約束の時間、約束の場所にエドワードは車で乗りつけ、 運転席のクラウスに待機するように命じて車を降りた。 その店に入ることに、一瞬躊躇する。それは、バドに会う緊張からではない。 この手の店には、エドワードは一度も入ったことがなかったのだ。 小さく息を吐いて、意を決して入り口をくぐると、 むわっとした熱気と人々の声に圧倒された。 「お、時間ぴったりだな」 入り口付近のカウンターでタバコを吸っていた男が振り返る。 そして、バドは嫌味っぽくにやりと笑った。 「ハンバーガーショップなんて、入ったことないだろう?」 ここは個人経営のバーガーショップだった。 昼時とあって、学生風の若者や、労働者風の若者、 幼い子供を連れた親子連れなどでごったがいしている。 エドワードは、冷静さを保つよう細心の注意をはらった。 ここで嫌な顔をすれば、バドだけではなく、この店全体を敵にまわすだろう。 そうでなくても、エドワードのような高級スーツに身を包んだ紳士など珍しいらしく、 客たちがちらちらと見ているのだ。 「何食う?」 「・・・・・いえ、けっこうです」 できるだけ丁寧にエドワードは断ったつもりだった。 「そう言うな。ここのバーガーは美味いぞ! レイも好物でな」 「・・・・では、コーヒーを」 かろうじてそれだけを言う。バドはウエイトレスにコーヒーとコークを注文した。 「エルダ、奥の部屋借りるぞ」 女主人らしい恰幅のよい女性が出てきて、にこやかにバドに小さな鍵を渡す。 「紳士に出せるコーヒーなんか、うちに置いてないわよ」 エドワードをちらりと見て嫌味を言う。嫌悪感が顔に出てしまったか。 「スタバのコーヒーより、ここの方が美味いぞ! それに、ヒルトンホテルのステーキより、俺はここのバーガーが好きだ!」 豪快に笑うバドに、エルダも口元に笑みをたたえる。 バドの外交手腕に、エドワードは脱帽する。 「あとでスペシャルバーガーおごるわよ、バド」 「嬉しいねえ。明日にでもレイをつれてくるから、腹いっぱい食わしてやってくれ」 「あら、レイ、ご機嫌ナナメなの?」 「ちょっとな。 火を吐くくらいマスタードの効いたジャンボバーガーと特大のコークがあれば、 機嫌も直るさ」 ウエイトレスがトレイにコーヒーとコークを乗せて差し出してくる。 バドはそれを受け取り、エルダにウインクをすると、奥の階段を下りていった。 階段の両脇には、段ボール箱が積み上げられている。 その奥の部屋、バドは鍵を開けてエドワードに入るように促した。 倉庫のような場所をエドワードは想像していたが、 そこはちゃんとした個室になっていた。上の店に置いてあるのと同じテーブルと椅子。 空調も効いているし、誇りっぽさも感じない。 「スペシャルゲスト用の個室さ」 バドはニッと笑った。 「まあ、座れ」 テーブルにトレイを置く。エドワードはバドと向かい合って座った。 「あんたとさしで話をするのは、初めてだったな」 「ええ・・・」 硬い椅子に戸惑いながらも肯定の返事をする。 「あんたがレイと知り合ったのは、『パルス』のパーティーだったな? あんたは着飾ったレイに惚れたのかもしれないが、 レイと俺の私生活なんてのは、このレベルだ。 そりゃあ、どこぞのホテルでディナーをいただくこともできるが・・・ 所詮は成金だからな。レイの生まれた国は、もっと貧しかった。 ニューヨークに連れて来て、あいつは初めて革靴を履いたんだ」 目の前のコークを、バドは一口飲んだ。 「レイは、自分の国のことは話したのか?」 エドワードは首を横に振る。 エドワードが自分のことを話さないように、レイもあまり自分のことは話さない。 「国・・・と、言いますと?」 