「早く手を打った方がいいよ。直にこっちにも手が回る。
暴力団の資金源になってるってのがバレたら、組の方もタダじゃ済まないよね」

 和室の隅に自分のジャケットやコートが積まれているのを見つけた戸村は、
それらも身につけ、自分の携帯電話や財布、マンションのカードキーなどを確認した。
それらは無傷で残っていた。

 金田は慌てた様子で組の方に連絡を入れ、指示を仰いでいた。
まったく、小物が余計な事をするから。

 まだ銃を握ったまま、榊は事の次第を傍観している。

「何です?」

 コートの前を引き寄せる戸村に尋ねる。

「東だよ。ここのサイトからの流出DVDを探ってたんだ。
店の見当まではつけてたんだけどね。上手くやってくれたみたいだ」

 コートの中のくしゃくしゃのハンカチを取りだし、戸村はまず榊の左手の銃を受けとり、
その指紋を丁寧に拭く。
慌ててパソコンに飛びついて画像その他の削除作業をしている長谷川の、
目の前で弾丸を抜き取って空になった銃を置く。
榊の右手の銃も受けとり、同じように指紋を拭く。
その途中、口から泡を吹いて弁明している金田に銃口を合わせる。榊は眉を寄せた。
金田は戸村を見上げ、蒼白な顔で顎を落す。
戸村はつかつかと歩み寄り、冷たい目で金田を見下ろした。銃口を金田の額に付ける。
金田は卒倒しそうなほど目を剥いている。

「おとなしくしてりゃ、いいものを」

 すっと戸村は銃口をスライドさせ、畳に落ちているハンディカメラと、
まだ回り続けている固定カメラに照準を合わせ、続けざまに二発、正確に打ち抜いた。

 それからまた丁寧に指紋を拭き、弾を抜いて金田の足元に投げる。

「帰ろう、榊。ここが踏みこまれる前に」

「はい、坊ちゃん」

 戸村が榊の肩に手を置くと、榊は仰々しく頭を下げた。

 パソコンに向っていた長谷川が、恐る恐る顔を上げる。

「あんたら、いったい…………?」

 ドアに向っていた戸村は、立ち止ってふり向いた。

「関東指定暴力団武田組総組長、武田 真之介様の御曹司、戸村 真司様」

 榊の言葉に、戸村は肩をすくめた。

「んなタイソウなもんじゃない。僕はカタギだからね。
もっとも、じいさんは後継にしたいみたいだけど」

「自分は坊ちゃんについて行きます」

「だったら、物騒なモン振りまわすんじゃないよ」

 武田組の家門の入った短刀、ドスを戸村は榊に返した。
これは、組長である真之介が功績を認めた者だけに与える、ヤクザの勲章みたいなものだ。
榊は短刀を大事そうに懐にしまった。

 愕然としている長谷川たちを残し、戸村は榊を従えて部屋を出た。

 

 

 部屋を出て、外階段を降り、一階の奥、共用ブレーカーのあるあたりで戸村は足を止めた。
周囲を見回し、積み上げられた廃棄されたダンボールやら粗大ゴミやらの陰に声をかける。

「敦」

 狭っ苦しいその陰から、体の小さい敦は這い出てきた。

「ばかが。見つかったら殺されるトコだったんだぞ?」

 埃まみれの敦は、パタパタと服を叩きながら苦笑いをする。

「でも、助かった。ホント、ナイスタイミング」

 ウインクをして、戸村が右手を出す。敦は嬉しそうにその手を叩いた。

 連れだって表の道に出る。とたん、夜の界隈に銃声が響き、
榊は戸村と敦を抱きかかえるようにして道路に伏せた。二発目の銃声。
戸村は榊の懐の短刀を、自分の上に覆い被さっている榊の背中で両手で持った。
ズシっという衝撃。ビンゴ。銃弾は短刀の鋼に跳ね返った。

「敦!」

 逃げろ、と言おうとして、戸村は言葉を止めた。
敦は、道路に転がっている空缶を拾うと、力いっぱいビルの上方に投げた。
自棄になって飛び出してきた金田が、そこにいた。隠しもせずに銃を握っている。
敦の投げた空缶は、見事金田の額に命中した。

