酷い嵐だった。

 バド・ブラントは、年季の入ったビートルのワイパーをいっぱいに動かす。
それでも数メートル先は雨のカーテンで見えない。

「くそっ」

 癖のある金髪をかきあげて悪態をつく。

 思えば、バドの今の人生自体が酷い嵐だ。

 昔ながらのアンティーク時計を作り続けてきた会社の、
社長である父が事故で死んだのが一年前。
バドはハイスクールを中退し、父の後を継いだ。

 手作りの時計なんて、時代遅れだ。残されたのは借金と、熟練工たち。

 経営のABCも知らなかったバドは、銀行を巡って融資を頼み、
宝飾品店を一つ一つ巡っては商品を置いてもらえるよう頭を下げた。

 靴は磨り減るし、車は壊れる。なのに、一向に光は見えない。

 

 酷い嵐だ。

 

 貧しいアイルランド移民だった父が、心血注いで作り上げた会社。
職人の人種は問わず、みんな家族のように支えあってきた。

 だから、社長が死んだのでさようなら、というわけにはいかなかった。

(春の嵐よ)

 シンシアは言った。職人の中で最も若い女性で、バドの今の恋人だ。

(春の嵐は、古いもの、弱いものをみんな吹き飛ばしてしまう。
でもね、嵐の後は、新しい命が芽吹くのよ)

 経営難で給料が払えなくて、事務員にはやめてもらった。
でも、昔からの職人は無給でも残ったし、彼女は事務でもなんでもこなしてくれた。

「くそっ」

 また悪態をついてハンドルを殴る。

 エンジンが嫌な音をたて、フロントからかすかな煙が上がっている。

「冗談じゃない! 町まであと10キロか? 20キロか?!」

 エンジンが爆発する前にと、バドは車を路肩に寄せて止めた。

 車から出た一瞬でずぶ濡れになる。

 遠く離れた銀行まで融資を頼みに行き、無下に断られて帰る途中だった。
外回り用のスーツが濡れでぐしょぐしょになっても、もうどうでもよかった。

 

 どうにでもなれ。

 

 フロントを開けて、エンジンを覗き込む。
少し休ませれば、もうちょっとの間誤魔化せるだろう。
とにかく、ガソリンスタンドなりモーテルなりには行き着きたかった。

 諦めて、車の中からタバコを取り出して火をつける。
こんな雨の中でも火がつくなんて。バドは一人苦笑した。

 つけたままのヘッドライトの先に、ふと何か光るものを見つける。

 猫の目だろうか? バドは無意識に近づいて、身をかがめた。
道路わきの草むらに、何かがうずくまって、じっとこちらを見ている。

「・・・・・・・」

 金色の、二つの目。

 バドは驚いたようにしばらくその目を見つめた後、
もう火の消えたタバコをくわえたままニヤっと笑った。

「怪我でもしてんのか? 家出か? 出て来いよ」

 警戒した猫のように、それが身を縮める。

「怒んなよ。保健所に連れて行ったりしないからさ」

 いぶかしげに金色の目はきょろきょろと周囲を見回し、
それは這うようにゆっくりと出てきた。

 まだ少年だ。

 長袖のシャツと長いジーンズ、
スポーツマンのようなしっかりとしたスニーカー。
短いプラチナブロンドに、印象的な金色の目。

「怪我は?」

 タバコを吐き出して聞いてみると、少年はゆるゆると首を横に振った。

「行きたい所があるとか?」

 それにも首を横に振る。

 バドは手招いて、その少年をぼろぼろのビートルに押し込んだ。

「旅は道連れだ。さて、俺のかわいいカブトムシ君は機嫌を直したかな?」

 エンジンキーを回してみるが、エンジンは不満の声を上げただけだった。

 後部席の少年に振り向き、両手を広げて見せる。

「頼りないのに拾われちまったな」

 諦めの笑みを見せると、じっとバドを見つめていた少年は、ぱっと外に出た。

「おい?」

 逃げるのかと思いきや、少年はエンジンルームに上体をかがめて、
なにやら弄繰り回している。
バドも外に出て、少年の背後から車に積んであった懐中電灯を当ててやる。
その手さばきは、まるでエンジニアだ。

「すげーな、お前」

 ひとしきり修理が終わると、フロントを勢いよく閉める。
バドは運転席に戻り、キーを回す。驚くことに一発でエンジンはかかった。

「ラッキーな拾い物だぜ! 乗りな! 好きなところまで送ってやるぜ」

 にこりともしないまま、少年は後部席に乗り込んだ。

 

 雨の中、機嫌の直ったビートルと同じようにバドも機嫌を直していた。
少年は何を聞いても答えない。問い質そうとも思わない。
それでも、誰かと一緒というのは、バドの機嫌をよくしていた。
もともと、社交的で人と一緒にいるのが好きな性格なのだ。

「ホープのダイヤモンドの話を知ってるか?」

 何も答えない少年に気を悪くする事無く、しゃべり続ける。

「悪魔のダイヤさ。それを手にした人間は、みんな不幸な死に方をする」

 ちょっと振り返り、バドはニヤリと笑った。

「お前は、ダイヤモンドみたいだな。綺麗な目をしている」

 それからまた前方を見る。

「・・・・・・・悪魔の宝石・・・・が、欲しいのか」

 搾り出すような呟きに、バドは声を出して笑った。

「なんだ、しゃべれるんじゃないか! 
まあな、一度は手にしてみたいだろう? 危険で美しい至宝をさ。
それで本当に自分が狂ってしまうのか、確かめてみたい」

 前方に小さなネオンが見えてくる。モーテルの看板だ。

「どうする? 一休みして行くか? それとも、どこかに送るか?」

 少年はモーテルを指差した。

 