エドワードの問いに、勝ち誇ったようにバドが歯を見せる。 「ラコタ国(ネーション)。 俺たちはスー族居留地(リザベーション)と呼んでいるところだ」 エドワードもまた、バドと同じようにネイティブには基本的に興味を持っていない。 だから、レイがどこの生まれだろうと気にならない。 「そうですか」 相づち程度に応えると、バドは予想していたように「ふん」と鼻を鳴らした。 エドワードは、コーヒーの紙コップを見下ろした。 紙のコップでコーヒーを飲むこと自体、ないことだ。 まるで珍しいもののように指先でコップを撫で、熱を確認してから手にとって口に運ぶ。 バドはおかしそうにそれを眺めた。 「シンシア・・・レイの母親はな、生粋のネイティブで、うちの職人だった」 慣れない紙コップでコーヒーを飲むエドワードを眺めながら、 バドの目が懐かしそうに細まる。 「あんなにいい女はいない。借金と職人抱えて、死に物狂いで働いてた俺を、 ずっと支えてくれていた」 コーヒーのコップをテーブルに戻し、エドワードは思い出に浸るようなバドを見る。 バドの何処か切なげな優しい表情を、不思議に思う。 どうしたら、あんな表情が作れるのだろう。 「どん底の経営から、なんとか光が見え始めてきた時、 シンシアが突然国に帰ると言い出した。 弟が薬中で入院してしまったから、面倒をみたいんだと。 仕方ないよなあ、家族の事じゃ。俺は目先の仕事に忙しかったし、 彼女を思いやる余裕なんて全然なかった。いつか迎えに行くからって、 口約束ひとつで彼女を国に帰しちまった。・・・・俺の、一生の不覚だ。 馬鹿だったよ」 バドは、もうエドワードを見ていない。その視線は、何処か遠くを彷徨っている。 「やっと借金が返し終わって、自分の店も持てるようになったのが、 それから10年後だ。俺は勇んでシンシアの国に彼女を迎えに行った。 ・・・・シンシアは、待っていてくれると信じてた」 バドの視線が宙を漂う。 「だが・・・彼女はいなかった」 「いなかった?」 エドワードが思わず聞き返す。バドは天井を見つめたまま、一度目を閉じた。 「一年前に、この世を去ってた」 重苦しい沈黙。 目を閉じたまま、バドは話を続ける。 「シンシアの家・・・彼女のばあさんがいてな、俺はばあさんに食って掛かった。 こんな事になるなら、シンシアを国になんて帰すんじゃなかった・・・と。 そしたらばあさん、静かに言ったんだ。 あんたは、どうしてシンシアが一人で国に帰ってきたのか、知っているのか。 彼女は、自分が妊娠していることを知って、 あんたに迷惑かけないために戻ってきたんだ。それに、自分はインディアンだ。 バドの妻にはなれない・・・そうシンシアは言ってたと」 ふと目を開けたバドは、エドワードに視線を合わせた。 「ばあさんは、・・・俺の息子、レイに会わせてくれた。 俺はな、レイを抱きしめて泣いた。 悔しくて、惨めで、悔やんでも悔やみきれなくて、俺は泣き明かした。 俺はシンシアにどんな懺悔をしたらいい? なんで俺はシンシアを理解しようとなかった? 何日も泣き続ける俺を、レイは不思議そうに見てた。 そして、言ったんだ。一緒にニューヨークに行くと」 (お母さんを迎えに来たんでしょう? 僕、バドの事知ってるよ。 いつもお母さんが話してくれたから。どんなに愛しているか。どんなに愛されているか) あの時のレイの言葉を、鮮明に思い出す。 「俺は、レイにどんなに救われたか。家族っていいもんだ。 息子は俺のすべてだ。レイのためなら何でもする。 ・・・・だがそれが、レイの足枷になっている。 レイはシンシアと同じように、俺のために働いてくれる。 俺にために、自分を犠牲にしかねない。