日曜まで敦は榊と一緒に過した。昼間は榊の車でドライブをし、夜は思う存分愛し合った。
普通の恋人同士のように。

 月曜日、敦は普通に登校した。自分からクラスメイトに話しかけてみたり。

「なんか、お前、変ったね」

「そう?」

「前は女とばっか話してて、とっつきにくかったからさ」

 そうかな。そうかもしれない。普通に友達と遊ぶというのが、苦手だった。
誘われれば社交辞令的に付合ったけど、カラオケとか、皆でつるんで何が楽しいのかな、
なんてどこかで冷めていた。

「反省してんだ。やっぱ、友達は大事だよなぁって」

 バカだな。クラスメイトに小突かれて、笑う。そういうのも、悪くない。

 羨ましいんだ。戸村が。友達と会社を作ってしまうような、あの人が。
友達と飲みに行ったり、食事に行ったり、ほかに趣味はないけど、
とにかくいつも友人に囲まれてるあの人が。日曜に戸村と顔を合わせた時、
敦の知らない友人と一緒にいて、ボーリングの話なんかをしていた。
榊が挨拶だけして通り過ぎたので、敦も話しかけはしなかったが。
スコアの悪かったらしい戸村を、その友人がからかっていて、楽しそうに笑っていた。
ああいうの、いいな。敦は純粋にそう思った。

 いつまでも自分の人生に悲観していないで、前を向いて楽しいことを探そう。
そう思える。週末には、榊に会える。独特の雰囲気を持つあの人は、大人で、
父親のように知らない土地に連れて行ってくれるし、
子供だけでは入れないレストランにも連れて行ってくれる。
榊は酒はあまり飲まないので、飲屋と居酒屋は除外。そんな静かな時間も、敦には愛しい。
高校を卒業したら、一緒に住みたいと言うつもりだ。

「目下の問題は、この成績か」

 返ってきた小テストに、頭を抱える。ふり向いて敦の点数を覗き見た友人は、くすくすと笑った。
数学で一桁は、やっぱまずいよな。

 アパートに戻って、夜、榊に電話をしてみる。榊は、

「俺はまともに学校なんて行ったことがないからな」

 と、勉強に関しては頼りにならない。

 次の日の夜、一緒に飯を食おうと榊に誘われ、喜んで敦は六本木まで出向いた。
そこは、和食の高級レストランで、テーブルには戸村もいた。

「成績悪いんだって?」

 刺身と日本酒を楽しみながら戸村が笑う。言ったんですか? と敦は榊を横目で見た。

「俺は勉強のこととか、わからないから」

「何でも戸村さんに話しちゃうんですね」

 さすがに唇を尖らせ、その子供っぽい仕草に戸村は腹を抱えて笑いをこらえていた。

「戸村さんは大学出ですから。頭のいい人は違いますよ」

 ふふん、と戸村は眼鏡を指で押し上げた。

「まあね。でも僕、小6ん時までろくに九九も覚えてなかったんだよ」

「ええー?」

 声をあげてから慌てて口を押える。さすがの榊も人差指を口元に当てた。

「そうだからね、中学生のくせに、僕は小2の算数から始めたわけ。
一年くらい病院にいたから、その間に国語と算数は追いついたな」

 病院? 気にかかるが、そこで話の腰を折るのはやめておく。

「とにかく、分らなくなったところまで戻って、そこからやり直すしかないよ。
因数分解分らないのに方程式解けったって無理だからな」

 コースメニューが敦の前に運ばれてくる。はじめて見る黒い粒粒は、
キャビアとかいう代物だろうか。

「やる気がなければ、塾だの家庭教師だの、金をつぎ込んでも無駄。
やる気があれば、一人でも勉強はできる。お前が大学か情報処理の専門学校でも行けば、
僕の会社で雇ってやるよ」

「本当ですか?」

「青田買いだな」

 なにそれ、と首をひねるが、戸村は「家に帰って辞書で調べな」と笑うだけだった。

 それじゃあ、国語は? 社会は? 英語は? などと話をしていると、
時間はあっという間に過ぎていく。戸村と話をするのは楽しかった。彼は頭がいい。
機転も効く。話題も豊富だ。

「戸村君、遅れてしまったが」

 びくっと敦が近寄ってきた男を見上げる。中年の、高価そうなスーツを着た男だ。

「池尻さん、先に始めちゃってます」

 にっこりと戸村は笑うと、自分の隣の席を手のひらで指した。

「あ、この子は敦君。知り合いの弟でしてね、
勉強が分らないと言うので教えてあげていたんですよ。榊は知っていますよね? 
ここで飲んだら帰るのが大変だと思って、運転手としていてもらっているんです。
敦、こちらは池尻さん。IT企業としては僕の大先輩で、ヒルズ族なんだよ」

