それでも、エドワードは迷っていた。
『ヴェニスに死す』のアッシェンバッハになった気分だ。
旅先で見つけた美少年に、勝手に惚れこんで自滅していく。
それは、現実逃避が見せる悪夢なのか、己の神を見出した喜びなのか。

 日曜の午後、エドワードは自分で運転する車で、宝石店『ヴェルダ』に乗りつけた。

 ブランドショップが並ぶ一角からは、少し離れている。
高級宝石店というわりには、わりと小さい。
ガラス張りの派手なショウウインドウもない。
それでも、洗練された店のたたずまいは、高級店と呼ぶにふさわしい。

 店の中は、数人のセレブが宝飾品を吟味していた。
それぞれに店員がつき、にこやかに対応している。
店員の人種もさまざまなようであった。
よく聞けば、交わされている会話は英語だけではなさそうだ。
なるほど、よく考えられている。客に合った店員が対応するというわけだ。

 白人の女性がゆっくりと近づいてきて、エドワードに微笑みかけた。

「何かお探し物ですか?」

 一瞬、蒼い目の宝石を、と口走りそうになる。自分らしくないジョークだ。

「レイ・ブラント氏に会いたいのだが」

「お約束ですか?」

「いや」

 店員は軽く頭を下げると、店の奥に引っ込んだ。
しばらくすると、求めていた少年が店に出てきた。細身の黒のスーツを着ている。
エドワードに、複雑そうな笑みを見せる。
エドワードは、名前を呼ぶことに一瞬ためらった。

 今ここで彼に会って、何がしたいのだろう。食事にでも誘うつもりか。

「エドワード卿」

 同じようにためらいがちに、レイはエドワードの名を呼んだ。
パーティーで会った時のような、澄んだ声色だ。

「どうぞ、こちらへ」

 優雅な素振りで店の奥を指し示す。そして、前を歩き出す。
エドワードは素直に従った。

 店の奥には来客用のソファーが置いてあり、そこでも客が店員と何かを話していた。
客に会釈をしながらレイはその前を通り過ぎ、更に奥にある階段を上っていく。
エドワードは自分を落ち着かせようと、密かに何度も深呼吸をした。

 上の階にあるのは、社長室だった。

 マホガニーのドアをノックし、返事を待たずにレイはドアを開ける。
そして、エドワードに入るよう促した。

 社長室の椅子・・・はからっぽで、
その前に置いてあるソファーにその男は座ってタバコをふかしていた。

「父さん、お客様」

「あ? アポのない客とは会わん」

「馬鹿言ってるんじゃないの。僕の恩人だよ」

 緊張感のない会話に、エドワードの口元が引きつる。彼が、高級宝石店の社長?

 その男はタバコをもみ消すと、すくっと立ち上がった。
ふざけた表情が消えると、レイと同じ蒼い瞳が鋭く光った。
背は高い方ではないが、がっしりとした体格で、スーツを崩して着ているものの、
独特の威厳を感じる。癖のある濃い色の金髪は、素直に美しいと思えた。

「息子から話は聞いております。お礼にも伺わず、申しわけありませんでした」

 はっきりとした語尾は、意志の強い男であることを感じさせられる。
バドは、エドワードに座るよう指し示した。

「レイ、飲み物を」

 一社員であるかのようにレイは返事をし、一度社長室を出て行く。

 エドワードがソファーに座ると、バドはもう一度頭を下げた。

「どうかおかけください。私はその件で来た訳ではありません」

 ふとバドの眉間に皺がよる。怪訝そうにエドワードを見ながら、バドも腰をおろした。

「・・・では、どのようなご用件で?」

 エドワードは息を吸い込み、思い切って言葉を出した。

「息子さんを、ください」

 

 がしゃん

 

 ドアの所で破壊音がし、エドワードとバドがそちらを見る。
レイが手にしていたトレイごと、コーヒーカップを落としていた。

 エドワードに向き直ったバドの顔が引きつっている。

「何か、言われましたか? どうやら聞き違いのようですが・・・」

「聞き違いではありません。レイ君をください」

 エドワードの表情は、至極大真面目である。

 それまで下手であったバドの態度が豹変する。
どっかりとソファーに身を埋め、タバコに火をつけ、うんざりした顔で煙を吐き出す。

「帰れ」

 一言言い放って、顔をそむける。

「いいえ、了承していただくまでは」

 商談を組む時のような強気な口調で、エドワードも食い下がる。

「財閥の会長さんだって? 
そりゃあ、あんたみたいな金持ちだったら、俺の会社を潰すことくらい簡単だろうな。
息子の何処が気に入ったのかは知らんが、
金持ちの道楽に息子を売り渡すほど落ちぶれちゃいない。諦めな」