それは、お互いのためにならない。 レイに好きな奴ができたのは、歓迎すべきことだ。 いつまでも父親べったりというわけにもいかないからな。 それが、たとえ年上の男であっても、レイが選んだのなら、仕方ない」 ズキリとエドワードの胸が痛む。レイには、同年代の女の子の方が似合うはずだ。 それを自分が引き寄せた。 「昨夜、レイは泣きそうな顔で帰ってきた。あんたとは、生きる世界が違う、と。 あんた、レイに何を言った?」 エドワードは、自分の指が震えるのがわかった。 エドワードは、わかっていたはずだった。 純粋なレイと、穢れた自分とは生きる世界が違うことを。 それなのに、自分の救いのためにレイを求めた。 「・・・・すべてを・・・話しました。私のことを・・・クラウスの事も。 あなたとクラウスが面識のあることも」 バドの視線は鋭い。 「俺はな、あんたがどんな人間でどんな生き方をしてきたのか、 興味はないし、問い質す気もない。レイが惚れたんだ。悪人ではないだろうし、 レイを弄んでるとも思わない。だからはっきりと言わせてもらう。息子を泣かすな」 エドワードは唇を結んだ。 「あんたがどんな仕事を生業にしているのかなんて、どうでもいい。 あんたがレイを嫌いになったっていうのなら、それは話は別だ。 だがもし、あんたが目の前のことに捕らわれて、 自分を好いてくれる奴をぞんざいに扱うというのなら、 それはレイのためにもあんたのためにもならない。それとも・・・・」 エドワードを睨むバドは、一層声のトーンを落とした。 「あんたを信用している俺の、買いかぶりすぎか」 バドの視線の前で、エドワードはこつこつと指でテーブルを叩いた。 夜中にレイを一人で帰してしまったことに、 バドは相当怒っているだろうと覚悟していた。 きっと、もうレイには近寄るなとか言われるだろう。 なのに・・・諭されてしまっている。まるで、エドワード自身も子供であるかのように。 「レイを愛しています。ただ」 テーブルを叩く指を止め、握り拳を作る。 「あなたはクラウスを知っている。彼の所業も感づいておられるし、 実害にもあわれている。そして・・・私はあの男の主人です。 彼の存在の責任は、私にあります。正直に申しまして、私の問題は二つです。 あなたがクラウスについて口外するかどうか。あなたが私どもを許せるかどうか」 エドワードを見つめていたバドは、大きくため息をついて椅子の背にもたれると、 片手で髪をかきあげた。それから、ジャケットからタバコを取り出して、一本口にくわえる。 「吸ってもいいかな」 礼儀として訪ねると、エドワードは「どうぞ」と身振りした。 タバコの先に火を点け、大きく吸い込んで煙を吐き出す。 ゆっくりと一本吸い終えてから、バドは再び身を乗り出した。 「答えよう。あの野良猫に関して、口外するも何も、俺は何も知らない。 それと、許すも何も、許しを請われるようなことをされた覚えはない」 意外な答えに・・・否、この男ならそう応えるだろう答えに、 エドワードは目を見開き、そして、痙攣させるように口元を引きつらせた。 「そんな馬鹿なことを気にしているなんて、論外だ。 いいか、あんたはレイに謝れ! それからな」 習慣のようにバドはまたタバコを一本取り出し、指の上で回す。 「あの野良猫・・・クラウスっていうのか? あいつと話をさせろ。 いい大人が仲介を挟んでの会話など、らちが明かん!」 バドの器用な指先を見、エドワードは上目使いにバドの表情をうかがう。 「・・・よろしいのですか」 「それに関しては、俺とあいつの問題だろう? 息子を巻き込むな」 引きつった口元が、笑みに変わる。 「わかりました。また後日?」 「今すぐだ。