 うわ。ホンモノのヒルズ族だ。敦は素直に驚いて慌てて頭を下げた。

「高校生? 大変だね」

 池尻と言う男は、ちょっと表情を歪める。もともと、戸村と二人での食事の予定だった。

「池尻さん、出世の秘訣でも教えてあげてください」

 気分を害していたであろう男は、大人らしく諦めの表情を見せた。

「敦、よく味わっておけよ。こんな高級料理、めったに食べられないからな。ねえ、池尻さん」

 見知らぬ同席者に、敦も緊張する。
が、池尻と言う男、食事が始ってしまえば気分を治したようで、矢継早に話し始めた。
自分がどれだけ苦労したか。学生時代、貧乏でこんなバイトをした、とか、
こんな風に勉強した、とか。戸村は聞き飽きたのか、ニコニコしながら日本酒を楽しんでいる。
敦はまじめ顔で聞き入り、「へえ、すごいですね」などと相づちをうった。
さらに、運ばれてくる料理にも感動して、これはなんですか、
こんな美味しいもの食べたの初めてです、とか、素直な感想を述べる。
デザートに行きつく頃には、池尻はすっかり上機嫌だった。
敦は見てくれもいいし、素直で、愛着が持てる。
池尻が敦を気に入り、しきりと敦に向って話していることが、榊は気に食わないようだ。
が、戸村は榊を無言で制圧し続けた。
しかしさすがに、池尻が敦の手を握ろうとした時には、
戸村は先に池尻の手を取り、自分の方に持っていって、色っぽい視線を男に向けた。

「池尻さん、いつから子供趣味になったんですか?」

 いかにも誘惑しているといった口調に、池尻もすぐに戸村の方を向き、
そんなことはないなどと囁きかける。
食後のコーヒーも飲み終え、池尻が次の誘いを口に出す前に、
戸村は思い出したように腕時計を見た。

「いけない、もうこんな時間だ。敦を送っていかなくちゃ。
すみませんね、高校生なもので。敦も勉強になったと思いますよ」

 戸村の意図を探れない敦は、素直に「勉強になりました」と応える。いい生徒だ。

「じゃ、榊、車出してくれる?」

 待っていましたとばかりに榊は立ち上がり、少し遅れてから戸村と敦も席を立つ。

「ご馳走様でした。また誘ってください」

 にっこりと戸村は笑う。このまま帰っていいものか敦が戸惑っていると、、

「池尻さんのおごりだよ。ほら、お礼言って」

 戸村に肘でつつかれ、敦も深々とお辞儀をする。

「ご馳走様でした。ありがとうございました」

 池尻はすっかり満足していて、今度はもっといいものをなどと口にした。

 レストランのドアのところで別れ、車を回してきた榊と合流する。
戸村は敦と後部席に乗りこみ、ドアを閉めるなり

「エロオヤジが」

 と吐き捨てた。これって、この前の電話の人なんだろうか? と、敦はなんとなく思った。

 新宿に向う車の中、戸村は窓の外をぼんやりと眺めている。敦は戸村の隣で肩をすぼめる。

「中年オヤジの苦労話なんて、退屈極まりないけどさ」

 唐突に戸村は口を開き、敦を見た。

「たまにはいいだろう?」

 そんな風に大人と付合ったことのない敦は、曖昧に口元を歪ませる。

「三畳一間の下宿屋の貧乏学生なんて、今時ありえないけどな。
でも、貧乏だから大学行けないとか、そんなことはないんだ」

 ハッと、シズネのことを言っているのだと悟る。

「先ず勉強して、絶対受かるだけの実力をつけて、それからあらゆる奨学金をかき集める。
色んなトコでやってるから。それでだいたい入学金は何とかなる。
成績が優秀なら、授業料を半減してくれる大学もある。
本気で勉強したいんなら、方法はいくらでもあるんだ。
親に金がないから大学に行けないとか、だから売春して稼ぐんだとか、そんなのは言い訳さ。
僕はね、たしかに金で苦労をしたことはないけど、
大学の仲間で、親に一円も援助を受けてない奴なんてたくさんいた。
せっかく夢を持っているんなら、それを汚しちゃだめだ」