「すげー!」

 榊に助け起されながら戸村は感嘆する。敦はニッと笑って見せた。

「俺、中学ん時まで野球少年だったんです」

 戸村は、もう一度敦と手のひらを合わせた。

「車まで走るぞ!」

 戸村は二人を促し、車まで全力疾走した。
三人が車に乗りこんでエンジンをかける頃、銃声を聞きつけた誰かが通報したのだろう、
パトカーのサイレンが聞えてきた。

 

 

 敦は助手席に座り、戸村は後部席でシートに埋もれる。さすがに、疲れた。
榊は戸村を気にして、ちらちらとバックミラーを見る。

「真司さん、病院に?」

「ばーか。怪我なんかしちゃいないよ。それよりマンションに帰ろう。みんなが待ってる」

 戸村は自分の携帯電話から東にかけ、無事だ、今から帰ると告げた。

 それから一息つき、握ったままでいた短刀をかざしてみる。
刃は黒く焼けこげた痕が残っているが、折れてはいない。さすが、職人技。

「銃刀法違反、だぞ。まったく、どれだけ法を犯せば気が済むんだか」

 すみません、と榊は肩をすくめる。

 でもそれは、戸村さんを助けるために……と、敦は反論したかった。
反論しようと後部席に顔を向けたとき、改めて戸村の姿に驚いた。
頬には殴られた痕の蒼あざ、唇は切れ、眼鏡も曲っている。
腹痛でも我慢するようにコートの前を手繰り寄せている。
敦の表情を見とった戸村は、ため息をついた。

「こんなん、大したことじゃない。ったく。榊を見張っておけと言ったろう? 
わかってんのか? 敦、榊は仮出所の身なんだぞ? 
何かちょっとでも問題を起せば、すぐに刑務所に逆戻りで、
そうなったらもう二度と出て来られない。
お前、榊のことが好きだったら、もうちっとその事を肝に銘じておけ」

 こんな姿になっても榊の事を心配している戸村に、敦は謝るしかなかった。

「真司さん………」

 バックミラーを覗く榊の表情は、複雑だ。

「僕のことを本当に案じているなら、二度と法を犯すような真似はするな」

 榊も、やはり謝るしかなかった。

 

 

 マンションに戻り、戸村は二人を引連れて自分の部屋のドアを開けた。
敦はしょんぼりとついて来ている。

「真ちゃん!!」

 出迎えに飛び出してきた杉田に、敦は驚いて身を引いた。

「真ちゃん! もう、本当に心配したんだからね!」

「悪かったな。大丈夫だから。で、そのカッコウは何なんだ?」

 杉田は、真赤なボンテージに身を包んでいた。
普段のスーツ姿も中々なものだが、女王様ルックも板についている。
男だということを忘れてしまうほど。

「店の偵察に行ったのよ。SM専門だって聞いてたから」

 にっこりと笑ってポーズを取る。戸村は敦にふり向き、唇を吊り上げた。

「こいつ、昔、ニューハーフ・バーで女王様のショーをやってたんだ」

 納得できるんだかできないんだか。

 リビングに入り、敦はまた驚いた。
敦の知ってる、あの閑散としたイメージはそこにはなかった。
戸村の社員の全員が揃っている。みんなそれぞれにノートパソコンを持ち寄り、作業をしている。
特に東は、壁際の大層なオーディオセットの前に座りこみ、
ヘッドホンを耳に当ててダイヤルを調節している。
戸村は社員達の呼びかけに応えながら、東のそばに身をかがめた。

「どう?」

「店の方は完全に捜査が入っている。事務所の方は……誰か発砲したのか? 
けっこうな騒ぎになってるな」

 呆然と立ち尽している敦に、榊は耳打をした。

「あれは、警察の無線を傍受できるんだ」

 そんな凄い機械だったのか。東の様子を眺めていた坂本は、敦を見上げてニヤリと笑った。

「東のオモチャさ。ちなみに、あの馬鹿でかいテレビは、大門がゲームやるのに役立ってる。
玄関のシューズボックスは杉田のブーツで埋っているし。戸村の部屋は、みんなの溜まり場さ」