どうせ表であんたを待っているんだろう?」 お見通しなのだな。 エドワードは冷めたコーヒーを飲み干してから、立ち上がった。 一人、またあの階段を上り、客で溢れる店に入る。 さっとカウンターに目をやり、エルダという女主人に微笑みかけた。 「美味しいコーヒーをありがとう。また飲みに来てもよろしいか?」 銀色の髪をした紳士の優しげな微笑に、むっつりしていたエルダの頬も染まる。 「・・・・ま、いいけどさ。今度はバーガーも食べてちょうだい」 肯定とも取れる深い笑みを見せ、エドワードは外の車に向かった。 エドワードと入れ替わりで入ってきた男に、エルダはぎょっとして視線を外した。 ヤバイ目をした男だ。こういう奴とは、関わらない方がいい。 にこりともせず、クラウスは指示された階段を下りていった。 部屋に入ると、バドは三本目のタバコをふかしていた。 「あー、コークの追加頼むの忘れた」 空になったペーパーカップを振る。 「まあいいや。座れ」 無言でクラウスはバドの前に座った。 人形のように感情のない表情を見せている。 バドは溜息をつき、タバコの吸殻を灰皿に押し付けた。 「元気そうだな」 クラウスは応えないし、視線をわずかに落としたまま、顔も上げない。 「こんな所で再会するとは思わなかったな」 エドワードよりずっと無愛想で、とっつきにくい。 まあ、そんなことはわかっている。それは、20年前も同じだったのだから。 「あのガキがどうしたのか、気にはなってたんだ」 「・・・・私はあなたに・・・・」 「ああ、痛かったなあ」 バドは笑った。 「もしお前にもう一度会う事があれば、言おうと思ってたんだ。 あの日から俺の人生は変わった」 顔を上げたクラウスの、金色の目がバドを見る。 「あの日の俺は、すべてに絶望してた。・・・嫌になってたんだよ。 正直、逃げ出したかった。お前に銃口を向けられたときな、 ・・・・これで死ねる。開放されるって、思った」 思い出に、おかしそうにバドは笑う。 「保険金は下りるかな、とか」 ひとしきり笑ってから、バドは笑みを消した。 「だが、死ねなかった。あんだけ痛い思いをしても、生きてた。 こんな思いをするくらいなら、地面はいつくばって生きてる方がマシだと思えた。 お前は自分を悪魔の宝石だと言ったな。それで閃いたんだよ。 宝石屋をやってみようって。それで、いつか悪魔の宝石を手に入れて、 ざまあ見ろって笑ってやろうってな」 バドを見るクラウスが、目を細める。 「何故私を・・・告発しなかった?」 「告発?」 「犯人が私だと・・・気付いていた」 ああ、とバドが手を打つ。 「忘れてた。忙しくてな」 そんなバドの姿に、クラウスはただ顔をゆがめた。 言葉を捜すこともできないクラウスに、バドは手をのばし、 その髪をくしゃくしゃと撫でた。 「自己紹介するのも忘れてたな。俺はバド・ブラントってんだ。お前は? 悪魔の宝石なんて言うなよ。もうガキじゃないんだから」 髪を乱され、クラウスは生まれてはじめて自然と口元が笑むのを感じた。 「クラウス・ガードナー・・・・だ」 「よろしくな、クラウス」 クラウスの頭に乗せていた手を、目の前に差し出す。 戸惑いながらも、クラウスはその手を握った。 「お前とお前の主人が不器用なのはわかったが、頼むから息子を悩まさないでくれよ。 信用してお前らのところに預けているんだから」 どう応えてよいかわからず、クラウスの顔が引きつる。 バドは、クラウスの手をぱちんと叩いた。 「しっかりしろ、ガキじゃないんだから。もうこれで問題はないな」 すべて解決した、というように、バドは立ち上がった。 タバコとライターをポケットにしまい込む。 「私は・・・何人も人を殺している。