高級住宅街の一角にあるが、その家は他の家ほど大きくも派手でもなく、
不似合いなくらいこじんまりとしていた。

 クラウスが先に立ち、家のドアを開ける。
レイは歩けると抗議したが、エドワードは少年を抱きかかえたまま家に入った。

 リビングのソファに座らせ、傷を見る。
かすっただけで、たいしたことはなさそうだ。

「クラウス、会場のホテルに戻り、
クロークから上着や荷物を返してもらってきてくれ。この子の分も」

 レイは戸惑うようにエドワードとクラウスを交互に見た。
クラウスは、明らかにレイに不信感を抱いているようだ。

「レイ君、彼は私の秘書だ」

 鋭い金色の瞳で見つめられ、レイは顔をしかめる。

「会長・・・・・」

「早く行きなさい」

 エドワードが一括すると、秘書は肩を落とし、出て行った。

 

 黒のパンツをめくりあげ、ふくらはぎの傷を消毒する。
エドワードの手つきは慣れている。

「縫うことはないだろう。傷跡は残るだろうが」

 薬をつけ、包帯を巻くと、エドワードは水と錠剤を持ってきた。

「痛み止めと化膿止めだ。飲んでおきなさい」

 受け取った錠剤を見つめ、レイは眉を寄せる。

「普通の家に常備してあるモノじゃないですね」

 エドワードは、答えずに口元を吊り上げた。

「何か飲み物でも?」

 薬を飲んだのを確かめ、エドワードが問う。レイは首を横に振った。
エドワードはレイの正面に座り、指を組む。

「なぜあんなマネを?」

 予測できた質問に、レイが質問を返す。

「なぜ、あなたはあそこにいたのですか?」

 当然の質問だ。一瞬、エドワードは考える。
なぜ? 何か、確信があったわけではない。

「君の後をつけた」

「なぜですか」

 レイの視線は、大人を信用していない。
彼のその風貌から、興味の対象にされることは多い。

「君に・・・・興味があった」

 案の定、レイの視線が厳しくなる。

「君の友人・・・かな、ジーンとかいう男性にも忠告された。
君を欲しがる金持ちは多い、と。
だが私は、下心があって君の後をつけたわけではない。
君は信じないだろうが、これはたぶん、直感、だ。君は何かしでかす、と」

「それで?」

 じっとエドワードを睨んだまま、レイが促す。

「君のような子供が、あのような危険な真似を冒すことを、
放っておくわけにはいかない。それが、君でなくても、だ。
君は遊びのつもりかもしれないが、奴等の組織力を甘く見てはいけない。
今日見た限りでは、あの男たちは末端の使い走りで、
チンピラの小遣い稼ぎ程度だろう。だが、こんなことが続けば、
奴らは必ず君を見つけ出して抹殺する。子供であろうと関係ない」

 両手を握り締め、うつむいたままレイは唇を結んでいる。

 エドワードは、ひとつため息をついた。

「私は、君を守ることができる。警察に手をまわすことも簡単だ。
もし連中が君を突き止めたとしても、私のそばにいれば、君を守ることができる」

「・・・・・それで」

 上目遣いにエドワードを見る、レイの瞳は怯えてはいない。

「僕に、あなたの愛人にでもなれ、と?」

 ビクリ、とエドワードは身を震わせた。

「お断りします。自分の身くらい自分で守ります」

「君は、連中の恐ろしさをわかっていない!」

 瞬間、声を荒げてしまったことをエドワードは後悔した。

「僕の叔父さんは、薬中で死んだんだ」

 レイは、苦しそうに唇を震わせていた。

「そりゃ、そんなものに手を出す方が間違ってる。犯罪だってわかってる。
でも、僕は叔父さんが大好きだった。
酒場で中毒を起こして叔父さんが死んだあと、州警察の人がたくさん家に来た。
家の中を荒らしまわっていった。薬物を不法所持していないかと。
おばあちゃんが評議会の議員で、違法だと談判しなかったら、
僕ら家族は皆留置場行きだった」

「違法?」

「ネーションは合衆国の定めた自治区です。
自分たちの法律を持ち、自分たちで行政を行なう。
ネーションにアルコールや薬物を持ち込むのは違法だし、
叔父さんの件は自分たちの法で裁く。州警察には、目の上の腫れ物だ」

 息を荒げるレイを、驚きの眼差しで見つめる。

「・・・・・居留地の・・・・出身、なのか?」

「スー族居留地。あなた達はそう呼ぶ。僕らは、ラコタ国(ネーション)と言う」

 生粋のインディアン、か。厄介な子供に関わってしまったものだ。

「わからないな。でも、君のその目の色は本物なのだろう?」

「父さんは正真正銘、バド・ブラントですよ。
DNA鑑定なんかは必要ないでしょう? 
母さんはこのニューヨークで父さんと出会い、国に帰って僕を生んだ。
母さんを追いかけてきた父さんに、僕は引き取られた。
父さんは僕に、ただ裕福な暮らしをさせたいだけみたいだけど、
僕は横行している麻薬犯罪が耐えられない」

 レイは、ぎらぎらと目を輝かせている。
そんな真っ直ぐな瞳は、酷く懐かしい。
昔は、自分にもそんな頃があっただろうか。
心に突き動かされ、無鉄砲に走る時代が。

「いいかね、レイ。私には君は無鉄砲としか思えない。
君は自分に自信があるかもしれない。だが、悪い連中というのは姑息なのだよ。
君に勝てなければ、君の近親者が狙われる。
私はね・・・・若いときに一度結婚した。だが、こんな地位にいる。
命を狙われることは珍しくない。私自身は、自分の身くらい守れる。
だが、妻は違った。結婚して半年で、妻は殺された。
それ以来、私は誰とも関係を持つまいと決めた。
・・・・正直な話、私は今の自分を愚かだと思う。
それでも、君を守りたいと思ってしまったのだ。
自分でも歯止めが利かないほど・・・。クラウスが怒っているのはそのせいだ。
私が誰かに執着するなど・・・・」