 敦は口を閉じ、ただ頷いた。

 窓の外、夜景が流れる。地上の星。そんな歌があったっけ。
敦は夜景を眺め、戸村に視線を戻した。

「戸村さんは、凄いです。苦手なことって、あるんですか?」

 ほろ酔いで機嫌のよさそうな戸村は、にやりと笑った。

「泳げない。球技も苦手だな。酷い近視で、眼鏡を外すと何も見えないとか。
車の運転もできないな」

 視力が弱いから、印象的な大きな瞳をしているんだ。

「教習所でさ、路上三回落ちて、免許取るの諦めた。
車庫入れとか縦列駐車とか、ぜんぜんできないのよ。榊なんか尊敬しちゃうよ。
すっごい狭い駐車場でも平気で入れられるんだから」

 へえ、と感心して運転する榊を見る。榊はハンドルを握りながら苦笑していた。

「一度飲み始めると、潰れるまで止められないってのも問題ですよ」

 榊の言葉に、戸村はおかしそうに笑う。

「今日は、よく程々で止めましたね」

「池尻さんの前で泥酔したら、朝にはケツ掘られてるからな。
ま、家に帰ってから飲みなおすさ」

 そういう趣味の人だったんだ? 敦が驚いた表情をする。

「そういう風には、見えませんでしたけど」

「悪い人じゃないよ。ヒルズ族ってのも伊達じゃない。
ま、よしんばやられちゃっても、一晩で十万は払ってくれるだろうけどね」

「戸村さん!」

 榊にたしなめられ、戸村はベッと舌を出した。

「今日は助かったよ。あの人、昔話とか長いから。
いいホストがいてくれて、安心して酒が飲めた」

「ホスト?」

 戸村を見て、榊を見る。榊は溜息をついていた。

「止めてくださいよ、戸村さん、敦を巻き込むの」

 少々苛立たしげな榊の声色に、戸村は後から髪の毛を引張る。

「ちゃんと守ってやったろう?」

 榊はただ溜息をつく。

「美味いもんも喰えたし、なあ?」

 敦に同意を求めると、敦は素直に頷いた。
あんな高級料理、テレビの中でしか見たことがない。

「美味いもんなら、俺が」

「安月給が意地張るんじゃないの。過保護だぞ」

 珍しい言い合いに、敦はくすくすと笑った。そういう関係は、悪くない。

「とりあえず、僕を会社に送ってくれ。それからお前は敦を送っていって、戻って来い」

 榊が肯定の返事をする。それからすぐに、車は新宿に入った。

 会社の前で停車し、戸村を降ろす。

「ホント、助かったよ。アリガトな」

 にっと笑って、戸村は敦の頬にキスをした。

「戸村さん!」

 榊に叱られ、戸村は両手を上げて降参を示し、ひらひらと手を振ってビルに入って行った。

 再び榊がエンジンをふかすと、敦はぐったりと疲れを感じてシートに埋もれた。

「悪かったな、付き合せて」

 榊は本当に申しわけないと思っているらしい。

「いいんです。楽しかったし。ホント、色々勉強になったし。でもね、榊さん」

 敦はシートから身を起すと、榊の座席に寄りかかった。

「何でも戸村さんに話すの、止めてください」

 榊はしゅんと肩をすくめた。

 

 戸村が事務所に入ると、口々に「お帰りなさい」の挨拶が出る。今夜は全員残っている。

「どうだった? 襲われなかった?」

 杉田のニヤニヤ笑いに、戸村は同じ笑みを返す。

「敦呼びだして、ホストやらせたから。池尻さん、若い男好きだからね」

「酷いなあ」

 坂本も顔を向けてにやりとする。

「敦襲われたら、どうすんのさ?」

「大丈夫だろう? 榊を横につけといたから。
あの人バカじゃないから、手を出すとやばいって事くらい悟ったさ」

 誰もが押し殺したようなくすくす笑いをする。
戸村は、よっぽどあの少年を気に入っているらしい。
東だけが自分のパソコンから顔を上げない。

 戸村が自分の席につこうとすると、大門が呼びとめた。

「戸村さん」

 コートだけ椅子に投げて、戸村が戻ってくる。

「誰かが、うちの会社、調べてます」

 戸村は眉を寄せた。

「大手の掲示板専門サイトで、スレッド立ち上げて情報を集めています」

 大門のパソコンモニターを覗き込む。

「誹謗中傷?」

「違いますね。主に従業員の経歴とか。
まあ、大きな会社でもないし、それほど情報は集っていないようですけど」

 確かに、たいしたことは書き込まれていない。

「いつ?」

「昨日です。これ、日付。このサイトにハマってる友達が見つけて、さっき教えてくれたんです」

 オタク仲間の情報網はバカにできない。

(あそこの社長、美人だよね?)

