げている。 「・・・・・うん」 肩で息をしながら、原は複雑に笑んで頷いた。 「アキ、これを持って行きなさい」 原は、自分の携帯電話をアキの手に押しつけた。 「何かあったら、すぐ学校に電話するんだよ。 いいね、もし警察のお世話になる事があったら、抵抗しないで従うんだよ。 それで、学校に連絡させなさい。私が迎えに行ってあげるからね」 担任の携帯を握り締め、アキは大きく頷いた。 夜の繁華街は、居慣れた空間だ。 徒党を組んで闊歩したこともあった。 ひとりであてもなく、ふらふらすることもある。 孤独に耐えられなくなると、人ごみに出かけた。 シャッターの閉った店の前で座り込み、タバコをふかしながら人の流れを見るのは、好きだ。 誰も俺を知らない。 誰も俺を気にかけない。 淀んだ空気に溶け込んでいくような、感覚。 ふと、マッチ売りの少女の話を思い出す。 誰も足を止めない雑踏で、少女は誰にも気にかけられずに死んでいった。 それは、快感かもしれない。 心も体も、汚れた空気に溶けて、なくなってしまえばいい。 そうすれば、もう、孤独など感じなくなる。 孤独に怯えることもなくなる。 いっそ、ここの空気になってしまえば、いつも誰かしらそばにいる。 萩は何本目かのタバコを吸い終えると、もう箱には一本も残っていないことに気付いた。 根の生えそうな重い腰をあげる。新しいタバコを買いに行くために。 ああ、いっそマリファナがあればよかったのに。 ニコチンなんて、いくら吸いこんでも飛べない。 シンナーの手の入れ方は知っている。 意外と簡単なものだ。 金さえあれば。 その金も、いくらでもあるのだから。 これでまた、退学、かな。 そうしたら、もう行くところはないな。 タバコの自販機の前で、手を止める。 ヤニの臭いの染付いた口の中で、乾いた舌打ちをする。 自販機のボタンを押そうとする手を、アキが制している様な幻覚に襲われる。 幻を追い払うように腕を振りまわし、萩は自販機を拳で叩いた。 まるで幽霊のように、こっちに来いとアキが笑う。 行けない。 行けないんだ。 光の中に出たら、モンスターのように灰になってしまう。 歩きながら封を切り、萩はタバコを一本取出し、指が震えてそれを落した。 「・・・・萩・・・じゃねえか」 田舎のチンピラの風体をした数人の少年が、萩の前に立ふさがった。 「・・・・・・」 萩の目が見開かれる。 「こんな所で会うなんて、偶然だなぁ!」 「お前ら・・・・なんで、東京に?」 「俺たちはさあ、先月出てきたんだ。仲間の従兄弟が荻窪にいてよ。 高校なんていいかげんめんどいし。皆でばっくれたってわけ。でも偶然だなあ。 萩ちゃんがここにいるなんてよ。ちょうどよかった! 親から盗んできた金も、いいかげん底ついてたんだよね。」 田舎に居た時の、不良仲間、だ。仲間だと、信じていた時もあった。 連中は、優しかったから。しかし、それが萩の財布目当だと気付いた時には、 もう深入りしすぎていた。 じいさんに強制的に東京の父親に引渡された時、実際連中と切れることを、内心安堵した。 酒もタバコも薬も喧嘩も、連中仕込だ。 「なあ、萩ちゃん、面倒見てやっただろう?」 闇の世界。 誰にも必要とされない孤独な子供が、虚勢を身に付ける世界。 そこは、息苦しくて、居心地がよかった。 あそこに戻れば・・・・・ もう、もがき苦しまなくてすむ 萩は、うつろに連中を透かして闇を見つめた。 連中には、萩は札束にしか見えていない。 萩は、激しい目眩を感じた。 アキは愛用のママチャリで繁華街を疾走していた。アパートにも行ったが、いなかった。 電車に乗ってわざわざ遠くまで行くとも思えない。 だったら、駅前の繁華街をうろうろしているに違いない。 駅の反対側はゲーセンとカラオケ屋と居酒屋がごった返している。 夜には酔っぱらったサラリーマンと粋がった若者でいっぱいだ。 ゲーセンを端から一軒ずつ覗き込み、路地の奥にも入ってみる。 (どこに居るんだよ、萩!) 何度も舌打ちする。 こんなことなら、昨日の放課後、ひとりで帰すんじゃなかった。 嫌がろうが邪険にされようが、腕引張って繋ぎ止めておけば良かった。 お前が誰に邪魔にされようと、親に大切にされなくても、金髪でも、 オレにはお前が必要なんだ。必要だと思える相手を、初めて見つけたんだ! クソッ! お前の傷を、全部オレが担ってやる! オレがお前を守ってやる! だから、出てきてくれ! 「・・・・あ!」 ママチャリに片足をつき、急ブレーキをかける。 「萩!」 アキは、通りの向うに萩を見つけた。 「んだよ、そのダッセエ連中はよ!」 ひとりごちて、通りを渡るために、アキは自転車を降りた。 「なんで黙ってんの? 俺らの事、忘れちゃった? じゃ、昔話でもしようか。 土地持ち萩家の、放蕩息子の話をさ」 萩のうつろな視線が、焦点を合わせる。 「萩家のバカ息子がさ、外人パブに入れあげて、挙句にホステスのロシア女と駆落ち。 帰ってきたときには金髪の赤ん坊抱えてたってさ。お人形みたいな金髪の坊やは、 優等生から転落。手のつけられない不良になって、どこかに行っちゃったって話。」 萩は、その男をじっと見つめた。顔面が引きつり、手にじっとりと汗をかく。 