さすがに、いつまでも床の上に寝かせるのはかわいそうかな。
そんなことを竜之介は考えていた。居間にはソファもないし。
自分の布団をさし出す気はないが。
かといって、一組布団を買ったところで、いつまで居候するかわからないし。

「ソファベッド・・・・か?」

 ぼんやり呟くと、目の前に小さなガラスのハイヒールが置かれた。

「巽クン、彼女でもできた?」

 あー、嫌な声色。

「市原サン、いつ帰国したんすか?」

「今。これ、お土産。ベネツィアンガラス」

「そういうのは、女の子にあげてくださいよ」

「気の利かない巽クンのために、彼女へのプレゼントを選んできてあげたんじゃないか」

「もう遅いっす」

「あれ、フラれちゃったあと?」

「カレシ追い掛けて、ロス行っちゃいました」

「だめだなあ」

 だめ、か。竜之介は、ばったりデスクに伏せた。

 市原は同期だが、仕事の腕は数段上だ。人間を撮らせるのが上手い。
フリーになるだけの力はあるのに、アイドル好きでこの出版社にいついている。

「俺の代りに『ティーン』の撮影してくれたって? どうだった? 
ラーメンよりは美味しいだろう!」

 デスクから顔を上げながら、顔をしかめる。

「化粧臭いよりは、しょうゆ臭い方がマシ」

「そんなこと言ってるから、彼女に逃げられるんだ!」

 背中をばんばん叩かれて、竜之介はうめいた。

「お前だって独身だろうが」

「俺は独身貴族。楽しんでるの。わかる? 
結婚しちゃったら、好きな女の子とできないでしょう? 
ましてや子供なんて生れた日には! ああ、恐ろしい!」

 その子供が、今家にいるんですけど・・・・。  

「じゃ。俺、撮影あるから」

「帰国したばかりで?」

「週刊誌のグラビア撮影は外せないでしょう! 水着の女の子、触り放題だよ?」

「あー、行ってらっしゃい、エロカメラマン。出版社の品位を落さないように」

「ナカセ・プロの社長じゃないんだから、モデル傷つけたりはしないよー」

 ニヤニヤ笑って、市原は手をふって出て行った。

 目の前のガラスの靴を突付きながら、竜之介は溜息をついた。

 

 子供がいるから、結婚してくれと迫られなかった分、マシか。確かに、束縛されるのは嫌だ。

「ソファベッド、だな」

 よし。日曜に買いに行こう。

 

 

 

 が、結局日曜は仕事が入ってしまったし、誠司も劇団の方に行ってしまったので、
ソファベッドは通販になった。

 数日してソファが届くと、誠司は子供のように(いや、実際子供なのだが)喜んだ。

「いくらしました? オレ、払いますよ」

「いいって。中古だし」

「でも・・・貯金、ありますから」

「じゃあな、貯金はとっておけ。俺はお前の学費まで払うつもりはないからな」

 大きなプレゼントに、誠司はごろごろ横になって喜んだ。

 そういうところは、子供らしいんだな。
なんとなく義務を果したようで、竜之介も満足感を覚えた。

 

 ソファが届いてから、誠司はそこを自分の居場所と決めたようで、
家にいるときのほとんどをそこですごした。

 最初覚悟していたより、誠司は竜之介の邪魔にならない。
むしろ、洗濯や掃除をしてくれたり、冷蔵庫にすぐ食べられるものが入っていたりで、生活が楽だ。
こんな同棲生活なら、悪くないと思えるほど。私生活においても、誠司の存在感は薄い。

 

 

 

 竜之介の仕事は不規則で、
誠司が登校する時間はほぼ百パーセント寝ているか徹夜で仕事をしているか。
帰宅は遅くなることが多く、竜之介の休日である日曜は、逆に誠司の仕事が入っていたりする。
つまり、ふたりが顔をあわせることは、あまりなかった。
だからお互い、よけいな干渉をせずにすんでいるのかもしれない。
竜之介は、誠司のことは何も知らない。

 その日の竜之介の仕事は、密かに流行している「ドール」の取材同行であった。

「これはスーパードルフィーというシリーズです」

 いろんな取材の同行をしてきたし、いろんな趣味を見てきたが、
妙にリアルな人形たちに、竜之介は一瞬たじろいだ。

 どれもが、絵画や夢の世界から抜け出たような、妖艶な美しさがある。

「人気のあるドール作家さんの作品になると、十万は越しますよ」

 笑いながら説明してくれる女性に、竜之介は「はあ」と感嘆の溜息をついた。

「巽さん、撮影の方、お願いします」

 記者に言われ、この人形の所持者と一緒に人形にポーズをとらせる。

 その愛着の仕方は、尋常ではない。まるで、本物の自分の子供のように人形を扱う。
すると、ただの人形が本当に血の通う生物のように見えてくるから不思議だ。

 ファインダーをのぞきながら、

(キレイだな)

 と、素直に竜之介は思った。

 こういうフェイクの世界も、悪くない。

 作られた美しさ。

「・・・・・・・・」

 

 これは、禁断の美だ。

 

 白いレースの上に座る人形の髪を整えながら、竜之介は作られた美に感嘆した。

 

