「萩 藍くん。今日からこのクラスの仲間だ」 歯の浮くような台詞で、頭のはげかかった中年の教師がその少年を紹介した。 高校の夜間部。四学年は一クラスづつで、この一年生クラスには十数人が在籍していた。 年齢も職業もばらばらの生徒たち。 昔は社会人に門を開けた教育機関だったが、 昼間の学校にドロップアウトしたスリースクール的な要素も、近年は見られる。 萩は、その典型だった。 やわらかに染められた栗色の髪。顎の細い、白い肌。 汚れのない白い長袖のシャツと、はき古したというよりそう加工された真新しいジーンズ。 一目で金持とわかる服装。はだけた胸と、指にはめられた銀のリング。 アーモンド形の瞳はつまらなそうに教室を見回し、薄い唇はゆるく結んでへの字に曲げている。 「アイちゃんだってよ。女かよ」 派手な金髪を立たせた男の笑いに、教師の隣でおとなしく立っていた萩は教壇を蹴った。 「てめぇ! 前出て来い!」 慌てて教師と、前の席にいた生徒が萩を取り押える。 「一日目から問題を起さない!」 「好きでこんなトコ、来たんじゃねえ!」 「わかったから、はい、座って」 教師に腕を引張られ、一番前の窓側に座らされる。 「アキ、面倒見てやって」 隣で机に突っ伏していた男が、もさっと顔を上げた。 「あー?」 「熟睡して聞いていなかった?」 もさっとしていた男が、もさっと頷く。 「転校生ね。萩君。アキと同じ年だから、よろしくね」 アキと呼ばれた男が、萩を見る。意外と若い。 「あー、オレ、アキヒロ。アキでいいよ」 萩はぷいと窓の外を向く。 「牛乳、飲む? 落着くぞ」 かばんから出された牛乳パックは、もうよれよれだった。 「いるか、んなもん!」 「あ、そ。じゃ、やんねえ」 アキは自分で牛乳にストローを刺し、ずるずると飲み始める。 「アーキー、授業中は飲食禁止」 アキはニヤッと笑い、急いで牛乳を飲干した。 萩は、好んで夜間高校なんかに来たのではない。 昼間の普通の高校を退学させられ、ふらふら遊び呆けている彼に手を焼いて、 家族に無理矢理入学させられたのだ。 もちろん授業などまともに受けるつもりもない。 「聞きたくなければ聞かなくてけっこう。 ただし、やる気のあるほかの生徒の邪魔だけはしないように」 入学したその日に、萩は担任の中年教師に釘を刺された。 教科書を出すこともせず、萩は授業中ぼんやりと外を眺め続けた。 一限目が終ると、夕食をとるための長めの休み時間がある。 生徒たちは、持ってきた弁当を食べていた。 萩は、空腹を感じることもないので、ポケットからタバコを取りだして口にくわえた。 「教室は禁煙だぜ」 隣のアキが声をかける。いぶかしげに彼を見ると、 アキは試しているかのようにニヤニヤと笑っていた。 「どこならいい?」 「外」 親指を立てて、真暗な校庭を指差す。 萩は立ち上がると、タバコを持ったまま職員用の昇降口まで出て行った。 コンクリートの段に腰掛け、愛用のジッポでタバコに火をつける。 ゆっくりと吸いこみながら、萩は気だるげに煙を吐きだした。 「お前、案外いい奴な」 いつのまにか隣に来ていたアキは、コンビニ袋からおにぎりを取りだした。 「ああ?」 「最初の日もさ、座れって言われて素直に座ったし、授業の邪魔もしないし、 今も外で吸えって言われてちゃんと外に出た」 隣でニコニコされて、萩は視線を逸らす。 「うっせえよ」 ぶっきらぼうに答えて、またタバコをくわえる。 しばらく無言のまま、アキはおにぎりを食べ終え、 萩は吸殻をコンクリに押しつけて消すと、またタバコの箱にしまった。 「ちゃんと持って帰るんだ」 細かな行動を指摘され、萩はアキを睨んだ。 「てめぇ、何様だよ?」 「アキ」 名乗って、またアキはニヤッと笑う。 「そういう言葉使い、似合わないから止めた方がいいぜ」 おにぎりのゴミをコンビニ袋に押しこんで、アキは言った。 言葉使いが悪い、目つきが悪い、そんなことは散々言われてきた。 「なんつうか、ムリしてるってカンジ? ほら、子猫が威嚇してるみたいな」 子猫・・・? 一瞬、萩は拳を握ったが、すぐに手を下した。 「・・・・吸うか?」 タバコの箱を差出すと、アキは首を横に振った。 「そういう嗜好品は、やらないんだ。