 部屋を取り、一息つく。
持って来たボストンバックから、
バドはとりあえずの着替えに持ってきたTシャツとジーンズを少年に投げた。
余分はない。でも、寒くはない。
服を干して毛布に包まっていれば、明日には乾くだろう。

「とにかく着替えろ。風邪ひくぞ」

 あれきり、少年は黙り込んだまま口を開かない。
タオルを肩にかけたまま、じっと床にうずくまっている。
バドはため息をつき、自分はシャワーを浴びてバスタオルに包まった。

「それにしても、止まないな」

 窓の外は、大粒の雨が降り続いている。

「天気予報でもやってないかな」

 動かない少年を無視して、テレビをつける。

『・・・・・・・地区でマフィアの抗争と思われる殺人事件が発生しました。
死亡したのは、ナイトクラブの経営者で・・・・・・』

 テレビの真ん前で、バドは画面を見つめた。

『被害者は麻薬密売組織の容疑者で、何らかのトラブルがあった模様です。
犯人は目撃されておらず、現場から逃走したまま行方はわかっていません・・・・・』

「この近くだな。物騒なもんだ」

 

 カチャリ・・・・・・

 

 不気味な機械音に、バドは振り向いた。

 その眉間に、ぴったりと銃口が当てられている。

「・・・・・・・」

 バドは少年を見た。

 銃を握る少年は、無表情で、金色の瞳だけがぎらぎらと光っている。

「お前・・・・・」

「私を拾ったのが、間違いだ」

 冷静な口調だが、声色はまだ幼さが残っている。

「やめろよ、ガキのくせに」

 バドは動じた素振りを見せず、じっと少年を見つめる。

「お前、大人に利用されているだけなんだろう?」

 少年の指が、撃鉄を起こす。

「後で後悔するぞ」

「・・・・・悪魔の、宝石」

「あ?」

「それが、私だ」

 わざとらしいくらい大げさに、バドが肩を落とす。

「馬鹿言ってるな。あれは比喩だ。お前は人間で、ただの子供だ」

 少年の唇が、わずかに震えるのを見て取る。

「俺はどうしようもない貧乏だが、子供一人くらいは養えるぞ? 
今だって十人からの職人を食わしてやってるんだ。
一人くらい増えても変わんねえ。だから、やめて俺んとこ来いよ。
そんで、たまに車の修理してくれれば助かる」

 金色の瞳の色が、揺らぐ。

 バドはニヤッと笑って見せ、右手を持ち上げた。

「・・・・・!」

 その瞬間、振り上げた少年の右手が、銃を持ったままバドの側頭部を殴った。

「ってえ!」

 床に倒れたバドは、皮膚の切れた頭を押さえる。
片腕で上体を支えたまま、少年を睨む。

「取って食いはしねえよ。そんなに怯えなくても・・・・・」

 更にもう一発、今度は反対側を殴られる。バドは無様に床の上で頭を抱えた。

「あー・・・ったく、力だけはあるんだな」

 バドの腕を掴んで、少年はその喉元に銃口を突きつける。

「私が・・・怖くないのか?」

「ばーか。いきがってるガキなんか見飽きてるわ! 
だてにダウンタウンで生まれ育ったわけじゃねえ!」

 バドの金髪が血に汚れている。それは、ぞっとするほど興奮する。

 服を着ていないバドに馬乗りになり、少年は銃を投げ捨ててその首を両手で絞めた。

 さすがにバドも足をばたつかせて抵抗する。

 首に手をかけたまま、バドの、真っ青な瞳を覗き込み、少年は口元を歪めた。

 

 ああ、だめだ。

 

 首を絞める力は強くないが、撥ね退けられない。バドは頭の中で諦めをつけた。

 

 こいつ、興奮して見境のなくなった獣みたいな目をしてやがる・・・・。

 

 首筋に噛み付かれながら、バドはぼんやりと天井を見上げた。

 

 動揺している。餓えているんだ。優しくされることに・・・・・。
なのに、求める方法を知らない。

「女だったらよかったのに・・・・」

 呟いて、バドは少年の髪を撫でてやった。

 

 

 

 翌朝。

 バドはベッドの上で目を覚ました。

 体中痛い。特に、下半身。

 とんでもねえ・・・男にやられるなんざぁ。

 ベッドから這いずり落ちて、自分の所持品を確かめる。
昨夜少年に投げてやった服は、なくなっていた。
金品にはまったく手をつけられていない。

 金欲しくて暴れているわけじゃないんだな。

 だったら、本当に大人にだまされて利用されているだけかもしれない。

 頭を振ってシャワールームに行き、体を洗い流す。
それから新しいタオルで髪を拭きながら、雨の上がった外を見た。

 嵐は、過ぎ去っていた。

少年の気配は、どこにもない。

 テーブルに投げ出してあったタバコをくわえ、火をつける。

「悪魔の宝石・・・・手に入れそこなったな」

 苦笑する。

「宝石・・・・」

 頭の中に閃きを感じ、ボストンバッグの奥を探る。
売り物の腕時計が、たいそうなケースに入って出てくる。

「そうか、時計にこだわることなんてないんだ」

 うちの職人たちなら、アクセサリーだって作れる。
最初は抵抗があるかもしれない。でも、持っている技術を生かせば・・・・。

「やってみる価値はあるかもしれない」