車の中で、あれきりレイは口を開かず、
窓の外の流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 エドワードの家に到着し、リビングに招き入れる。
レイは素直にリビングのソファーに座った。

 エドワードは自分用にコーヒーを入れ、
レイにはミルクをカップに入れて持ってきた。
それをテーブルに置き、隣に座る。

 車の中で、エドワードはずっと考えていた。
確かに、自分はレイに魅了されている。
レイに会いに行って、いったい何がしたかったのか。
レイの父親と喧嘩をして、彼を奪ってくることが目的だったのか。
いや実際、そこまでは考えていなかった。
それに、こうもあっさりレイが自分についてくるとは思っていなかった。

「・・・・それで、私は君の家出の片棒を担がされたわけだ?」

 肩を落としたまま、レイがちらりとエドワードを見上げる。
その視線は、否定していない。

「あなたは僕を迎えに来た。だから僕はついて来た。そうは思わないのですか?」

 エドワードは苦笑する。

「君はそれほど尻軽ではないし、私はそれを信じるほど愚かではない。
父親が・・・嫌いなのかね?」

 視線を床に戻し、レイが首を横に振る。

「・・・僕は・・・父さんが好き。
父さんが母さんを迎えに来た時、僕はこの人について行こうと決めた。
バドの行く所なら、どこにでも行くと・・・。
今までの生活をすべて捨ててもいいと思えるほど・・・バドが好き。
バドのためなら何でもする」

 レイは自分の手のひらを見つめ、苦しそうにそれを握る。

「父さんは僕のために何でもしてくれる。
今まで努力して、苦労して、やっと築き上げた会社だって、
僕のためなら迷わず捨てる。それは・・・僕の望むことじゃない」

「だから、離れる?」

「僕たちは、お互いに依存しすぎている。
だから・・・距離をおかないと、父さんは幸せになれない」

 ぎゅっと握ったレイの手のひらに、そっと触れる。
エドワードは、小さくため息をついた。私は、とんだ道化師だ。
薄々気づいてはいたが。

「ごめんなさい」

 呟くレイの肩に、手をまわして抱き寄せる。彼は、まだ子供なのだ。
自立しようともがいている、思春期の子供なのだ。

「でも!」

 エドワードに肩を抱かれ、レイは真っ直ぐな瞳を向ける。

「誰でもよかったわけじゃないんです!」

「私なら、君の父親を説き伏せるだけの地位がある」

 エドワードを見つめるレイの瞳は、何処か哀しげだ。

「ちがう」

 レイは、自分から両腕をエドワードに絡ませた。

「あなたは、守ってくれると言った。守りたいと言ってくれた。
僕が・・・好き?」

 蒼い瞳が、エドワードを見つめる。

「好きだ。そばにいて欲しい。多くは求めない。
君が私を好きになってくれるまで、待とう」

 首にしがみついてくるレイを、優しく抱擁する。

 こんな温もりを、いったいどれくらい長い間忘れていたのだろう。

 結局は、人はひとりでは生きていけないのだ。

 

 夜、ベッドに横たわる。

 レイは緊張した面持ちでエドワードを見る。
その表情が、なんともおかしく可愛らしい。

「怖がらなくていい」

 レイの黒髪を指に絡め、エドワードは苦笑した。

「早急な性欲を持余すほど、私は若くはない。
今は・・・君に触れているだけで十分だ」

 困惑したようにレイはエドワードを見て、視線をあちこちに漂わせる。

「セックスの経験が、ない?」

 頬を染めて、レイがこくりと頷く。
あの夜、麻薬のバイヤーに虚勢を張っていた姿からは想像もつかない。
あの時は一瞬でも、本当にこの少年はやさぐれているのかと思った。

「薬に手を出したこともないんだね?」

 こくり、とまた頷く。

「君の父親は、よくあんなことを許すな。
純粋なままな君が、あんな危険なことをしているなんて」

「許しては・・・いない。僕が勝手にやってるだけ。
だから、いつも怒られる」

「手におえない放蕩息子、か」

 レイは表情をゆがめた。

「私は、君の父親ほど君に甘くはない。
君が勝手に危険なまねをすることは、絶対に許さない。
今度もしそんなことをたくらんでいたら、私は君の先回りをして連中を握りつぶす。
私にはそれだけの力があるのだよ」

「僕は・・・何をすればいい?」

 不安そうな幼い表情に、エドワードは苦笑し、胸に抱く。

「私のそばにいてくれ」

 小さく頷いて、レイはエドワードの腕の中で目を閉じた。

 ただ抱き合って眠る。

 そんな幸せを、エドワードはかみしめた。 

 

 

 