 その日の帰宅も、十二時近くだった。

 そのくらいの時間になると、誠司は寝ている。けっこう彼は早寝早起きだ。
怠惰な竜之介とは違う。

 静かに部屋に入ると、居間の端っこにソファベッドを移動させ、誠司は寝息を立てていた。

「・・・・・・・」

 その寝顔を、竜之介はぼんやりと見つめることがよくある。
仕事で疲れてぼんやりしているのもあるが、
それは部屋の隅に置かれた人形やぬいぐるみを眺めるのと似ている。

 あまり意識せずに近寄り、跪いてそっとその髪に触れる。
なぜか無性に、その感触を確めたかった。

「・・・・・おかえり・・・なさい」

 誠司は片目を開け、眠たげにまた閉じた。

「人形・・・みたいな髪だな」

 竜之介が呟くと、誠司はのっそりと寝返りをうった。

「人形、だもの」

 本気なのか、冗談なのか。

 誠司は台所を指差した。夕飯が作ってあるというゼスチャーだ。
たいていいつも食事が作ってある。
外で食べてきて竜之介がそれに手をつけなかったとしても、誠司は何も文句は言わなかった。

 今夜の竜之介は空腹だった。そういえば、仕事の合間にカップラーメンを食べたきりだ。

 台所に立って、味噌汁のなべに火を点ける。

 火を点けたまま、またぼんやりと仕事のあれこれを考える。結局、この仕事が好きなのだな。

「・・・・味噌汁、煮立ってる!」

 突然背後から声がして、驚いて竜之介は飛退いた。

「煮立てちゃダメでしょう!」

 いや、ダメとか言われも・・・・。

 あたふたする竜之介に、なぜかすっかり目覚めた誠司が、
「もう座ってて」と身振りする。竜之介は何も言わず、素直にテーブルの前に座った。

 さっきまで熟睡していたとは思えないほどの手早さで、誠司が夕飯の支度をする。
ごく普通のご飯と味噌汁と、漬物と煮物。すぐに食べなくても、どうにでもなるものばかり。

「イタダキマス」

 正座をして、竜之介は手をあわせた。

 誠司の料理は、素朴だがなかなか美味しい。なんて家庭的なんだ。

 春雨の中華風サラダを手に取ったとき、竜之介はそれをじっと見つめた。

「・・・・・・・」

 春雨を箸で拾い、目の前に持ち上げる。

「春雨色の髪」

 突拍子もない竜之介の言葉に、誠司は目を見開いた。
それからぱしぱしとまばたきをして、至極真面目顔で、
サラダのキュウリを一枚拾って自分の髪の毛にくっつける。

「こんなかんじ? おいしそう?」

 夜の夜中に、大真面目な顔で二人の男が見つめ合う。

「食べていい?」

「美味しく食べてね」

 ぱし、と箸を置くと、竜之介は誠司にのしかかって頭に噛付く。

「いたい・いたい!」

 けらけらと笑って暴れる誠司に、竜之介もにやにやと笑った。

「竜さんて、ヘン」

 席に戻って、竜之介は再び箸を握った。

「人形が春雨サラダになった」

「竜さんはどっちが好きですか?」

「被写体としてならどちらも面白いが、手元にあって嬉しいのは春雨サラダだな」

 竜之介が言うと、誠司はまたきゅうりを額に貼り付けた。

「食っていい?」

 ねこじゃらしを前にした子猫のような表情。
目をきらきらさせる誠司に、竜之介は飛びついて額を舐めた。

 

 もしかして、こいつ、こういうスキンシップを求めている?

 

 スタジオでの、人形のような笑みとは違う。

 じゃれあう誠司には、存在感がある。

 温かみがある。

 竜之介を引き付ける魅力がある。

 

 竜之介は両手でぐしゃぐしゃに誠司の髪をかき混ぜてやった。

 

 

 

 竜之介と誠司の間には、見えない壁のようなものがある。

 ファインダー越しに誠司を見るとき、竜之介はそれを感じた。

 そこに存在している誠司は・・・・ガラス細工の人形のようだ。
雑誌に載っている誠司は、CGのキャラクターのようにも見える。

(考えすぎか)

 誠司の写真に、竜之介は溜息をついた。

 たまに一緒にいるとき、陳列棚の人形に触れるように誠司を触ってみる。
脱色した髪は、人形のようだ。

 そう思うと不思議で、竜之介は時々誠司にちょっかいを出した。

 ソファで誠司がテレビを見ているとき、
そっと後から近付いてその背もたれを突然倒してみたり、
誠司がシャワーを浴びている時、給湯の電源を切ってみたり。

「何するんですか!」

 笑いながら怒る誠司は、人間味があった。

 それが面白くて、暇を見つけては竜之介は誠司に悪戯をするようになった。

 誠司が髪の色を変えたときには、

「しょうゆラーメンが塩ラーメンになった」

 と、指差してやった。

「竜さんはどっちが好きですか?」

「いやもう、ラーメンはけっこう。ラーメン食べ歩き企画がやっと終ったばかりなんだ」

「じゃあ、食べてもらえないんだ」

 笑う誠司に、

「今度はそばにしてくれ」

 と、竜之介は舌を出した。

 

 

 

 竜之介は、不思議な男だ。

 誠司は思った。なんか、ヘンな大人。
生活はいい加減で、だらだらしていて、家にいるときは、
たいてい仕事部屋にこもっているか、ビールを飲んでいるか。
あまり干渉してこないので、気は楽なのだが。

 干渉といえば、おかしな悪戯をするくらい。

 ある雨の日、竜之介は窓を開けてずっと空を眺めていた。

「何見てるんっすか?」

 隣に立っても、竜之介は反応しない。
その視線の先を目で追ってみても、どんよりとした灰色の雲があるだけ。

「・・・・・竜さん?」

「雨」

 やがてぼそりと竜之介は呟いた。

「・・・・・キレイだなあ・・・・・」

 キレイ? 雨が?

 誠司には理解できない。

 でも・・・・・・

 雨を眺める竜之介の表情を見ていて、誠司は

(そんなふうに見つめられてみたい)

 と、思った。

 変り者のこの人に、そんなふうに好かれてみたい。