 なるほど。戸村一人のときは寂しげに見える部屋だが、
みんなが集るのにはちょうどいい広さだ。

「血のニオイがする」

 ヘッドホンを耳に当てたまま、東が戸村を見る。
おや、ととぼけて首をかしげる戸村のコートの前を、東はがばっと広げた。
戸村は慌ててまた体を隠す。一瞬だったので、他の誰も中を見てはいなかった。
知っているのは、榊だけだ。

「胸だけじゃないな? 服もズタズタだ」

 戸村は口元を歪め、「着替えるよ」と寝室に向った。

「榊、お前も着替えろよ。返り血がついてる」

 戸村に言われ、榊は自分の袖口を見た。連中を殴った時、鼻血か何かが付いたのだろう、
赤黒い汚れが付着している。榊は敦に、ここで休んでいるように言って、
戸村の後について寝室の方に歩いて行った。

「まったく、東ちゃん好みになっちゃって」

 キッチンに立っていた杉田が、温めたミルクを持って来てカップを敦に手渡した。
受け取った敦は、礼を言って座りこむ。

「勘違いするな。俺はサディストじゃない」

 不満げに言って、東はまたコンポに向き直った。

「苦痛を与えるのは趣味じゃない」

 俺が興味あるのは、戸村の内臓さ。東は、その台詞は胸にしまいこんだ。

「警察」

 ミルクを一口飲み、気が付いたように敦が口を開く。

「ちゃんとした証拠もないのに、よく警察が動きましたね」

 敦の質問に、西口と寺田がくすくすと笑う。
二人は手を握り合っていて、本当に付合っているんだ、と、敦は改めて理解した。

「私の元カノのパパが、警察の偉い人なのよ」

 西口の言葉に、へえ、と目を見開く。元カレではなく、元カノ、か。

「大門が情報根回ししてくれたし」

 坂本が付足す。

「坂本ちゃんがサイトの画像、警察のホームページに送っちゃったのよね」

 杉田もにっこりと笑う。

 なんか、凄い人たちだ。敦は感心する。戸村も凄い人だが、戸村の友人たちも凄い。

「すみません。もとは俺が」

 恐縮する敦の背中を、杉田がパシッと叩く。

「榊さんの恋人で、真ちゃんが助けるって決めたんだから、あたしらが手を貸すのは当然」

「っつうか、あの金田ってヤクザもんは、戸村が狙いだったしな」

 ヘッドホンを着けたままの東も口をはさむ。

「あたしらみんな、真ちゃんのためだったら、何でもするわよ」

 ふと見回すと、自分の仕事を終えたそれぞれは、もうパソコンを畳み、
飲物を飲んだり菓子をつまんだりしている。無線傍受を楽しんでいる東を除いて。

「………なんで、ですか? 友達だから?」

 そこまでしてくれる友人など、敦にはいない。

「俺らはさ、みんな特殊な趣味を持ってるからさ。
イマドキの連中の中にいると、疎外感を感じたりするんだよ」

 自分のパソコンを閉じた坂本は、ビールの缶を開けていた。

「戸村さんは、ありのままのボクたちを、認めてくれるんですよ」

 大門のノートパソコンの表面には、何かのキャラクターのステッカーが貼ってある。

「居場所を作ってくれる。だからボクらも、戸村さんの居場所を守るんです」

 居場所。

 自分の居場所は、どこなんだろう。

 楽しそうに談笑する彼らを見ていると、羨ましくて、切なくなる。

 敦も、確かに自分でも戸村に惹かれていることは否定できない。
好きだ、と、思う。でも、戸村と榊の関係は親密で、そこに割って入ってはいけない気がする。
そこに自分の居場所はないと思う。