だって、もったいないだろう? それ一箱で、おにぎり二つ買えるんだぜ?」 「貧乏臭い」 「だって、貧乏だもん」 アキがそう言うと、それを証明するかのようにアキの腹が鳴った。 「ウチ、貧乏だから夜間来てんだ。ここ、授業料安いしさ、昼間働いてるし」 ふうん、と萩は鼻を鳴らした。 「メシくらい、おごってやろうか?」 反射的な言葉に、アキの表情がちょっと強張る。 「他人にたかるほど落ちぶれちゃいないぜ。武士は食わねど高楊枝・・・ってね。 施しも同情もまっぴら」 意外に真剣なアキの表情に、萩は俯いた。 あ、と、アキも萩を傷つけてしまった事に気付く。 「お前、ホント、いい奴な。でもさ、誰にでもおごるの、よくないぞ。 それ目当てで寄って来る奴、多いから。お前、金持そうな顔してるもん」 俯いたまま、上目遣いでアキを睨む。アキはにぱっと笑った。 「教室、戻ろうぜ。授業始るし」 アキは年中居眠りをしていたが、それ以外は勉強しようと努力をしているようであった。 生徒とも教師とも仲がよく、底抜けに明るい。 それに、教室の隅で不貞腐れてる萩を、 なんとか皆の所に連れて行こうとちょっかいを出し続けた。 「お前、うざい」 話しかけてくるアキに、萩は言捨てた。 「やっぱり?」 けらけらとアキは笑った。 「なんで俺にかまうんだよ?」 「うーん・・・・美人だから。一目惚れ、かな」 恥しげもなくそんなことを言うアキに、萩は一瞬呆然としたあと、拳を振り上げた。 アキは平然とそれをかわす。 「アキは人一倍寂しがりやだから、誰とでも仲良くしたいんだよな」 教室に入ってきた教師に言われ、アキはまたけらけらと笑った。 「オレ、喧嘩はしない主義なんだ。腹減るから」 カラ振りした手を所在無さ気に振りながら、萩も席に着く。 その日の放課後、萩はほとんど何も入っていないスポーツバックから、 カロリーメイトの箱を取り出した。 「タバコの代りに買ってみたけど、不味いからお前にやる」 確かに、箱は封が空いていて、一本かじった痕がある。 「施しは受けない主義だと言ったろう?」 「じゃ、捨てる」 何のためらいもなく、萩は教室のゴミ箱にそれを投げ入れた。 「あーー! もったいねえ!!」 慌ててアキが拾うと、萩はニッと笑った。 カロリーメイトの箱を大切に抱えながら、アキは萩を見つめた。 「んだよ、俺の顔に何かついてるか?」 萩の笑みが消える。と、アキは嬉しそうに笑った。 「笑ったトコ、はじめて見た」 「だからなんだよ?」 「すっげー好み」 アキの言葉に、萩の表情が怒りに代る。衝動的に近くにあった椅子を蹴飛ばす。 「ざけんなよ! てめぇホモか? ムカつくんだよ! 俺は女じゃねえ・・・・!」 暴れ出す萩の腕を、アキは掴んだ。 「ごめん、そんなつもりじゃ・・・」 細くて弱々しく見える萩は、喧嘩慣れしているのか思いの外力がある。 だが、力比べならアキにも自信があった。 「そうじゃなくて! だって、お前、すっげー優しいじゃないか!」 押えつけられる腕を、萩は振り払った。 「あからさまに同情されるのって、すっげームカつくけど、 優しくされるのって、やっぱ嬉しいし」 萩の怒りは鎮火し、どう反応していいかわからないように俯く。 そういう仕草は、可愛らしくも見える。それから、照れているのか、 萩はかばんを掴むと無言で教室を出て行った。 アキは自分のリュックとカロリーメイトを掴んで慌てて追い掛け、昇降口で萩を呼びとめた。 「ありがとう!」 小走りだった萩が、足を止めてふり向く。 「なあ、萩、ダチになろうぜ!」 ちょっとだけ笑って、萩はまた背を向けた。 「また、明日な!」 アキは派手に手を振った。 それから、萩はアキとぽつぽつと話しをするようになった。 「そんでさあ、父ちゃん、借金抱えちまって、一家路頭に迷っちまったってわけ」 休み時間、アキはおかしそうに笑った。まるで、他人事のように。 「だからさ、オレ、ホントは義務教育終ったら働かなきゃいけなかったわけ。 でもさ、貧乏で学歴もなかったら、ホント、最低だろ? だから、夜間でも高校行けって母ちゃんに言われてさ」 黙って萩は聞いていたが、同情している素振はないし、そういう相づちも打たない。 「・・・萩って、無口?」 そう突っ込まれて、萩はぷいとそっぽを向く。 