 その態度は、宝石商の社長というより、ダウンタウンのチンピラだ。

「・・・・・たしかに、このビルを買い上げて家賃を2倍にすることくらいは簡単ですが」

「脅しには乗らんぞ。俺は0からはじめたたたき上げなんだ。破産なんか怖くない」

 エドワードは口ごもった。そんな話をしたいんじゃない。脅すつもりなんかさらさらない。

「出て行け。息子は売らん!」

 怒ったバドが声を荒げる。
と、それまで呆然としていたレイがエドワードの前に仁王立ちになった。

「どういうつもりですか?!」

 父親が父親なら、息子も息子だ。怖いものを知らない。

「僕は品物じゃない!」

 レイの蒼い瞳がエドワードを睨む。エドワードはがっくりと肩を落とした。

「・・・・すまない。こういうことは慣れていないもので・・・・」

 誰もが恐れるシルバーフォックスが、しっぽを丸めてしゅんとしている。

「だいたい、僕をどう思っているんですか? 危なっかしい子供? 珍しい置物?」

 さすがにカチンときたエドワードは、すっと立ち上がった。
バドよりも背が高く、威圧的な立ち姿である。

「一目で君に恋をした。君が欲しい」

 じっとエドワードを見上げていたレイは、くるりと父親に向き直った。

「・・・・だって、父さん」

「バカヤロウ!」

 負けじとバドも怒鳴る。

「どこの世界に、父親と同世代の、しかも男に! 息子をやる親がいる?!」

「しょうがないじゃない、好きになっちゃったんだもん」

「す・・・・」

 バドが息を詰まらす。エドワードも目を見開いた。

 好き・・・と、言ったか?

「レイ・・・・」

 レイはエドワードを見上げ、唇を尖らせる。

「本気だから、ここまで来てくれたんでしょう?」

 目を瞬いて、エドワードは口元を緩めた。

「もちろん、本気だ」

「じゃあ、お金の話なんかしないでよ!」

「すまない・・・・」

 それから、タバコをくわえたまま蒼白しているバドに向かい、深く頭を下げる。

「一人の男としてお願いします。レイ君と交際させてください」

 いや・・・・その台詞、何かおかしくないか・・・? 
バドは震える手でタバコを灰皿に押し付け、目を三角にしてタバコの箱を二人に投げつけた。

「出て行け! 二人とも、出て行け!」

 父の癇癪に慣れているのか、レイはそれをひょいと避けると、
エドワードの腕を掴んで社長室を飛び出した。

 社長室での大騒ぎに、何人かの社員が廊下にたむろしている。

「・・・・あの・・・・?」

 女性社員が恐る恐るレイに話し掛けてくる。と、レイはにっこりと笑って見せた。

「あ、いつもの親子喧嘩だから気にしないで。僕、今日はもう帰るから。また明日ね」

 いつも・・・なのか? 
呆然としているエドワードの腕を引っ張って階段を降りかけ、
途中で深呼吸をしてネクタイを調える。
表情を引き締め、エドワードをちらりと見やってから、レイは店に入っていった。

「マダム、いつもありがとうございます」

 最初に目に入った年配の女性に話し掛ける。

「レイ君、いつも可愛いわね」

「ありがとうございます」

「今度食事でも?」

「喜んで」

 ニコニコと商業的笑顔を振りまく。
何人かの客に話し掛け、店員を激励し、レイは店を出て行った。
エドワードは、ただついていくしかなかった。

 店の前に停めてあったエドワードの車に乗り込むと、
助手席でレイは大きなため息をついた。後悔しているのか、とエドワードが覗き込むと、

「ありがと」

 と、レイは小さく笑った。

 

 親子喧嘩は日常茶飯事である。
廊下でたむろしていた社員たちは、すぐに仕事に戻って行った。

 落ちたタバコの箱を拾い、バドは苛立たしげに立て続けに何本もタバコを吸う。

「坊、レイに噛み付かれたか?」

 バドが顔を上げると、老人がニヤニヤして立っていた。

「じいさん」

 バドがため息をつく。
老人は中国系の移民者で、先代の社長の時からの最も古い時計職人だった。

「どこぞの金持ちに求愛されたって? 噂になってるぞ」

 ぶんぶんとバドは頭を振る。

「とんでもない話だ!」

 老人は苦笑した。

「坊からレイを奪おうってんだ、よっぽどの奴なんだろうな」

「でもなあ、どう見ても俺と同年代か上だぞ? 中年のゲイだぞ?」

 頭を抱えるバドに、老人は隣に座ってその膝を叩いた。

「お前さん、シンシアを迎えに行ったとき、何て言われた?」

「部族の女を騙して孕ませて捨てた、最低の白人だと」

 両手で顔を覆いながら、ちらりと老人を見る。

「誰かを好きになるのに、障害なんかあるかね? 
お前さんよりずっと金も権力もある男が、わざわざ頭を下げに来たんだろう? 
レイが好きなら、それでいいじゃないか」

「じいさんは寛大だな」

「わしは、お前さんにもレイにも、幸せになってもらいたいだけよ」

 バドは老人を見て、肩を落とした。

「俺だって、レイには幸せになってもらいたいさ。
・・・・そうだな、誰かを好きになれば、
馬鹿みたいに危ないことに足を突っ込まなくなるかもな」

「そうそう」

 老人は笑い、バドの背中を叩いて立ち上がった。

「All you need is loveさ」

 老人が出て行ったあと、
バドはまたタバコをふかしながら古いビートルズのナンバーを口ずさんだ。