 戸村のために飛び出していく榊を、止められなかった。

「………榊さん、着替え、置いてあるんですか」

 ミルクのカップをローテーブルに置き、敦が呟く。
坂本は杉田と視線をあわせ、両手を広げた。

「さっきも言ったように、ここは俺らの溜まり場さ。
ここで飲んだくれて寝込むこともあるから、たいていみんな着替えの一式は置いてある」

 すくっと敦は立ち上がった。さきほど戸村と榊が消えた寝室の方に足を向ける。

「あ………」

「杉田」

 敦を止めようとする杉田を、東が引き止める。杉田は困惑した表情を東に向けた。

「二人でいるところ、見ない方がいい」

「見た方がいい」

 確固たる口調で東が言う。

「ちゃんと知っておいた方がいい」

 杉田は肩をすくめ、敦の背中を見送った。

 

 戸村が心配、なのは確かだが、それ以上に榊のことが気になり、
いけないとは知っていても敦は見に行くことを止められなかった。
ただの着替えにしては、時間がかかりすぎている。榊の気持ちを、確めずにはいられない。

 寝室のドアは、完全に閉められてはいなかった。そっと手をかけ、数センチ開く。

(いけない。覗き見なんか、いけない)

 動悸が早くなる。耳の奥で、心臓が脈打っている。中からは、物音一つしない。
まるで、全ての音が消えてしまったように。音だけではない。
世界の色も、消えてしまっている。何もかも。信じていた、信じたかった、何もかも。

 シャツを脱ぎ、背中の彫物を露にした榊は、ベッドサイドに座っていた。
ボロ切れになったシャツを脱いだ戸村は、そっと榊の背に寄添っていた。
榊の広い背中に頬を寄せ、左手を榊の胸に回している。
心臓の音を確めるように、左胸にしっかりと手のひらを押付けている。
その戸村の手を、上からそっと榊は握る。

 音もない、色もない、時間さえない、世界。

 何も言わない戸村の言葉が、敦の胸に響いている。

(生きている)

 生きている。生きて、ここにいる。

 それだけでいい。

 それだけで。

(お前がいるだけで、生きていける)

 いつも強気の戸村が、まるで幼い子供のように、榊に寄添う。
弱音を見せない戸村が、すがるように頼る存在。

 目を閉じ、榊の温もりを確めていた戸村が、不意に目を開け、ドアの外の敦と目が合った。
敦はよろめき、両手で口を覆った。枯れるほど泣いたはずなのに、また目の奥が熱くなる。

 戸村は一度榊の背に口づけし、体を起した。
うつむいて戸村の手を握っていた榊も、顔を上げる。
敦に見られていたことに気付き、眉を寄せる。

 どうしようもない、決定的瞬間。

 戸村は立ち上がって、ベッドに投げ出してあった新しいシャツに手を通した。
敦は、戸村の体が傷だらけなのを見た。大半は古いものだが、新しい痕もいくつかある。

 なんて、痛々しい。

 シャツの前を止めてから、戸村はつかつかと歩いてきて、寝室のドアをいっぱいに開けた。
戸村の後で、榊も洗ってあるシャツを着込んでいる。

 両手は下したものの、敦は動けず、唇を一文字に結んだまま目を見開いて戸村を見上げる。
眼鏡をかけていない戸村は、クセのように目を細める。
それから眉間の力を抜き、ニッと笑った。