「関係ない」 「人間不信とかー?」 アキに肩にのしかかられて、萩は身をよじった。 「キショイ」 けらけらと笑いながら、アキは両手を広げた。 「楽しそうだな、アキ」 授業に入ってきた教師に、アキはニヤッと笑った。 「萩、学校は慣れたか?」 教師の質問に、萩は相変らずそっぽを向く。 「うんうん、いい傾向だ。じゃ、数学の授業をはじめる」 萩は教科書もノートも出さなかったが、教師の話だけは真面目に聞いていた。 放課後、真暗な校庭を、自転車を押すアキと並んで萩が歩いている。 それを職員室から担任の男は眺めていた。 「原先生、あの二人、仲良くなったみたいですね」 残っていた事務の女性が声をかける。担任の原は、孫でも眺めるように微笑んでいた。 「アキは、頑張り屋さんだからね。クラスを引張っているようでも、 無駄話ができる友達っていないんだよ。それだけの余裕がないから」 事務の女性も、並んで歩く二人を眺める。 「萩君がアキ君を変える?」 「どうかな。萩君は、いい子だよ。いい子だってアキが見抜いてくれれば、 アキが萩君を変えられるだろうし、同世代の友達ができれば、アキも楽になれるんじゃないかな」 水曜の午後、学校が始る前の時間、アキの誘いを萩は断らなかった。 水曜の午後はバイトが休みなのだという。 アキが萩を連れて来たのは、公立の図書館だった。借りてた本を返却するのだと言う。 その後、また何か本を借りるからと、アキは萩と書架をぶらぶら歩いた。 「小さい時から、オレ、図書館って好きなんだ」 「なんで?」 「タダで本が読み放題。それに、何と言っても冷暖房完備! 真夏や真冬は仮眠にもってこい」 悪戯っぽく、ニヤッと笑う。萩は不思議そうに首を傾げた。 「俺、本なんか読まないし」 「そうなん? けっこう面白いよ」 「かったるい」 アキは肩をすくめた。 「萩は、休みのときって何してんだ?」 「・・・・べつに・・・・」 何をしてると聞かれても・・・・特に思い当らない。 好きなテレビがあるわけでもないし、ゲームとかもそれほど好きじゃないし。 繁華街をふらふらしていることはよくあるが、一緒にいて楽しいと思える友達もいない。 時間つぶしにつるむ仲間は多少いるが。 アキは流行の推理小説を手に取り、コレを借りると言ってカウンターに向った。 書架に取り残された萩は、整然と並んでいる本たちを眺めた。物言わぬ本たち。 彼らは、決して干渉してくることはない。こちらから手を出さぬ限り。 タイトルを目で追っていて、ふと並んだ作者に目を止める。 A・グヴィン。昔読んだことがある児童文学だ。 懐かしげに手に取ると、アキが意気揚揚と戻ってきた。 「それ、知ってる。読んだぞ。面白かった」 「うん・・・俺も、昔読んだ」 へえ、とアキは顔を輝かせた。 図書館からの帰り、二人はその本の話をした。 授業までにはまだ時間があるので、途中公園に寄る。 話してみると、萩はけっこういろんな本を読んでいた。 授業態度がアレだけ不真面目でも、授業の内容にはそれなりについていってるということは、 萩はけっこう頭がいいのかもしれない。 「なんで、不良のふりなんかしてんだ?」 不意に、アキが核心をつく。一番痛いところを衝かれた証拠に、萩はそれから黙り込んだ。 「萩?」 公園のベンチでじっと足元を見ていた萩は、 「どうでもいい」 と、吐き捨てて立ち上がると、学校に遅れると言ってふり向かずに歩いて行ってしまった。 ベンチに座ったままのアキは、大きく溜息をつく。 一歩近寄ると、一歩逃げていく。 相性、悪いのかな? 萩は、自分のことは話さない。ガラスケースに自分を閉じ込めているみたいだ。 表面のカラを叩くと、刺を出す。なのに、放っておくと優しい一面を見せる。 いつも腹をすかせているアキに、なにかしら理由をつけて食い物を持ってきたり、 それを受取ってもらえると、嬉しそうに笑ったりする。 顔や名前にコンプレックスがあるのはわかったが・・・それだけなのだろうか? 向うは人と関り合いたくないと思っているのだから、無理に近付くことはない。 わかっていても近付きたくなるのは、きっとあの笑顔のせいだ。 本当は、友達が欲しいのは、自分の方。 その日、萩は学校で一言もしゃべらず、授業が終るとさっさと教室を出て行った。