(いいね、そういうの! 仕事頼んじゃおうかな)

(ばか。男だよ)

(サイテー)

 たいして意味のない言葉が並んでいる。

「大門、それ、こっち送って」

 珍しく東が反応し、大門は急いでその画面を転送した。

「どっかの物好きかな。でも一応、またそういうのが見つかったら教えてくれって、
友達に頼んでおいて」

「はい」

 大門は手早く別のサイト(チャットかな、と戸村は画面を見て思った)を開いて、
友達宛にその旨を書き込んだ。

 席に戻って一息つき、さっき買ってきた缶コーヒーをコートのポケットから出して飲む。
自分のパソコンを立ち上げ、メールをチェックする。
東の隣の坂本は、すっと椅子を滑らせて東に近寄った。

「気になることでもあんの?」

 東は一心不乱にキーボードを叩いている。

「東?」

 ふ、と手を止め、東は坂本を見た。いつもの感情を表さない表情で。

「調べてんのは、『キャット・ワーカーズ』じゃない。戸村だ」

 坂本の顔が歪む。眉を寄せたまま、戸村を見ると、
戸村は酔いを覚ますように缶コーヒーを飲んで溜息をついていた。

「戸村、身に覚えは?」

「ありすぎてわかんないな」

 缶をテーブルに置き、気だるげにマウスを動かしている。

「いいのか?」

 坂本の問いに、モニターを眺めたまま仕方なさそうに口を引きつらせる。

「叩けば埃ばっかりの身の上だからなあ。東、てきとうに処理しておいてよ」

 東は何も応えず、自分の仕事を続ける。
突然固定電話が鳴り、坂本も、話を聞いていたほかの社員もビクリと反応する。
戸村は電話を取り、いつものように

「はい、キャット・ワーカーズ戸村です」

 と対応する。

「東、海洋企画さんからウイルス対策の相談」

 保留を押してから東を呼ぶ。東はすぐに電話に出た。
客に対応する時は、ちゃんと話をする。
坂本は肩の力を抜き、しばらくして榊が戻ってくる頃には、
それぞれが自分の仕事に集中していた。

 

 

 

 シズネにその話をすると、彼女はすぐに納得してくれた。怖い思いをしたのだ。当然だろう。

 戸村に利用されたことは分っていたが、敦は恨むどころか嬉しくもあった。
戸村に、存在を認めてもらったようで。
それに、進学したら就職させてやると言う口約束も敦は気に入っていた。
嘘をつく人じゃないだろう。この就職難に、嬉しい申し出だ。
なら、がんばって進学しよう。あの会社に入れば、榊ともいつも一緒にいられるし、
もしかしたらあのマンションに住めるかもしれない。高級マンションに住みたいわけじゃない。
榊と同じビルにいられることが嬉しいのだ。
こうなったら、真剣に勉強して、戸村を納得させてやろう。
俺だってやればできるんだって、見せてやろう。

 そうして、また金曜が巡ってくる。
今週は榊のマンションの前でうろつくなんてバカなことはしないで、
ちゃんと自分の家に帰って、勉強していよう。榊が迎えに来てくれるまで。
難しいことじゃない。明確な目標があるのだから。

 敦は、昼食を仲間達と取った。昼休み、一人じゃないことは案外と楽しいことだ。
そんなわけで、マナーモードにしてカバンに突っ込んであった携帯電話が、
メールを受信していたことに気付いたのは、五時間目のあとの休み時間だった。

 誰だろう? と、さして気にもせずにメールを開き、
敦は背中に冷たい汗が噴出すのを感じた。一瞬、目の前が真暗になる。
すぐに六時間目が始り、敦は慌てて携帯を突っ込んだ。

「水崎、顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

 教師に指摘され、

「大丈夫です」

 と引きつった笑いを見せる。

 授業が終ると、携帯を持ってトイレに駆け込み、個室で榊にメールをした。
それから、掃除とホームルームを済ませ、

「気分が悪いから、先に帰るよ」

 と、心配する友人を振りきって、学校を出た。

 制服のまま、榊の会社に向う。ノックして事務所のドアを開くと、
それぞれが自分の仕事に没頭していた。それでも、短い挨拶をかけてくれる。
敦はただ強張った笑みを作るだけだった。仕事をしていた榊がすぐに立ち上がり、
敦を奥の簡易応接室に連れて行ってくれる。

「戸村さんは、すぐに戻るから」

 敦を落着かせるように、外の自動販売機で暖かいミルクティーを買って来てくれ、
自分は一旦仕事に戻った。

 缶の温もりにすがるように、敦は缶を握ったまま、うなだれて時間を過した。
衝立の向うは、忙しそうに電話が鳴ったり、それぞれが指示し合ったりしている。

(何やってんだろう、俺)