「お前、泣いてただろ? 瞼が腫れてるぞ」

 え? と敦も緊張を解く。

「僕に榊を取られると思ってた? ばっかだなあ!」

 はは、と豪快にひと笑いした後、戸村は寝室に戻って、クロゼットから別の眼鏡を探し出した。
呆然としている敦に、榊が歩み寄り、そっと肩に手を置く。

「あー、もう! こっちの、嫌いなんだよね」

 今までの縁ナシとはまったくイメージの違う、プラスチックのフレーム。
それをかけると、知的なイメージからイマドキの若者、オシャレな大学生っぽく見える。

「明日、買いに行こう」

「直せないんですか?」

「ツーポイントは押えてる所が折れちゃうと、ダメなんだよ」

 何事もなかったかのように、榊の肩を叩き、敦の背を押してリビングに戻る。

「どうよ、東?」

「似合わねぇ」

「眼鏡じゃなくて」

 ふん、と鼻で息をして、東の隣に座る。
杉田は「あら、あたしはそっちも好きよ」とニコニコする。

「事務所の連中は、全員しょっ引かれたな。夜が明けたらパソコンとか押収するそうだ。
今夜はこれで終りだな」

 東はヘッドホンを外した。

「みんな、ご苦労さん。ありがとな。お礼とお詫びは、また明日でいいかな」

 それぞれが肯定の返事をし、帰り支度をはじめる。
そのまとまりのよさに、また敦は感心した。

「榊、敦と帰って寝な」

 反論しかける榊の手を、敦が握る。

「お前は徹夜平気でも、敦は休ませてやれよ」

 腰に手を当て、ニッと戸村が笑う。

「真司さん……」

 ヘッドホンを置いた東は、立ち上がって首を回した。肩も回し、腕を上げてのびをする。

「俺が泊ってくから」

 東の申し出に、わざとらしく戸村が抱きつく。

「愛してるよ」

「キモイ。帰るの、面倒なだけだ。無線の方ももう少しいじりたいし」

 榊はまだ躊躇している。

「っつうわけで、戸村の面倒は、俺が見てやるから」

 東の口調はぞんざいだか、それは榊や敦に対する精一杯の思いやりだった。

「東さん」

 それは、自分の役所だ、と、榊は言いた気だった。
だが戸村は榊を無視し、東に「傷、見たい? 触りたい?」と囁きかけている。

「榊さん」

 敦は、そっと榊に触れた。榊は、どちらを選ぶのか、と。
たぶん、戸村を選ぶだろう。それはわかっている気がしている。
だったら、せめて榊の口からそう言って欲しい。

 困惑したように戸村を見つめる榊に、戸村は一瞬、非難するような視線を送った。

「………すみません、東さん。お願いします」

 榊は、敦の肩を抱いた。

「敦、大事にしろよー」

 社員達と一緒に、榊と敦の背中を押して、戸村は部屋から追い出した。

 誰もいなくなると、崩れるように戸村はソファーに倒れ込んだ。

「無茶すんな」

 冷蔵庫からビールを出してきて、東は一本戸村に差し出す。
キッチンテーブルの上のタバコと灰皿も持って来て、一本咥えて火を点け、
それを戸村の口に入れてやる。戸村は美味しそうに煙を吸った。

「ちょっと、キツかった」

「もうちょっと計画的にならないもんかね。今回は上手くいったからよかったものの」

 東も自分のタバコに火を点ける。戸村は起き上がってソファーにもたれた。

「榊にチクったの、お前か?」

 唇をちょっと吊り上げただけで、東はビールを開ける。

「マジ、ヤバそうだったから」

 タバコを吸って灰を落し、戸村はうなだれた。

「ああ、あいつが殴りこんでこなかったら、レイプされてた。
まあ、そんなことは平気なんだけどな。敦の機転で何とかなったし」

 ビールを開け、ちびちび飲みながら、戸村は事の次第を東に話した。

 話し終ってしばらく、二人は無言でタバコを吸い、ビールを飲む。

「………榊さんに、そばにいてもらいたいんじゃないか?」

 ぼそっとした東の口調に、戸村が苦笑いをする。

「そんなことしたら、頑張って築き上げた精神力が、プッツリ切れちまうよ。
あいつには、敦がいてくれてよかった。おかげで僕も」

「気丈でいられる」

 東に言葉を取られ、戸村は鼻で笑った。

 またしばらく、タバコを吸い、ビールを飲む。

「寝るか」

 ぼそっと言う戸村の言葉に、東は新しいタバコに、また火を点けた。

「寝れるのかよ?」

 それには、苦笑いするしかない。

「傷、消毒してやるよ」

 タバコを手にしたまま、東は視線を戸村の胸のあたりに落す。

「傷口、触りたいんだろ?」

「広げてかき回したいが、自重するよ」

 ふふふ、と笑って、戸村はシャツのボタンを外した。

 

 

 

