普段の感覚が外へ外へと向いているのだとしたら、その行為は己を内面へと導く。

 人は、五感を働かせて外界の情報を取り入れ、己のものにしていく。

 だがその行為だけは、自分の内面を掘り下げ、
皮膚ではなく体内から感覚が湧き上がり、自我と対面することになる。

 それは、内から来るものなのだ。

 肌触りのよいカシミアに触れたときのような心地よさを、体内が感じる。

 人の内世界とは、こんなにも感受性豊かなものなのか。

 感じようとすればするほど、その感覚は広がっていって、全身を支配する。

 つまり、これが

「心」

 なのだ。

 

 名だたる名家に生まれ、それこそ幼い頃は使用人が何人もいて、
「お坊ちゃま」と呼ばれ、かしずかれていた。
しかし実際は、父は負債を抱え、屋敷の美術品を売り、
そして、両親の仲は冷え切っていた。

 大きな屋敷も、使用人も、財産さえ、自分のものではないと気付いていた。

 自分のものは、何一つない。両親から注がれるはずの「愛情」でさえ。

 母は、幼い息子の手を引いて屋敷を出た。

 そして、父の自殺。

 事故と発表されていたが、後に自殺であったことを知った。

 夫の死の知らせに、彼女は車を走らせた。相続すべき「屋敷」に戻るため。

 途中下車の許されないアウトバーンを走りながら、彼女は呟いた。

「あそこは嫌い。ベルリンは嫌い。
どこもかしこも壁に囲まれたあの街は、息が詰まる」

 その言葉の直後、車は横転し、そこで自分の記憶は途絶えた。

 彼女が嫌っていたのは、ベルリンの街じゃない。あの「屋敷」だった。

 名家という壁に囲われた屋敷を、一族を、彼女は嫌っていたのだ。

 事故として処分されたが、母は死にたかったのだと、
息子を道連れに死にたかったのだと、気付いていた。

 壁に囲まれていたのは、この街じゃない。

 自分自身なのだ。

 

 孤独。

 

 孤独とは、何を意味する言葉なのだろう。

 何も持たないということか。

 何にも愛されないということか。

 何も愛さないということか。

 そもそも、「愛」とは、何なのだろう。

 守るべきもの、執着すべきものが、何もない。

 なのに、生きている。

 生きるとは、どういう意味があるのだろう。

 なすべきことを強要され、その中で息をしている。

 それだけのこと。

 自分の内面と向き合うことなどない。

 そもそも、「自分」というものを持っているのかさえ不確実だ。

 セックスの経験は、早い方だった。自慰を覚える前に、女を知った。

 それに、何の意味がある?

 出された食事を、口に入れただけ。

 すべてが、無味無臭。

 灰色の世界。

 

 世界を知ったのは、あの時だった。

 忘れもしない。

 明るい春の日の太陽を思わせる金色の髪をした少年。
新緑のような鮮やかな緑色の瞳をした少年が、
腕を掴んだあの日、あの瞬間。

 世界が色を得た。

 そして、その幼い少年を抱いたとき、初めて自分の内面と向き合った。

 自分でも驚くほどの、情熱。

 自分を突き動かすもの。

 それ以来、あの少年は「自分のもの」となった。それは、自分自身。

 心。

 貪るように、少年を求めた。

 失った自分を、求めるように。

 自分が、自分自身であり続けるために。

 

 

 

 テーブルランプのほのかな明かりの中、
スコルピオンは組み敷いたヘルガのシャツのボタンを外した。

「痩せたな」

 胸に指を走らせながら、そう呟く。

 小柄な少年だった。
それでも、スコルピオンが鍛えたおかげで筋肉はついていた。
スコルピオンは、自分自身を育てるように、ヘルガを育て上げた。
自分の思い通りに。

 肉体的にも精神的にも疲れきっているヘルガは、
何も応えず、ただスコルピオンを見上げている。

 唇から頬、首筋、鎖骨の辺りから胸へと舌を這わせる。
胸の突起を舌で刺激すると、ヘルガは目を閉じてわずかな喘ぎを零した。

 ヘルガが感じる場所は、すべて知っている。
もう何年も抱いていないのに、体が覚えている記憶は消えない。

 飢えた獣のように、彼を求める。

 否、実際スコルピオンは飢えていた。乾いていた。

 誰も飢えたスコルピオンを慰めることはできない。
その場しのぎの誤魔化しはあったとしても。

 これを求めていた。

 ヘルガの身体を、肉体を、精神の内世界を。

 どんなに誤魔化そうとしても、それは無駄な徒労にすぎなかった。 
結局は、誰も何も、スコルピオンを満たしてくれることはなかった。

 あの、ピアニストの少女の、直向な愛情でさえ。

 

 巡り巡って、ここに還る。

 

 ここにしか、安らぎはない。

 

「入れるぞ」

 耳元で囁いてみる。返答を望んではいない。それは、質問ではない。

 ヘルガは、目を閉じたまま頷いた。

 

 ここに、還る。

 

 あたたかな、母親の胎内に還るように。

 