 榊だって、決して暇なわけではないのに。こうやってまた、厄介ごとを持ち込む。
胸が熱くなって、涙を飲み込む。また、迷惑をかけようとしている。

 三十分もすると、戸村が帰ってきた。仕事の打合せだったらしい。
社員達の「お帰りなさい」の声。仕事を指示する戸村の声。
また電話が鳴り、電話を取った榊が戸村を呼び、
戸村はその相手となにやら仕事の打合せをする。

 ここにいたらいけない。

 敦がその思いに耐えられなくなった頃、戸村が衝立の向うから顔を出した。

「敦、そこのカップラーメン、塩味の奴、お湯入れといて」

 え? と顔を上げ、積み上げられたカップラーメンの山を見る。
戸村は電話を片手に持ち、耳に当てている。

「三分経ったら行くから」

「あ、はい」

 戸村はまた電話の向うの相手と話し始めた。
敦は決心をくじかれ、ホッとし、カップラーメンの山から塩味の奴を探し出して、
ポットのお湯を注いだ。ポットの隣には小さなカゴがあり、
その中に割箸やらプラスチックの小さなスプーンやフォークが入っている。
コンビニでもらうような奴だ。その中から割箸を出して、敦はカップラーメンの上に置いた。

 五分ほどして、戸村はやってきた。

「あー、のびちゃった」

 残念そうにカップラーメンの蓋を開ける。

「お昼、食べてないんだよ」

 かしこまる敦の前で、ずるずるとラーメンをすする。
あっという間に食べ終り、スープを小さな流し台に捨て、ゴミをゴミ箱に投げ入れる。
それから、またキャビネットを開け、
買っておいたのだろう缶コーヒーを出してプルタブを押し上げた。

「メール、見せて」

 コーヒーを飲みながら、片手を出す。敦は携帯のメール画面を出して、戸村に差し出した。

 少し落着いていた心臓が、またぎゅっと縮こまる。

(今夜七時までに女子高生三人用意しろ。
指定した場所に連れて来なければ、あの写真をネットで公開し、お前を売飛ばす)

 戸村は、メールを自分の携帯に(そして誰かのパソコンに)転送し、
敦の携帯を閉じて返してきた。

「戸村さん…………」

「無視しろ」

 直球。

「でも」

「お前の居場所なんか、相手にはわからないんだ。こういう脅しは、無視するにかぎる」

 敦は唇を結んでうつむいた。

「女の子の写真は、消去させたんだ」

 そう、そうだよな。敦は自分で自分に言い聞かせる。
戸村は腕時計を見下ろし、時間を確認した。

「五時になったら榊を上らせるから、あいつのマンションに行っていればいい。金曜だし」

 缶コーヒーを手にしたまま、戸村は榊を呼んだ。

「今日は五時で上って、敦をマンションに連れて行け」

 榊の表情は不満そうだ。

「いいか、ネット社会では、顔の見えない相手を無駄に脅迫することはよくあるんだ。
それで引っかかるバカがいればラッキー。
警察でもなければ、携帯電話だのパソコンだののメルアドから相手の居場所を調べることなんか、
不可能。ただ、敦は不安だろうから、お前がついててやるんだ。
よしんば、敦の居場所がバレて殴り込まれても、お前がいれば大丈夫だろう?」

 それは、そうだが。榊はじっと戸村を見つめる。榊は気付いていた。
戸村は何か別のことを考えている。このメールを、楽観視していない。

「戸村さん………」

「命令だ」

 ぐっと榊は奥歯を噛んだ。敦は不安そうに榊の腕に触れる。
そんな敦を見下ろし、榊も無理矢理息を吐いて力を抜く。

「………わかりました」

 敦に「もう少し待っててくれ」と言い残し、榊は自分の机に戻っていった。

「戸村さん、俺、また戸村さんに………」

 迷惑かけて。謝るつもりで言葉を出したが、言い終る前に戸村に缶コーヒーを押付けられる。

「捨てといて。リサイクルゴミ、だろ?」

 缶を受取った敦が、眉を寄せる。

「大枚はたいて、この件は終らせた。
向うがそれを反故にするなら、それはお前の問題ではない。
僕と、僕の会社に対する侮辱だよ。だからお前は、榊を見張ってろ」

 見張る? 

「僕は仕事に戻る。今日は忙しいんだ」

 戸村を見送ったあと、敦は崩れるようにソファーに座りこんだ。

 五時を十五分ほど過ぎたところで、榊が迎えに来た。

「帰ろう」

 榊の表情に笑みはなく、敦もただ頷いて後を追った。