 みんなが集ったのは、昼過ぎだった。

 事件は、朝のニュースでは大きく報じられたが、誰かが報道を押えたらしく、
昼からはそのニュースは一切流れなかった。

 それもそのはずである。結局一睡もしていない戸村は、朝一番に祖父に電話をかけ、
事を知らせた。地主で有力者にも顔の利く祖父である。
松苗組との交渉を進んで引受け、報道もすぐに押えてくれた。
こんな時は頼りになる身内だ。
もっとも、こんなことになる前に、相談しろと説教もされたが。
戸村は、自分が強姦されそうになった事は黙っておいた。知れたら報復騒ぎになる。
榊にも絶対にバラさないよう釘を刺した。

 実は敦も一睡もできなかった。榊の部屋に帰ってすぐ、シャワーを浴びてベッドに入った。
榊は何も言わず、抱しめてくれた。
抱き合って横になりながらも、榊が眠れないのはわかっていたし、自分も眠気を感じなかった。
結局、自分と榊の関係は何なんだろう。榊と戸村の関係は。
でも、榊は………こうして一緒にいてくれることを選んでくれた。
傷ついているはずの戸村を残し、自分を選んでくれた。
戸村の危険が去ったのなら、それでいいということか。
ぐるぐる思考は渦を巻き、眠気を押しやる。
榊も目を閉じてはいるが、戸村のことが気になるのか、眠りに落ちてはいない。
そのまま、二人は昼近くまで抱き合っていた。

 坂本から召集の連絡が入り、戸村の部屋に行く。
そこにはもう何人か集っていて、戸村はそれぞれの好きなものをデリバリーで注文していた。
ささやかな昼食会である。戸村も東も徹夜慣れしていて、多少眠そうではあったが、
平気で動き回っていた。

 全員が集り、昼食をとりながら、戸村は事件の終息を告げ、それぞれの苦労を労った。

 一旦解散となり、それぞれが自分の部屋に戻る。東も。
戸村は眼鏡屋に行くとマンションを出た。

 敦と榊が、再び戸村の部屋を訪れたのは、夜になってからだった。
敦がどうしても戸村に礼をしたいと言い、それなら夕飯を作ってやってくれと榊に言われたのだ。

 材料を買い込んで戸村の部屋を訪れ、敦はカレーを作った。
それくらいしかまともなものは作れないからだ。

 榊は手伝おうかとうろうろし、
敦に座っているように言われてしょんぼりキッチンの椅子に座って様子を眺めている。
戸村はソファーで新聞を読んでいた。

 昨夜はいろいろあったが、こういう雰囲気は悪くない。
誰かのために、何かをするというのは、敦の心を安らげる。

 居場所。

 不安定な、居場所。

 愛している人が、命をかけるほどの相手がいる以上、
自分はいつまでここにいられるのだろうか。榊の心は、やはり戸村のところにあるのだ。

 戸村も。

 ぼんやりと物思いに耽り、焦げたニオイに慌てて敦はレンジの火を止めた。

 食器はなぜか大量にある。集った社員の全員分あるのだろう。
それだけ見れば、とても一人暮しには思えない。
仲間の帰ってしまった今は、リビングはやはり閑散として見えた。

「できましたよ」

 カレーをよそると、戸村はニコニコしてキッチンテーブルに座った。

 いただきますの挨拶もそこそこ、戸村は次々とカレーを口に運ぶ。
たいした食欲だ。アクティブに働く分、消費も激しいのだろうか。
その食いっぷりに、敦は見惚れた。

「うまーい! この、ビミョウにコゲたかおりがなんとも」

 敦の頬が引きつる。

「スミマセン」

「いやいや、それがいいっての。家庭の味だね」

 戸村は心底美味しそうだ。高級料理なんか、イヤというほど食べているはずなのに。

「なあ? 榊?」

 話をふられて、榊も優しげな笑みを見せる。

「家庭料理、ってものは、俺はあんまりわかりませんから。でも、美味いです」

「じいさんトコは、偉そうな料理人がいて、なんでも料亭風になっちまうんだよ。
こういうの、僕は好きなんだけどな。今度、肉じゃが作ってよ。
ナントカ牛の偉そうな奴じゃなくてさ、豚肉の、ジャガイモが溶けちゃっているような奴」