 それは、ささやかな幸せであった。
無邪気な少年の存在が、心を和ませてくれる。

 レイは学校もあるし、平日のほとんどは自分の家に帰っていた。
エドワードも暇人ではない。平日レイが家にいても、相手をするどころか、
顔を合わせることも少ないだろう。だから、ちょうどいいのかもしれない。

 息子のそんな生活を、バドは容認するしかなかった。
レイはそれまでと変わりはなく、むしろ落ち着いてさえいた。
なんにでも興味を持ち足を突っ込むようなマネは、しなくなっていた。
それがとんでもない年上で同性の恋人の影響であるのだとしたら、
バドはそれを認めざるを得なかった。

 

 2ヶ月も、そんな安定した日々が続いていた。

 その日は、全米宝石学協会の主催するパーティーがあり、
バドは出席を余儀なくされていた。

 もともとバドの父親が時計屋の社長であったとはいえ、
バドはごく普通の庶民である。生活するために、あとから教養を身につけた。
自分の着飾り方や、セレブと対等に話ができるだけのマナーなどである。
そして、今実際安定した地位まで来てしまったら、
今度は極力それを避けるようになっていた。
必要以上の接待はしないし、こういう職種ゆえに招待されるパーティーの類も、
何かと理由をつけて逃げ回っている。
今ではレイがバドの代わりにパーティーめぐりとしていた。
営業も接待も、その天性の明るさで飄々とこなした。

 パーティーは嫌いでも、バドは仲間で騒ぐのは好きだ。
何かしら理由をつけては、パブを貸しきって社員や従業員と宴会を開いた。
そんな天真爛漫な社長親子を、社員たちは好いていた。

 そんなバドでも、今回のパーティーをサボるわけにはいかない。
仮にも、宝石屋の社長なのだから。

 直前まで「嫌だなー」「面倒だなー」とぼやいている。
そんな父親のネクタイを選びながら、一緒に招待されていたレイは楽しそうに笑った。

「諦めなよ」

「あー・・・こういう堅苦しいの、嫌いなんだよなー」

 時々、バドは子供っぽい。

「お前、代わりに行って来いよ」

「何言ってるんだよ! 一緒に招待されてるんじゃないか。
奥さんとか恋人とかいれば別だけど」

 こういう場では、伴侶を同伴するのが当然だ。
だが、バドには伴侶はいないし、特定の恋人もいない。

「俺はシンシア以外とは結婚しないって決めてるんだ」

「母さんはもういないの。別の恋人作っても、問題ないんじゃないの?」

 息子にたしなめられて、バドは天井を仰ぐ。

「お前はいいのかよ?」

「いいよ。父さんが幸せになれるなら、ね」

 ぼんやり天井を見ていたバドが、キッと息子を睨む。

「バーのリリー」

「年取りすぎ」

「顧客のローラ嬢」

「浪費家」

「カフェのジュリア」

「趣味悪い」

 じっと息子を見つめ、バドが「ほらみろ」とため息をつく。

「全部ダメじゃないか」 

 レイはべっと舌を出した。

「だいたい、お前に趣味が悪いとか言われたくないぞ。
俺は、お前の不純同性交友を許しているわけじゃないからな」

 ふふん、とレイは鼻で笑う。

「いい人だよ。紳士だし」

「息子ほども年の違う男の子に手を出しておいて、いい人も紳士もあるか」

 選んできたタイを父親の首に巻き、カフスを差し出す。

「父さんが性交渉のことを言っているのなら・・・・してないよ」

 サファイアのカフスを受け取ったバドは、
それを手に乗せたまま呆然と息子を見つめる。

「・・・・・あの男、不能なのか?」

「違うと思うけど」

 ぐずぐずしている父親の手からカフスを取り上げ、それを袖にはめる。

「それだけが目的じゃないから、僕がその気になるまでしないんだって」

「・・・・ガキか?」

「僕がね」

 父親の支度を整え、レイはうんうんと頷いた。

「父さんは、男の人としたこと、ある?」

 バドの頬が、ヒクリと引きつる。

「聞くな」

「どうなのかなーと思って。セックスって、どんな感じ?」

「聞くな!」

 ぷい、と背中を向ける。

 その背中に、レイは抱きついた。

「一緒にいると、気持ちいい。手をつないだり、キスをしたり。
男の性欲って、愛情とは関係ないでしょう? 
だから、・・・・不安になるんだ。肉体関係を認めたら、
精神的な繋がりがそこで途絶えてしまうようで」

 思春期の娘を持ったようだ。
普通、男ってのはそんなことまで考えない。
ボーイフレンドにヴァージンを捧げようかどうしようか、
迷っている女の子ってのは、こんな感じなんだろうな。
バドは肩を落としてため息をつく。