エドワードはその首領だ。なぜ赦せる?」 座ったまま辛そうにバドを見上げるクラウスに、バドは小さくため息をついた。 「神よ、汝の罪を赦したまえ」 胸で十字架を切って、バドは口元を吊り上げた。 「何度でも、やり直しは効く。きっと、エドワードという男にとって、 レイは救いになるだろう。妻を幸せにできなかった俺が、 レイの赦しによって救われたように。嵐はきっと去る。妻の口癖だった」 クラウスに歩み寄り、そっとその頭を抱く。 「お前の救いも、きっとどこかにある」 髪にキスをし、腕を放してバドは笑って見せた。 「今なら、優しくしてやれる余裕もある」 「・・・・・あの時も・・・・・あなたは優しかった」 意外な言葉に、バドは照れたように髪をかきあげた。 それから、もう行くようにクラウスを促す。立ち上がったクラウスは、バドを見下ろした。 「私が・・・怖くないのか」 「借金取りよりは、怖くはないな」 クラウスは僅かな笑みをもらし、バドはその背をバンと叩いた。 部屋のカーテンを閉め、真っ暗にしたままで、レイはベッドで丸くなっていた。 何度かうつらうつら眠くなり、夢の中を彷徨った。 そんな時、必ずエドワードの肌のぬくもりを思い出した。 包まれるようなぬくもりと幸福感。身体の奥から湧き上がってくる快楽。 誰と寝ても同じなのだろうか? エドワードの陰りのある表情。戸惑うような微笑。 恐れていたのは、彼の方だったのだ。 なのに僕は・・・・逃げ出してしまった。 彼は孤独だ。 何も信じていないし、何も愛していない。冷たい月の輝き。そんな彼に吸い寄せられた。 僕は、どうしたらいい? 好き。 一緒にいたい。 その腕に抱かれていたい。 なのに、エドワードは自ら一線を引いてしまった。 自分は受け入れられないと、信じ込んでいる。 本当に? 僕が距離を置いたから・・・・・ どうして? だって、知らない人間に見えたんだ。 だから? 「レイ」 部屋のドアの外で声がして、レイは飛び上がった。 「・・・・父さん?」 慌ててドアを開ける。閉め切った部屋の空気に、バドは鼻に皺を寄せた。 ずかずかと部屋に入り、カーテンと窓を開ける。 「父さん・・・・エドワード卿と、会ったの?」 「ああ。あのクラウスって奴とも話をしたぞ」 「それで?」 外の風が、淀んだ空気を流し出す。 バドは息子を抱きしめた。 「馬鹿だなあ。結局ネックは俺か? 俺の事なんか何も心配しなくていい」 「・・・・でも・・・・父さんは、秘密を知ってるって」 「あのなあ」 レイの肩を掴んで、視線を合わせる。バドはこれ以上ないくらい真面目な声で言った。 「あいつ、俺に惚れてんだ」 レイが目をぱちくりさせる。 「でも俺は男色の趣味はない。だからはっきり断った」 呆然としながらも、まだレイは目をぱちぱちさせている。 「モテる男は辛いなあ」 ニヤリ、とバドが笑うと、レイは思いっきり父親の胸を殴った。 「何言ってるんだよ! ばか!」 わがままを言う子供みたいに、何度も何度も胸を叩く。 「秘密を知ってる父さんを、殺さなきゃいけないって言ってたんだよ!?」 「だからー」 めちゃくちゃに暴れるレイの腕を取り、もう一度抱きすくめる。 「誤解は解けた。本当だ。あとはお前次第だぞ? お前が嫌になったんなら、もう二度とあいつには会わせない。 あいつが何を言ってこようと、俺が会わせない。どうする?」 顔をくしゃくしゃにして、レイはバドを見上げる。 「いいの? 父さんは・・・赦せる? 僕が・・・罪を背負っている人を、好きになること」 「いいも何も・・・。俺は、息子がゲイだって事が一番ショックだったがなあ。 あとはまあ、おまけだ。