 目を瞬いて戸村を見つめ、敦は

「もしかして、戸村さんのお母さん、本当に料理、上手じゃなかったんですか?」

 と、思ったことを口にする。気を悪くしたかな、とも思うが、戸村はおかしそうに笑った。

「だから、じいさんトコには料理人がいたんだよ。
根っからのお嬢でさ、母さんの料理なんてヘタクソもいいトコ。
でもさ、それが美味しいんだよね。
僕も父さんも、そんな滅茶苦茶な母さんの料理が好きだったな」

 敦の家庭のように、愛想を尽かして出て行ったんじゃない。
愛情の溢れた家庭を、一瞬にして奪われるというのは、どんなにショックだろう。
敦は視線を落した。

「お前が気に病むことはないぞ? 僕は感謝しているんだ。
榊がお前拾ってきてくれたおかげで、僕は懐かしい家庭料理にありつけた」

 ちょっとだけ笑って、敦は顔を上げた。

「ちゃんと言っておかなきゃいけなかったよな。僕はね、ゲイじゃない。
榊とは、そういう関係じゃない。こいつは………そうだな、腹違い種違いの兄貴?」

「そういうの、他人っていうんじゃないんですか?」

 敦のツッコミに、戸村は笑った。

「仁義って、あるだろう? ああ、ヤクザ用語かな。
とにかく、そういうの。普通の人にはわかんないかもしれないけどさ。
義兄弟っていうのかな。家族みたいなもんだ。
だから、僕は榊のためには命張るし、こいつもそう。古き良き時代のヤクザなのさ。
やだな、結局、僕もヤクザの血を引いているんだな」

 榊は顔を背け、そっと笑った。

「真司さんは、いい親分になれます。組長も、それを望んでますし」

「やだっての。社員数人はいいけど、組員数千人とか、目眩いがするよ。
じいさんは偉いね。僕にはできない」

 組員、数千人? 敦の顔が引きつる。
言ってないのか、と戸村は榊の顔を見、榊は肩をすくめた。

「こいつ、じいさん、その組長の側近だったんだよ? 
若頭で組持たせてもらうって話も出てたんだから」

 驚いて口をあんぐり開け、敦は榊を見る。榊は苦笑して見せるだけだ。

「おいおい、何にも言ってないのかよ? 
そりゃ、今は僕が身元引き受けてるから、カタギの皮被ってるけどさ。
一皮剥きゃ、かなりヤバイっての」

 敦はじっと榊を凝視している。榊は溜息をついた。

「………やめてください、坊ちゃん」

「坊ちゃん、言うな!」

 戸村は手を伸ばして榊の額をデコピンした。

「で、どうなのよ? 僕や榊の素性、知っちまって。
うちの社員達は、みんな知ってるよ。それでも信頼して集ってくれてんの。
敦、お前はどうなの?」

 敦は榊を見つめたままでいる。榊は自信なさ気に視線を落す。

「俺は………榊さんが、好きです。榊さんが………戸村さんの事、愛していても」

「それは………」

 弁明しようと口を開く榊を遮るように、戸村は笑い声を上げた。

「真司さん、笑い事じゃ」

 不満を示す榊に、戸村は黙るように片手を出した。

「オッケー。気に入ったよ。僕さ、実はずっと考えていたんだけど」

 カレーの最後の一口を口に入れてから、戸村は続けた。

「敦、お前さ、僕んトコでバイトしない? 住込みの家政婦。
寝室もイッコ空いてるし。
そんで、掃除とか洗濯とか、炊事とかしてくれると助かるんだけど。
どうせ半一人暮しなんだろう? 親にはさ、僕が言ってやるから。
榊みたいな強面が『恋人です』なんてのはマズいけど、僕だったら一応社会的信用もあるしね。
もちろん、高校は卒業してもらうよ。授業料は親に出してもらう。
でも、その他の生活費と小遣は出す。
前にも言ったように、コンピューターとか情報処理の専門知識を身に付けてくれたら、
会社の社員登用もする。どう? 悪い話じゃないと思うよ。榊も同じマンションだしね。
外の生垣で待ちぼうけすることもない」

