誠司が気にかかるのは、きっと息子騒動のせいではない。

 周囲に才能の限界を囁かれている誠司と、自分の才能の限界を痛感している己自身に、
共感しているのだ。

 それでもいいと飄々とする誠司は、この先どうするつもりなのだろう。

 それでもこの道を諦めきれずにもがき続ける自分は、どうなってしまうのだろう。

 

 

 

「なんだか、旅行雑誌の同行しているうちに、美味しいもんってのを覚えちまったんだ」

 古びた乗用車で、伊豆の海沿いにあるレストランまで来た。

 シーズンオフの海は、観光客も少ない。

 窓際の席で、前菜を口に運ぶ誠司を眺める。緊張しているのか、表情が硬い。
いつもにこやかにしている誠司でも、緊張する事があるんだ? 人間の表情は、面白い。

「・・・・竜さん、この前・・・・なんで市原さんのアシストなんか入っていたんですか?」

 ふふふ、と鼻で笑う。

「誠司がすまして写真撮られる姿が見たくて」

 フォークを握る手が止り、誠司はぱっと顔を紅潮させた。

「うそ。勉学のため。市原は、俺より上手いから」

「竜さんだって、上手いでしょう?」

「いや。・・・そういえば、あの時、よく俺の撮った写真、知ってたな」

「雑誌、置いてあったし」

「あんな隅っこの写真、撮影者も書いてないだろう」

「でも、ページに付箋貼ってあって、その写真だけ書込みされてたから」

 できてきた写真に、自分で自分にダメ出し。

 それを、次につなげようと言うのではない。あれは、自傷行為だ。ダメな写真。ダメな自分。

 なんとなく会話もなく、次々に運ばれる料理を口に運ぶ。

 ふたりでの外出と言うのが、なんとなく気恥かしくて、誘わなければよかったと、後悔もする。

 やっとデザートまで来た時、甘ったるいケーキをつつきながら誠司は口を開いた。

「竜さんは・・・・なんでカメラマンになろうと思ったんですか」

 このケーキはいただけないな、なんて、ぼんやり考えていた竜之介は、はたと顔を上げた。

 

 カメラに憧れた、きっかけ。

 

「・・・・浅井慎平って、人の写真をな、昔見たんだ」

 忘れていた名前なのに、口に出したらあの感動がまた蘇ってくる。

「キレイだったんだ。ただガラス瓶を並べてあるだけなのに。
・・・・ニューヨークの、空の色に憧れた。だから・・・・」

「空を撮りたい?」

 無邪気に首を傾げられ、衝動的に竜之介はケーキにフォークを突刺した。

 

 だめなんだ。

 撮れないんだよ。

 

 驚いたのか、怯えたような目をする誠司に、竜之介はあわてて謝った。

「ごめん。出よう」

 

 

 

 レストランの外のビーチは、人影がなく、そして、肌寒かった。

 空は高く、海は灰色がかっている。

 並んで海を眺めながら、竜之介は潮風を吸いこんだ。

「誠司・・・静のこと・・・・・」

 やっと切り出す。

 

 どう思っているんだ? 

 本当は。

 

「しーちゃんのこと、好きだよ」

 誠司の眺めるはるか先には、誠司の母親がいるのか。

「ちょっとばかで、間抜けで、後先考えなくて、衝動的だけど。オレは、しーちゃんが好き」

 ばかで、間抜けで、後先考えなくて、衝動的。

 竜之介は苦笑した。

「しーちゃん、十七でオレを産んだんだ。
一番遊びたい時期に、学校やめてオレ育てて・・・必死で働いて。
父親はね、しーちゃんもわからないって。いい加減に遊んでいたから。
でも、子供は可愛いって。オレ、しーちゃんに怒られたこと、ないよ。だから・・・・・」

 潮風に目を伏せて、誠司は悲しげに微笑んだ。

「オレ、静に幸せになって欲しいんだ」

 

 ごくん、と、息を飲む。

 竜之介は、全身に衝撃を感じた。

 

 窓辺に置かれた空瓶。

 クロゼットの上の人形。

 そんなものに、誠司はなりたがっているのか。

 

 誰にも迷惑をかけずに、たたずむだけの存在。

 飽きたら捨ててもかまわない。

 それでも自分は、

 己の主を愛しているから。

 

なんで・・・・・

 なんで、俺は今、カメラを持っていないんだ?

 

 泣きそうな顔で笑う、誠司の後の空が、蒼い。

 

「誠司」

 ごめんね、めいわくかけて

 かすれる声が、そう呟く。

 

 なんで、カメラを持ってこなかったんだ!

 今この瞬間を、

 留めたいのに。

 

 空が、蒼い。

 

 竜之介は誠司を抱き寄せ、吸寄せられるように唇に触れた。

 

 冷たくて、潮の味がする。

 

 今、この瞬間

 時間を止めて、自分のものにしたい。

 

 そう、写真を撮るというのは、空間を共有したいからじゃない。
その空間を、占有したいからだ。

 誰もが見る美しい風景を、自分だけのものにするために、それを印画紙に焼きつける。

 あるいは、人の気付かないちっぽけな存在を、
自分の中に大きく位置付けるために、シャッターを押す。

 

 空は

 蒼く存在しているのではない。

 人の目が、

 それを蒼く染めるのだ。

 

 

 

 時間に流されて、基本的な欲望を忘れていた。

 てきとうに食べて、てきとうに寝て、たまには同僚と女の子のいる店に行って、奉仕させる。

 それで?