お前の好きにしろ」 ぎゅうっと唇を結ぶレイの頭を、くしゃくしゃと撫でる。 「後悔するなよ」 バドは自分の携帯電話をレイに差し出した。 「今日の午後は、空けてあるって言ってたぞ」 携帯を受け取ると、レイはこくりと頷いた。 レイは、エドワードの腕の中にいた。 父は情熱的で、その手は熱くて、抱きすくめられるとタバコの臭いがした。 エドワードの手は、何でこんなに冷たいんだろう? なのに、触れていると暖かな気持ちになる。 長い時間、ただそうやって身体を寄せ合っていた。 「・・・・私が、何故『銀狐』と呼ばれるか、聞いてくれるか」 エドワードの口調は、落ち着いていた。レイが静かに頷く。 「私は・・・アルフレート卿の、ペットだったのだ」 エドワードの肩に乗せたレイの頭が、ぴくり、と動く。 「彼は、自分に与えられた使命だけを全うしてきた人物でね。妻子も持たない。 そんな彼の慰み者として、孤児だった私が引き取られたのだ。 ・・・・彼は戯れに私を教育し、自分の思い通りに育てて行った。 私も、他に行くところもなかったので、必死になってついていった。 いつしか私は、アルフレート卿の側近となり、彼の後継者として選ばれた。 身元も確かでない私が、財閥会長に取り入り、その財産をまんまとせしめた。 そう陰口をたたかれたよ。『薄汚いキツネ』だと。 それ以来、『キツネ』の名前だけが残った。事情を知らない連中でさえ、 私を侮辱する時にはその名前を使う」 癖のように、レイはエドワードの肩に頭を摺り寄せる。 「アルフレートという人は、あなたを愛していたんじゃないんですか?」 「さあ、誰も何も信用しない男だったから。 それに・・・私は彼に優しくされたことは一度もない。ベッドの中でさえね」 レイが視線を上げる。エドワードは薄い笑みを見せた。 「私が君のような子供に惹かれたのは・・・・ 私に植え付けられたアルフレートの記憶なのかもしれない。 もっとも、私は君以外に惹かれた人間などいないがね」 僅かに眉を寄せるレイは、両手でエドワードの頬に触れた。 「なら、やっぱりその人はあなたを愛していたんですよ。 だって・・・あなたに抱かれた時、僕はすごく幸せだったもの」 自分に触れるレイの手を握り、エドワードはその指に口づける。 そしてレイの顔を両手で包んで、じっと自分に向けた。 「レイ、君はお父さんを・・・・バドを愛しているね? 君のお母さんが、君のお父さんを愛したように。 だから・・・君は年上の私に助けを求めたのではないかね?」 大きな手で頬を包まれて、レイは顔を逸らすこともできない。 レイの蒼い瞳がエドワードを戸惑うように見つめる。 「君は、本当は・・・・」 こらえきれずに、レイは瞳を閉じて頭を横に振った。 「あなたとバドは違う」 「わかっている。私はあれほど寛容で情熱的になれない。 君が部屋を去っていった時、止めることもできなかった。・・・きっと、臆病なのだ」 エドワードが手を離すと、レイは目を開けた。 「バドは好き。でも、あなたの腕の中で感じた幸福感は、本物だと思う。 僕は・・・・あなたと離れたくない」 父親に似た、情熱的な瞳。エドワードはレイに口づけた。 「本物だと、信じさせて」 何度も何度も唇を吸い、舌の感触を確かめ合う。 そうしながら、エドワードはレイをソファーに押し倒した。 「エドゥアルト」 腕の中で、レイはその名を呟いた。 「本当のあなたを、見せて」 本当の自分・・・。 「僕は、あなたのすべてを受け入れたい」 エドワードは苦笑する。本当の自分・・・。 気付いている。最初にレイを抱いた時に。 めちゃくちゃに犯したい衝動。自分が、そうされたように・・・。 乱暴に欲望を突き立て、本能のままに貪り食う。 