「相手が男か女かは別として・・・・
肉体の繋がりが精神の繋がりを薄れさせるとは、俺は思わない。
俺は・・・シンシアと寝るのは好きだった。
他のどんな女と寝ても得られない満足感を、シンシアは与えてくれた。
そりゃあな、父親としちゃあ、
お前がどこぞの男に手篭めにされるってのは歓迎しないが、
お前には愛情ってモノを疑って欲しくない。
本気でお前が好きだって言うんなら、お前があの男についていっても仕方ない。
ただ、後悔はするな」

 くるりと振り向いたバドは、レイの額にキスをした。

「父さんは、後悔してるんだ?」

「それは、お前が一番よくわかっているはずだ」

 わかってる。知ってる。

 妊娠した母は、ひとり国に戻って行った。
バドが迎えに行ったときには、彼女は息子を残して他界していた。
それを知ったバドは、三日三晩泣き明かしたのだ。
バドがどれだけ彼女を愛していたのか。レイは、バドについて行こうと決めた。

「父さん」

 レイはバドの首に腕を絡めた。

「世界で一番愛してる」

「ばーか。そういうことは、恋人に言うもんだ」

 

 

 

 宝石学協会のパーティーには、エドワードも招待されていた。
同伴者のいないエドワードは、秘書を従えていた。
協会のパーティーともなると、これは完全な仕事なのだ。

 ダイヤモンドの今年の相場やロンドン市場の定める基準の緩和策など、
話題はいくらでもあった。

 熱心に仕事の話をしていたエドワードは、
ちょっとしたどよめきが気になって、入り口に目を向けた。
新しい客の到着である。宝石で着飾ったマダムにはうんざりする。
それを褒め称える周囲の取り巻きにも。
仕事上の商品としてしか宝石を見ないエドワードにとって、
高価な宝石を身に着けた女たちは、
札束を首からぶら下げていい気になっているようにしか見えない。

 が、一瞬、その来客には息を飲んだ。

 がらにもなく、きれいだと思ってしまう。

 その男の瞳はサファイアのように輝き、瞳の色に合わせたカフスや指輪が、
それがひとつの作品であるかのように男に輝きを与えた。

 エドワードは悟った。

 はじめてレイを見たとき、その輝きを知ったのだ。
男の隣で、一回り背の低い少年がにこやかに挨拶をしている。
レイは不意に離れたところにいたエドワードを見つけ、その瞳を細めて微笑んだ。

 エドワードは、はじめて宝石の価値というものを知った気がした。

 所用を済ませて戻ってきたクラウスに、エドワードは耳打ちをした。

「レイが父親と来ている」

「事前にご存知なのではなかったのですか?」

「聞いていた。だが実際正装したレイを見てね・・・惚れ直したよ」

「・・・・お戯れを」

 クラウスは呆れたように目を細めた。

 

 次から次へといろんな客に捕まり、やっとレイとその父親に挨拶ができたのは、
パーティーも終わりに近づいていた頃だった。
実際、バドも仕事で来ているのだ。自分の取引先との話で忙しそうだった。

 エドワードが話し掛けたとき、バドは嫌な顔もせず、笑みさえ見せた。
社交辞令をわきまえている男だ。それに、以前会った時とは印象がまったく違う。
粗野で横暴な雰囲気はなく、上品ささえ漂わせている。
宝石屋らしく高価なサファイアを身につけており、
それがいっそうこの男を美しく見せた。

 当り障りのない会話をするバドとエドワードを、レイは隣で微笑んで見ている。
父が話をしている間は、口を挟まない主義らしい。確かに、レイは聞き上手だ。
相手の話を中断させないよう、いつも気遣っている。