 青天の霹靂、とは、まさにこのこと。敦は、すぐには申し出を理解できず、呆然と戸村を見た。
戸村はニコニコと笑っている。

「……………戸村さん………」

「考える時間が欲しい?」

「いえ、………戸村さんが……そう言ってくれるなら」

「ええ?!」

 突然のことに驚いたのは、敦だけではない。榊もガラにもなく声をあげる。

「オッケー、オッケー! 決りね!」

 状況を今ひとつ理解できないでいる榊を尻目に、戸村はカレーのおかわりをした。

 

 

 

 週明け、その事を戸村は東に告げると、東は大げさなほど大きな溜息をついた。

「いいのかよ、本当に」

「いいんだよ、本当に」

「榊さんの事、好きなんだろう?」

「世の中にはね、惚れちゃいけない奴、てのもいるんだよ」

 訝しげに東は戸村を見つめる。

「僕、敦、気に入ってるんだ。弟みたいだろ? 
榊が惚れた奴ならさ、そばに置いておきたいじゃないか」

 にやりとする戸村に、東は首を横に振った。

「榊さんは、お前の所有物か」

「家族って呼んでよ。
僕がまっとうな恋愛感情を持てるようになったら、まっ先に東に求愛するからさ」

「やめろ、気色悪い」

「僕の内臓とか、欲しいんじゃないの?」

 顔をしかめて戸村を見る東は、降参するように肩をすくめた。

「俺は、榊さんの代用物か」

 何を今更。戸村は笑い飛ばした。  

 

 

 

 翌週の日曜。

 敦はアパートの荷物をまとめていた。さっそく戸村のマンションに引越す予定で。

 改めて荷物をまとめてみると、案外少ないものだ。
もう、このひとりぼっちのアパートともサヨナラだ。

 昼前に、母親が帰ってきた。出て行く事を電話で話したのだ。

「敦、実はね、今付合ってるカレと結婚しようと思ってるのよ」

 母親の言葉にも、たいして驚かない。むしろ、その方がいいと思う。

「カレはね、二人で暮したいって」

「だから、いいよ。俺、母さんのお荷物にはなりたくないし。俺は俺で生活するから」

 学費のこととか、進学のこととか、母親に話す。
母親は、もちろん学費は出すと言う。それでいい。
後何年かして成人すれば、こんな厄介なこともなくなる。

 そうこう話していると、アパートの前に軽のバンが停まった。
運転しているのは榊で、戸村ももちろん同乗している。
戸村は敦の母親に、丁寧に名刺を渡して挨拶をした。

「まあ、お若いのに、社長さん?!」

 母親は驚いて、名刺と戸村の顔を見比べる。
そういう商業的挨拶は慣れたもので、戸村はてきとうに良い事ばかりを口にした。
さすがだ、と敦は感心する。表裏の使い分け、ぜひ学ばなければ。

「敦をお願いします」

 と頭を下げる母親に、戸村も

「いえ、こちらこそ。息子さんをお預りします」

 と頭を下げた。

 

 

 

 そして、敦の新生活ははじまった。

「戸村さん」

 外ではやり手の若社長も、家ではごろごろ酒ばかり飲んでいる。
そんな戸村が、敦は好きだと思った。

「俺、戸村さんに惚れてもいいですか」

 ソファーで雑誌を眺めていた戸村が、体を反らせてキッチンで働く敦を見る。

「いいけど、夜の相手はしないよ?」

 そんな会話の最中に、榊が買い出しから帰ってくる。
戸村に頼まれたビールやらつまみやらの袋を提げた榊の前で、敦は戸村に駆寄って、
チュッと音を立てて唇にキスをする。

「……………………」

 榊は、荷物をボトリと落した。

 敦と戸村は顔を寄せ、呆然とする榊に微笑みかける。

「お帰り」

 声を合わせ、うろたえる榊の姿を楽しむ。

 

 失ったものは取り戻せはしないけど、新しいものを手に入れることはできる。

 敦にとって、ここは新たな居心地のいい居場所となった。