「君を・・・傷つける」 レイはゆるゆると首を横に振る。 「もう、嘘はつかないで。エドゥアルト。本当に僕を愛してくれるなら・・・」 エドワードは、レイを抱き上げた。 「ベッドに、行こう」 そして、心のままに愛し合おう・・・。 激しい情交は、忘れていた記憶を蘇らせる。 レイの言っていたとおりだ。エドワードは思う。 自分は、孤独なアルフレートに愛されていたのだ。 そして自分も、かの主人を愛していた。 朦朧としたレイの蒼い瞳を覗き込むと、一筋の雫が、頬をつたって零れ落ちた。 「レイ・・・・・」 少し青ざめた唇が、誰の名前をかたちどるのか・・・エドワードにはわかっていた。 「レイ、私を見なさい」 うつろな瞳を自分の方に向ける。 「私だけを見なさい」 澄んだ蒼い瞳は、銀色の髪を映し出す。 「君は、私のものだ」 「普通はクリスタルガラスを金やプラチナで溶接して、 その中に特殊オイルと石を入れ、中で石が揺れるようにします。 それほど技術の要するものじゃありません」 バドは受け取った写真を指で弾いた。 「同じものが、作れますか?」 「簡単です」 ひらひらとテーブルに落ちた写真を、上からトンと押さえつける。 バドは、エドワードの執務室に呼ばれていた。 仕事の話だというので、正装している。 厚い肩幅に合わせたスーツは、その男を美しく飾り立てた。 いかにも野心家らしい、がっちりとした体格は繊細な宝石を売っているように見えないが、 その身のこなしやさりげなく身に付けている宝石が、 高価な石が女性だけのものでないことを物語っていた。 「たとえば、これの中のオイルだけを抜くというのは、できますか?」 「できます。その程度なら、私にも。ある程度の工具は必要になりますが」 バドの隣には、助手としてレイが座っている。凛とした表情は、父親似だ。 エドワードは、ドアのところに立っている己の秘書を呼んだ。 「書類を」 クラウスは頭を下げ、一度ドアを出る。 「これとまったく同じものを作っていただきたい。 かかった経費は全額お支払いします。それと技術料。そちらの言い値で結構です」 クラウスはファイルを持ってきて、エドワードに手渡した。 エドワードはファイルを開け、契約書を差し出す。 それを受け取り、さっと目を通したバドは、息子に目配せをした。 レイは膝に乗せていたブリーフケースから、数枚の紙と万年筆をバドに渡す。 「これが正式な依頼書となります。サインを」 バドは紙をエドワードに差し出した。 「それから、まったく同じものをお望みでしたら、もう少し資料が必要です。 そちら様がご覧になってもわかるように、 クリスタルガラスの回りをカラーストーンで飾られています。 ルビーひとつとっても、同じ色のものを探すのは難しいのです」 わかっている、というように、エドワードはファイルの中の写真を、 すべてバドの前に並べた。一瞬だけ、バドの眉が上がる。 それはどう見ても隠し撮りであったし、身に付けるご婦人の周囲にいる男は、 どう見てもプロだ。 写真を見たレイは、バドになにやら耳打ちをした。バドも意味ありげに頷く。 「マダム・ジェシカ・・・。このご婦人は存じています」 今度はエドワードの方が驚きに眉を上げる。 「うちの店に何度か買い物に。そうとうな宝石好きです。 それに、欲しいものには金に糸目はつけない」 「では、この女性がどういう素性かもご存知ですか?」 「いいえ。お客様のプライベートには立ち入らない主義ですので」 エドワードは秘書に目をやり、入り口を見張るよう目配せをした。 軽く頷いて、クラウスがドアの外に控える。 エドワードは身を乗り出し、声をひそめた。 「できますか?」 