 と、自問したところで、何も残らない。

 

 写真は、仕事だ。

 どうせ、自分ではカスしか撮れない。

 才能なんか、ない。

 ただの技術屋だ。

 

 諦めたよ。

 投げ出したんだ。

 何もかも。

 

 それなのに・・・・まだカメラを手放せない。

 いつまでも悪あがきを続けるのは・・・・・・

 本当に撮りたいものを、まだ探しているせいだ。

  

 他人を感動させるには、

 まず自分が感動しなければならない。

 そんなことも、忘れていた。

 

 欲しい。

 今この瞬間が、

 欲しい。

 自分だけのものにしたい。

 そんな強い願望が、竜之介を支配する。

 

 今この一瞬のためだけに、

 自分はカメラを手放さなかった。

 

 そう、

 その瞬間を閉じ込めることができたら、

 あとは地獄に堕ちてもかまわない。

 芸術家は、犯罪者と紙一重なのだから。

 

 

 

 マンションに戻ると、竜之介は無言で誠司を押倒した。

 何をされても仕方ないだろう? 

 勝手に転がりこんできたんだから。

 欲望に支配され、息を荒げて服を脱がせる。

 誠司は、ただじっと竜之介を見上げている。

 

 ガラスの瞳は、憂いでいる。

 

 乱暴に唇を求められ、誠司は目を閉じて、ただそれを受けいれた。

 

 

 

 誠司は、閉じた目の内側で、冷静さを保っていた。

 こういう仕事をしているから、下劣な視線にさらされることも、
必要以上に体を触られることも、ある。誠司より年下の子がスポンサーに売られた、
なんて噂も、嘘ではない。今までそういうことを強要されなかったのは、
たんに運がよかったからだ。何を犠牲にしてもタレントになりたいという願望はない。

 むしろ、いつやめてもいいとさえ思っている。

 逆に、もし好条件でそういうことを求められたら、応じてもかまわない。

 どうでもいいのだ。

 今実際、欲望の対象として置かれても、だから、抵抗感はない。

 

 うそだ。

 

 嫌なんかじゃない。

 そうして欲しいんだ。

 

 竜之介は、ダメなおじさんだ。

 もう、生活はいい加減で、怠惰。のらりくらりとして、いつも謝ってばかりいる。

 

 なのに

 カメラに向う時の目は鋭く、他の一切を排除する。

 そうかと思えば、寝ぼけ眼で何を考えているのかぼんやり呆けている。

 突然子供みたいな悪戯をする。

 そして

 夢を語る時、悲しそうな顔になる。

 

 この人のそばは、居心地がいい。

 本当は、すぐにでも出て行くつもりだったのに、

 一緒にいればいるほど、もっと一緒にいたくなる。

 自然でいられるから。

 安心していられるから。

 

 ただなされるがままになっていた誠司は、にわかに痛みを感じた。
うめいて歯を食いしばる。その口を、竜之介の指がこじ開け、舌に触れる。
大きく息を吸いこみ、体の力が抜けた瞬間、何かに全身を貫かれた。

「・・・・・・・・・」

 悲鳴の代りに、竜之介の指を噛む。竜之介は、おかまいなしに誠司に己を埋めた。

 耳元で、竜之介の熱のこもった息を感じる。

 無骨な指が、誠司の敏感な場所を弄る。

 

 冷静でいるつもりの誠司の思考は、だんだんと熱を帯びていく。

 荒い息が、快楽の吐息に変る。

 

 好き、なんだ。

 竜さんの事、

 好きだ。

 

 ねえいっそ、人形を分解するみたいに、オレのこと壊してよ。

 そしたらきっと、楽になれる。

 

 オレ、あんたのこと、狂わせてみたい

 

 

 

 竜之介は、理性を握りつぶした。

 真白い雪に、足跡をつけたい衝動。

 静かな湖面に、石を投げ入れたい衝動。

 そこに存在するものに、己の存在した跡をつけたい。

 そうすれば、それはもっと美しくなる。

「誠司」

 耳元で囁くと、少年は苦しげに嗚咽を漏らした。

 

 たとえそれが犯罪であっても

 

 俺のものにしたいんだ。

 

 その美しさを、

 手に入れたい。

 

 

 

「・・・・・・」

 誠司は、ふと目を覚ました。

 眠っていたのだろうか?

 自分に覆い被さるように両手をついて、
荒い息をしている竜之介を見上げた時、誠司は自分がはじめて快楽に達したことを知った。

 誠司を見下ろす竜之介は、またいつものおろおろした表情をしている。

「ご・・・めん」

 謝罪の方法さえ、見つからないようだ。

 さっきまでの荒々しさは、微塵もない。

 誠司は、そんな竜之介がおかしかった。

「・・・・・竜さん、って・・・キレるタイプ、だね」

 指摘された竜之介は、恥しげに体を起して頭を抱えた。

「ごめん、こんな・・・・・・」

 こんなこと? 

 本当は、したくなかった?

 誠司は引きとめるように竜之介の腕を掴んだ。

「竜さん」

 そのまま、倒れこむように竜之介の胸に顔を埋める。

「・・・・誠司・・・・その・・・」

 言いにくそうに言葉を詰らせ、竜之介は誠司の髪を指に絡めた。

「キレイ・・・だった」

 

 キレイ?

 

 誠司は失笑した。

 キレイ

 なんて、はじめて言ってくれたね。

 

 じゃあさ、本気で、オレの写真、撮ってくれる?

 空に憧れるみたいに、

 オレを見つめてくれる?

 

「疲れた。ここで、寝ていい?」

 うろたえながらも、竜之介は頷いた。  

 

 

 

 誠司は、はじめて竜之介の布団で寝た。