「また一緒に遊ぼうよ、萩ちゃん」 ニタリと笑うその口には、シンナーで溶けた歯が並んでいる。 「一緒に飛ぼうぜ」 「萩!!」 自転車を投げ出して、人の波を掻き分けながら、アキは叫んだ。 「萩! オレを呼べよ!!」 驚いたように萩がふり向く。 「オレを呼べよ!! 助けを求めろよ!!」 ひとりで波に逆らって、ひとりで波に流されて。 「萩!!」 咽そうな歓楽街の熱風に、萩は拳を握る。 「・・・・・あ・・・・」 それは、孤独のカラを破る呪文。 「アキ・・・・」 萩は大きく息を吸いこむと、その名を叫んだ。 「アキヒロ!」 ぱっとアキが顔を輝かせる。 「っしゃあ!」 連中の輪に飛びこむと、萩の肩に触れていた男の手を叩き落す。 「その汚たねえ手で、オレのダチに触んなよ」 鼻先をひくつかせる男たちに、アキはベッと舌を出して見せた。 「こいつはもう、オレのもんだ。触んじゃねえ」 喧嘩には、慣れていた。小さい時からビンボーだのなんのとからかわれては、 拳を振り上げてきた。悪いことはしなかったが、喧嘩だけはよくした。 喧嘩の強さが、自分の強さだと勘違いしていた。 欲しいものが手に入らない憤りを、子供ながらに喧嘩で発散させていた。 それをしなくなったのは、原先生のおかげだ。 「喧嘩すると、腹が減るだろう?」 先生はそう言って、カップラーメンをくれた。それから、無駄な喧嘩はしなくなった。 アキは、皆に大事にされている。家族にも。貧乏でも笑いがあったし、 おたがいを大切にしている。生きる基盤がそこにあるから、踏ん張れる。 もしそれが全部なかったら・・・・・。 「オレがお前を大切にするから!」 アキは、萩にそう言ってやりたかった。この喧嘩が終ったら、言おう。 チンピラの風体の少年の、一番ちびっちゃい奴がナイフを抜く。 「抜けられると思うなよ、萩!」 ふり向いた萩の顔面にナイフが振り下ろされる。 と、アキは滑り込んでそのナイフを握ってもぎとった。手のひらが切れる、嫌な感覚。 「貧乏人のパワーをナメんなよ!」 ニッと笑う。 「・・・・アキ!」 萩はとっさに自分のジッポライターをアキの手のひらに押しつけ、それを握らせた。 傷口が圧迫されて、痛みが薄らぐ。 それに、パンチの威力が増すしな。アキはほくそえんだ。 「萩ちゃん、そんなにボコにされたい?」 あの男に言われ、萩は一瞬奥歯を噛んだ。リンチされる仲間を、見たこともある。 それは、植付けられる恐怖。 「・・・・・・真剣に、一度でも本当に強くなりたいと思ったことのないお前に、俺は負けない」 萩はポケットのタバコを取り出すと、それを男の目の前に差出した。 「?」 指で弾くと、反射的に男がそれを避ける。避けた方向に、萩は膝を振り上げた。 いつのまにか人だかりができ、誰かが呼んだ警官が、叫びながら少年たちを抑えつける。 アキはすぐに降参したように両手を上げた。興奮の収まらない萩は、警官に羽交い絞めにされた。 「そのハゲ、逃すな!!」 慌てふためいて逃げ出す少年たちのひとりを、萩は指差した。 アキがタックルしてスキンヘッドの少年を取り押える。 その後は、警官に任せることにした。 アキと萩、それに逃げそこなった何人かの少年が警察署に連れて行かれる。 持物を全部出せと言われ、ポケットを全部ひっくり返す。 萩が持っていたのは、小銭とちょっとした札。 アキに至っては、原先生から借りた携帯電話のみ。 そういえば、さっき喧嘩の時、萩はタバコもライターも捨てたな。 案外知能犯なのかな、と、アキは密かに感心した。 家族に連絡して迎えに来てもらう、と言われたが、アキはこの携帯の持主、 学校に連絡して担任に迎えに来てもらいたいと懇願した。 ちんぴらに絡まれただけというアキの願いを、警察官は聞きいれてくれた。 すぐに原は迎えに来てくれた。警察の人と話をし、 彼らの家族には学校から連絡するからと頭を下げてくれた。 「なんで、先生が・・・?」 萩が顔をしかめる。原は、ちょっと疲れた表情で笑った。 「大事な生徒たちだろう?」 原の運転するバンの後部座席に、アキと萩は座っていた。 「なあ、先生、あいつらは?」 「あの、喧嘩した子たちかい?」 アキがこくりと頷く。 「あの子達はねえ、あのスキンヘッドの子が大麻を所持していたから、今夜は帰れないよ。 それに、家出だったらしいしね」 アキが萩を見る。あのスキンヘッドを捕まえろと言ったのは、萩だ。 「あいつ、昔から荷物もちだったんだ。」 そ知らぬ顔で萩は答えた。なんて恐ろしい連中と付き合っていたんだ・・・! 「・・・あんなのと付き合ってたら、そりゃ人間不信にもなるよな」 「いい奴もいるんだよ。でも、みんな、親からも学校からも爪弾きにされて・・・・ つるむしかなかったんだ」 萩は、バックミラーに映る、運転する原を見た。 「子供ってさ、関る教師によってその後の人生変るのな。 オレもさ、原先生に会わなかったら、ヤクザもんになってたかも」 アキはけらけらと笑った。 「教師は何もできないよ」 ハンドルを握る原が微笑む。 「人生を変えるのは、その子自身だもの」 アキと萩が顔を見合わせる。 「君たちは、いい子だよ」 原はそう言って笑った。