「できないと言ったら、他の宝石屋に依頼するか?」 「いいえ。これは裏の仕事です。断られたら、強硬手段を取ることになります」 レイは眉を寄せ、顔をしかめた。 「私は誰も殺したくはない。穏便に、このペンダントだけを手に入れたい」 エドワードのブルーグレイの瞳をじっと見つめていたバドは、 ふとため息をついてソファーにもたれた。 「できるだけのことはしよう」 レイの表情が安堵の色に変わる。 「期日は・・・」 言いかけるエドワードに、バドが人差し指を差し出す。 「一週間後、マダム・ジェシカはブラジルの本社に帰る旦那に同行する。 その前にさよならパーティーだ。レイ」 息子を見やると、レイは何かを期待するように瞳を輝かせた。 「招待状を手に入れて来い」 「社長、パーティーに出席なさるんですか?」 「たまにはな。お得意さんのさよならパーティーだ」 「喜びますよ。マダムは社長を気に入っていますから」 「悪い気はしないが、彼女の旦那が怖くてな」 思わずエドワードは苦笑を漏らした。彼らと一緒なら、事は容易に運ぶように思えた。 「ひとつだけ条件がある」 エドワードを見るバドの目は、鋭く輝いた。 「何があっても、息子を傷つけるな」 エドワードは笑みを消し、 「もちろんです」 と、強く答えた。 「レイには、クラウスを護衛につけます」 「ああ?」 いぶかしげにバドは眉を寄せた。 「大統領のシークレットサービスより、頼りになります」 バドの表情は、複雑だ。 「まあ、ほどほどにな」 テーブルに散らばった書類をかき集め、 必要なものにはサインをしてお互いに交換する。 正式な契約が成立すると、バドとエドワードは立ち上がって握手を交わした。 エドワードは執務室のドアを開け、取引先の社長を丁寧に送り出す。 クラウスも、バドに頭を下げた。 ふと思い立ったように、バドは立ち止まると胸のポケットから名刺を取り出し、 息子が持っていたペンを取り上げ、数字を羅列した。 それをエドワードの秘書の手に押し込む。そして、意味ありげに口元を吊り上げた。 宝石屋が去ると、エドワードは半ば呆然としている秘書に、 メモを開くように顎でしゃくる。クラウスはくしゃくしゃになった名刺を広げた。 「バドの携帯番号だ」 手元を覗き込んだエドワードが、笑いを殺しながら言う。 親として当然のことだ、と、レイとの交際を認めてもらうさい、 お互いのプライベートナンバーを交換していた。 バドにとっては、レイはいつまでたっても子供で、子供は親の心配の種だ。 名刺を持ったまま戸惑っているクラウスに、エドワードはその肩に手をおく。 「よかったな。デートにでも誘え」 たぶん、エドワードが冗談を言ったのなど、生まれて初めてだ。 キッとクラウスがエドワードを睨む。 「エドゥアルト」 クラウスがエドワードを本名で呼ぶことは、まずない。 エドワードは両手を広げて見せた。 「嵐はいつか過ぎ去り、やがて春が来る」 エドワードの言葉に、クラウスが目を細める。 「バド・ブラントの口癖ですね」 「レイの母親の口癖だったそうだ」 エドワードはもう一度クラウスの肩に触れた。 「私たちは、もういいかげんミュラー一族の呪縛から解放されてもいいのではないかな。 アレン・クラウス・ガートナー」 ふとため息をつき、クラウスは名刺を握り締めた。 「残業したくなければ、仕事をはじめてください、エドワード会長」 「ホセ・ウェルマンの事業内容は?」 「リゾート開発でアメリカ進出を狙っています。融資を申し出れば飛びついてくるでしょう」 「では、マダムのパーティーで申し出るとしよう。招待状を手に入れてくれ」 「了解しました」 クラウスは頭を下げ、エドワードは自分のデスクに戻って行った。