 初めてしたときのように、ヘルガのそこは硬く閉じていた。
清純な肉体は、離れている何年もの間、その操を守り続けていた。

 そこに入るべき相手は、スコルピオン、ただ一人なのだと。

 もう一度、「初めて」を繰り返す。

 激しく起立した欲望は、容赦をしない。

 これは、自分のものなのだ。

 自分だけの「もの」。

 どんな罪を犯そうと、それが許されざる関係であろうと。

 たとえ、何を失おうと、誰を傷つけようと。

 ヘルガの胎内に戻れるなら、どんな罰も喜んで受けよう。

 涙を浮かべ、歯を食いしばるヘルガの唇に触れながら、「痛いか」と問う。
それは、質問。ヘルガは、素直に頷く。
答えを得たからといって、やめる気は毛頭ない。
さらに激しくヘルガを攻め立てる。ヘルガはスコルピオンの背に爪を立てた。

 甘美な痛みを味わいながら、唇を重ね、舌を吸い、唾液を舐め取る。

(愛してる)

 お前だけを。

(愛してる)

 押さえ続けてきた欲望は、呆気ないほど簡単に、ヘルガの中で果ててしまう。
初めてしたときもそうであった。まるで、初めてセックスを知った子供のようだ。
快楽に逆らえない。

 スコルピオンが動きを止めると、ヘルガはうっすらと瞳を開けた。

「まだ、抜かないで」

 少年の表情でそう呟く。

「ボクも、イきたい」

 甘えた口調。

 ヘルガが自分を「ボク」と呼ぶとき、
それは無意識に甘えられる対象を求めているときだ。
スコルピオンにだけ見せる、無防備な「心」。

「オレも、まだ足りない」

 お互いを求め合っていた子供の頃のように、
スコルピオンはヘルガを抱きすくめ、またゆっくりと動き出す。

 今度は、時間をかけて体内を弄る。深く。深く。
ヘルガの胸を弄り、唇で吸い、波を呼び起こす。

 痛みはやがて快楽へと変わる。

 ああ、そう。初めてしたときも、そうだった。

 スコルピオンの早急な欲望と違い、
ヘルガのそれは、ゆっくりとした波のうねりのようなものだ。
時間をかけて攻めてやると、いつしかヘルガは波に溺れ、
自分から求めてくるようになる。

 繋がったまま体位を変え、
ヘルガはスコルピオンの上に乗ってゆっくりと腰を動かし始めた。

 長い金髪を揺らし、額にうっすらと汗をかき、
目を閉じ、唇を開いて喘ぎ声を出す。

 時折、スコルピオンは自分の欲望を示すように下からヘルガを突き上げる。
すると、ヘルガは短い悲鳴を上げて仰け反った。

「あ、・・・・もう、だめ」

「イきたいか?」

「で・・・ちゃう」

 スコルピオンの腕に支えられ、ヘルガは激しく揺さぶられ、
そして、長く溜めていたものを吐き出した。

「・・・・・は・・・あ・・・」

 ため息のように声を漏らし、そのままスコルピオンの胸に倒れこむ。

 スコルピオンも、同時に己をヘルガの中に放っていた。

 力なく胸の上に横たわるヘルガの髪を撫でながら、スコルピオンは

(愛している)

 と繰り返した。

 スコルピオンに抱かれながら、ヘルガはもううつらうつらしている。

「まだだ」

 無理矢理ヘルガの顔を上向かせると、ヘルガは眠たげな目を開けた。

「・・・・スコルピオン・・・?」

「6年分、溜まってる」

 ヘルガの応えを待たずに、身体の位置を入れ替える。
ぐったりとしたヘルガをうつぶせたまま、今度は後ろから挿入する。
ヘルガは身を強張らせるが、抵抗する意思は見せない。
それどころか、起き上がる気力さえないようだ。

 強制的に腰を浮かせ、激しく攻め立てると、ヘルガは苦しそうに喘いだ。

 力の入らないヘルガを無理矢理繋ぎ止めるように、
後ろからヘルガの「そこ」を握り、「欲」を搾り出す。
力なく喘ぎながら、ヘルガは二度目の快楽を放った。
そして、そのまま意識を手放す。

 気を失ったのか、眠ってしまったのか、
目を閉じたままのヘルガは動かない。
それでも、意識のないヘルガの身体を、スコルピオンは求め続けた。

 初めてしたとき、失神したヘルガを犯し続けたように。

 これは、自分のもの、なのだ。

 心も肉体も、

「俺のもの」

 自分だけのもの。

 気を失ったヘルガを犯しながら、スコルピオンは泣いている自分に気がついた。

「俺のものだ、ヘルガ。もう絶対に、手放さない」

 ヘルガの中に欲望の印をいやというほど刻み付け、涙を流しながら抱きすくめる。

「すまない」

 悪かった。ごめん。

 お前を傷つけたこと、これからも傷つけるだろうこと、

 

 愛せなかった彼女のこと。

 

 お前を失ったら、生きていけない。

 お前だけいれば、生きていける。

 

 やつれ疲れ、青ざめたヘルガをかき抱きながら、
スコルピオンは、自分の激しすぎる愛情を切に感じた。
そして、どんな仕打ちをされようと、まだ愛してくれるヘルガの情の深さを。

「ありがとう」

 愛してくれて。

 

 俺を、生かしてくれて。

 

 ありがとう。

 

 お前は、俺の心。

 俺の命。