 エドワードはこの親子に好印象を受けた。誰に対してもそうなのだろう。
だから、ひとりでここまでのし上がってきたのだ。

「会長、そろそろお車の用意を」

 伏せ目がちに、幾分頭を下げたクラウスがエドワードの後ろから耳打ちをする。

「わかった」

 秘書に目を向ける。クラウスは、その時顔を上げてレイを見、そしてバドを見た。

「・・・・・・・」

 クラウスの動きが止まる。

「?」

 驚いたように目を見開き、息を詰まらせている。
エドワードは、その視線の先、バドを見た。バドは不思議そうにクラウスを見つめている。

「ブラント殿、こちらは私の秘書です」

 簡単に紹介をしてみるが、バドは聞こえていないようにじっとクラウスを凝視していた。

「父さん?」

 レイが父親の肘を突付く。ハッと我に返ったように、バドは息子を見て口元を引き上げた。

「レイ、仕事を思い出した。私は先に帰るが、お前はどうする?」

「一緒に帰るよ」

 父親に言ってから、レイがちらりとエドワードを見る。
明日は日曜で、普段週末はエドワードと過ごしている。
なんとなく、別れたくないという視線を向ける。

「よろしかったら、レイ君をあとでお送りしましょうか」

 エドワードも、レイをこのまま連れ帰りたいという衝動に駆られていた。

 バドはエドワードとレイ、それに彼の秘書を交互に見ながら、

「もしご迷惑でないのでしたら」

 と告げた。

 レイの顔があからさまに輝く。
その息子の表情に、バドは諦めたようなため息をついた。

「よろしくお願いします」

 頭を下げ、バドは背を向けた。
エドワードがレイを見下ろすと、レイははにかんだように微笑んだ。

 では帰る支度を、と、秘書に視線を戻す。

「クラウス?」

 クラウスは、まだ呆然と立ちすくんでいる。エドワードは眉を寄せた。
彼が、こんな反応をするのは、はじめて見た。

「クラウス」

 もう一度声をかけると、秘書はやっと我に返り、エドワードに頭を下げた。

「車を回してきます」

 何かの動揺を隠すように早口で言うと、クラウスは足早に去っていった。

 

 

 

 相変わらず無口なクラウスは、車の中では一言もしゃべらず、
エドワードとレイを家に送り届けると、自分もすぐに帰っていった。

 付き合いの長い秘書の、あの反応は気になる。
だが、エドワードには目の前の恋人の方が重要であった。

 最初に会ったパーティーでは風変わりなドレスを着ていて、それも似合っていた。
普段着のレイも少年らしい活発さを表していて好きだが、
派手目のヴェルサーチのスーツをシンプルに着こなしている今日は、また格別だ。

 美少年に現を抜かす中年男。
そんな自分をイメージして、エドワードはひとり苦笑した。

「何がおかしいんですか?」

 首を傾げるレイの髪にキスをして、エドワードはリビングのソファーに彼を座らせた。

「私は、狂っているのかもしれない」

 隣に座り、レイの細い膝に手を乗せる。

「目の前に敷かれたレールを、私は迷う事無く走ってきた。
何も欲しいものはないし、野望もない。きっと、不感症なのだろうな。
そんなつまらない自分を、嫌になることもなかった。・・・なのに、
こんな年になってどうしても欲しいものが出てくるなんて」

 エドワードを見上げていたレイは、膝の上のエドワードの手に、自分の手を重ねる。

「エドワード卿はまだお若いし」

「もうすぐ40になる」

「父さんより年上だけど」

 おかしそうにレイは笑った。
エドワードの若々しい気迫は、彼が思っているよりずっと、本人を若く見せる。

「恋愛を信じないんですか?」

「理論的に確証することのできないものだ」

「感情なんて、みんなそうじゃないですか。
親が子供に与える無償の愛情を理論で証明することなんてできないでしょう? 
他人を好きになる事だって・・・理不尽でもなんでも、
すごく好きになることって、あるじゃないですか。いけないんですか?」

「・・・私が君に恋をするなんて、非生産的で非道徳だ」

 感情を否定する言葉を紡ぎながら、それを楽しむエドワードに、
レイはいつも笑って反論する。

「父さんなら、きっとこう言いますよ。
好きになっちまったもんは仕方ないだろう・・・って」

 感情的なのだな。

「バド氏は、実に魅力的だ」

「僕より?」

「君の父親として尊敬するよ。仕事上では付き合いたくないタイプだがね」

 レイが噴出して笑う。それから、笑みを薄れさせ、俯いた。

「・・・・・あなたが、好きです」

 エドワードの心臓が、ぎゅっと収縮する。
レイが、そんな告白をするのは初めてだった。エドワードの一方的な好意を、
親や友人などの愛情と同程度に受け止めてくれているものと思っていた。
ハグや額にキスはしても、エドワードもそれ以上のことはできなかった。
それは、大人としての最低限の理性だ。

 それに・・・・・

 

 彼の父親からレイを奪ってくるなどという愚行を行なっていながら、
その先に進む勇気をもてない理由が、エドワードにはあった。

 自分が誰かに愛されるなど、・・・・幻想なのだと。

 

 自分の膝の上のエドワードの手を、レイはぎゅっと握った。
かすかに震えながら。

「僕は・・・・あなたに助けられたあの夜、すごくあなたが輝いて見えた。
銀色の髪がきれいで、力強くて。胸がどきどきした。
あなたが守りたいって言ってくれた時、すごく嬉しかった。
父さんに僕をくれって言ってくれた時、すごく嬉しかった。
年上の男の人をこんなに好きになるなんて、おかしいでしょう?」

「理論で説明できない感情も・・・・あるのだな」

 エドワードを見上げるレイの瞳が、愁いを帯びる。

「僕を・・・抱いてくれますか」