 組んだ指に力を入れ、言葉を捜すようにエドワードは頭を振った。

「もし妻が・・・・私の子を産んでいれば、
今の君と同じくらいの年齢になっていただろう」

 エドワードを睨みつけていた、レイの表情が緩まる。

「君を、守りたい」

 苦痛の表情をするエドワードに、レイはすっと立ち上がると、その足元に跪いた。

「・・・・・生まれなかった、息子として?」

 蒼い瞳が、エドワードを見上げる。説得するつもりが、完全に引き込まれている。
レイの頬にそっと触れ、エドワードは困惑して視線を外した。

「パパは、二人要らない」

 レイの言葉は、何を意味するのか。
レイの声、それ自体が麻薬のように、エドワードの脳を麻痺させる。

 その時、玄関チャイムが鳴った。エドワードはハッと顔を上げ、レイも立ち上がる。

「取ってきました」

 あのクラウスという男だ。レイを一瞥し、荷物をエドワードに手渡す。

「身分証は見させてもらった」

 レイにクラッチバックを手渡しながら、クラウスは言った。

「かまいません。正当な身分証です。誰に見られても困りませんから」

 さっきまでとは違い、最初の警戒した眼差しをクラウスに向ける。

「助けていただき、ありがとうございました。帰ります」

「送ろう」

 エドワードが立ち上がると、レイは否定するように手のひらをむけた。

「けっこうです。でももしお願いできるのでしたら、タクシーを呼んでください」

 エドワードはクラウスを見やる。
クラウスは無言で携帯電話を取り出すと、タクシーを呼びつけた。

「5分で来ます」

 クラウスの報告に、エドワードはレイに座って待つよう促す。
レイは丁重に頭を下げ、外で待つことを告げた。

 エドワードはクラウスに残るよう身振りし、自分は玄関までレイを送ってきた。

「また、会えるか?」

 玄関の明かりの下、レイはバックから名刺を取り出してエドワードに渡した。

「週末はたいてい店にいます。父は・・・シルバーフォックスを好まないでしょうが」

 エドワードは片眉を上げた。

「そう呼ばれるのは、好まない」

 実際、それはエドワードを侮蔑した時に使われる名前なのだ。

 不快そうな表情をするエドワードに、レイはふと笑みを見せた。
驚くほど優しげで、無防備で、愛情に満ちた笑い方だった。

「本当に、銀色狐みたいにきれいな髪」

 タクシーのライトが近づいてくる。
レイは笑みを消し、タクシーに乗り込むと軽く頭を下げた。

 エドワードは、自分が恋をしているのだと気付いた。

 

 リビングに戻ると、不機嫌そうなクラウスがコーヒーを入れて待っていた。

「レイ・ブラント、ハイスクールに在籍、ニューヨーク郊外在住。身分証は本物です」

 ソファーに座り、コーヒーを一口飲む。

「もっと身元を調べますか?」

 エドワードは首を横に振った。

「必要ない」

「なら、執着するのはおやめください。あなたらしくない。たかが宝石商の息子です」

「無鉄砲な、な」

 クラウスとは、会長就任前からの付き合いだ。いつも一番近いところにいる。
自分を最も理解しており、そして、エドワードを守ることを自分の命より優先している。

「クラウス、私は・・・自分に感情というものが存在していることを実感したのは、
これが2度目だ」

 クラウスは眉を寄せた。

「妻が殺された時と・・・・今だ」

「なら尚更です。あなたは感情をセーブしなければなりません。
奥様が亡くなられた時、感情的になったあなたが私に命令をしたのを覚えておいでですか? 
あなたは、犯人グループ全員の殺害を私に命令された」

「覚えている」

 顔を上げたエドワードは、苦笑して見せた。

「決して、楽な死に方をさせるな、と。そして、お前はそれを実行した」

 クラウスの視線は、冷たい。

「私は、あの少年に惹かれている。・・・・なぜかな。
クラウス、お前も知っている通り、私は望んで今の地位にいるわけではない。
実際妻とも政略結婚だった。それが当たり前で、不満を感じたことはない。
私に逃避という選択肢はない。
この莫大な財産も、地位も、私のものであって私のものではない。
私は・・・何かを求めてはいけないのか?」

「伴侶をお求めになるのでしたら、それ相応の女性がたくさんいます」

「もう、政略結婚はたくさんだ」

「しかし、今のあなたが見つけたものは、同性で、しかも子供です。
社会的に認められるものではありません」

 あらゆる束縛に、がんじがらめになっている。自由など、ない。

「・・・・会長職を誰かに譲って、私はあの子をさらって逃げたい気分だ」

 自分で自分を笑う。いい大人のする判断ではない。
クラウスは、唯一本音をぶつけられる相手でもあった。

「クラウス、お前は、恋をしたことなどないだろう」

 エドワード以上に、厳しく躾けられ、訓練されてきた男だ。
エドワードはかろうじて読書という趣味を持っていたが、この男には趣味さえない。

「そんなものは、一時の気の迷いです」

 ふと、小さく笑う。

「もし私を今の地位に留めておきたいなら、
その気の迷いを見ないふりをしていてくれ。私にだって、気休めは必要なのだ」

 クラウスは、ため息をついた。

「ご自由に」