かつて、英雄と呼ばれた少年たちがいた。 西ドイツを統べたJr,ボクシング集団。 トップに立つは英雄スコルピオン。 ナンバー2であり、天才参謀であったヘルガ。 そして、二人の意思を忠実に実現させた三巨頭、ヒムラー、ゲーリング、ゲッペルス。 その彼らも、たった1度の世界大会の後、ぷっつりと消息を絶った。 そして、人々から忘れ去られることとなる。 「やっぱり夏は、よく冷えたビールに限るな」 「ビールよりワインの方がご婦人方にはウケる」 「どちらでもよいが、あんまり飲みすぎるなよ」 真夏の夜のバー。酒を酌み交わす中年の男3人組に注目する者などいない。 彼らが、かつて西ドイツJr.ボクシング界の三巨頭と呼ばれていたなど、 覚えているものなどほとんどいない。 「妻子もちのクセに、その女グセの悪さ、問題だぞ」 「モテないダンナより、モテるダンナの方が女房も鼻が高いのさ」 ジョッキを片手に口論するは、ヒムラーとゲーリング。 この二人、顔をあわせれば口論ばかりしている。 なのにしょっちゅう一緒に飲んでいるのだから、男友達というのは不思議なものである。 「ナニが楽しくて、むさい男三人で飲まなきゃいけないのか」 ゲーリングがわざとらしいため息をつく。 「だったら帰れ帰れ!」 ヒムラーもシッシと手を振って見せる。 「あ、ウインナーもう一皿お願いします」 我関せずのゲッペルスは、もくもくと食べている。 そこに登場の4人目の男。 「遅いぞ、スコルピオン。もうみんな食っちまった。ゲッペルスが」 テーブルには空の皿が並んでいる。 「忙しいんだよ、こう見えても」 苦笑いしながらスコルピオンは空いている席に着いた。 「議員さんよ、この金利の悪さ、何とかならないかね?」 ゲーリングは銀行屋である。 「ドイツ経済の不況は、俺一人の力じゃなんともならないからな」 「かつての英雄も、今じゃ政治屋の下っ端だからな」 ニヤニヤしながらヒムラーが言う。この男も実業家である。 「ホラ、追加の料理が来たぞ」 ウエイトレスが運んできた皿を、ゲッペルスはスコルピオンに差し出した。 経済界をひた走り、地位と金を欲しい侭にする二人とは違い、 ゲッペルスは技術屋家業。 昔から犬猿の二人をつなぎとめてきたありがたい男である。 スコルピオンといえば、忘れてはならないのがその相棒。 片時も離れた事がない人物がいる。今も昔も。 「ヘルガは来るんじゃなかったのか?」 スコルピオンの前に皿やらフォークやらを並べながら、ゲッペルスが何気なく問う。 「あいつも忙しいからなぁ」 奥さんにかまってもらえない旦那さながらに、スコルピオンは肩を落した。 「最近、かまってもらっていないのか?」 ゲッペルスはスコルピオンの前にビールのジョッキも置く。 世話焼きな性格である。 「離婚だ離婚! ふがいない三流議員より、俺の方が金もあるしな。 女房を働かせたりなどしないぞ」 ニヤニヤのゲーリング。 「そういうところが、昔からお前は頭が足りないんだ。税金対策だぞ?」 「おっと、議員、こんなところに悪徳業者がいますぜ」 冷徹なヒムラーを、ゲーリングが指差し笑う。 「失礼だな。俺は法に触れるようなことはしていない」 「叩けば埃が出るくせに」 なにおう?! と、顔を歪ませるヒムラー。 まあまあ、とゲッペルスが割って入る。 「ゲーリング、俺は昔から貴様のその奔放ぶりが気に食わないんだ。 言いたい放題言いやがって! 貴様がどれほどのものなんだ?!」 「実力じゃあ、俺の方が上だな。勝負するか?」 いったい何の勝負なんだか。 スコルピオンはがっくり肩を落しながらビールを口にする。 「ゲッペルス、止めろ」 とりあえず隣の男に言ってみる。 腕を組んだゲッペルスは、二人のやり取りを眺めながら、首を横に振った。 「まあ、しばらく言い合っていれば収まる。昔からこうなんだ」 いや、それはわかっているが。 多忙でお疲れのスコルピオンは、 今日はいつもの口喧嘩を傍観している気にはなれない。 頭を抱えていると、一瞬バーの入り口がざわめいて、 スコルピオンとゲッペルスはそちらに眼を向けた。 「遅かったな」(ゲッペルス) 「早かったな」(スコルピオン) 二人同時に口を開くと、ヘルガはそれを上手に聞き分けていて、 にっこりと笑って両手のひらをあげた。 「このところ難しい手術が重なりましてね。 学会の資料も手付かずなので、今日は早めに切り上げてきました」 ヘルガは、華がある。一般大衆に埋もれてしまうかつてのJr.の中で、 唯一目立つ存在である。ルックスやスタイルだけではなく、その才能と雰囲気で。 これで、ここにいる中年男の集団と同じ年齢とは、とても思えない。 さらに、実は子持ちなのだから、これはもう魔女の領域である。 ヘルガは、普通の人とは違うのだ。 「それで、ずいぶん盛り上がっているみたいですね」 まだ喧々囂々やっているヒムラーとゲーリングの方をちらりと見る。 スコルピオンは、はぁ…とため息をついた。 「止めてくれないか、ヘルガ」 「いやですよ、面倒ですし」 即答。 ヘルガもゲッペルス同様、これが二人の友情表現なのだと知っている。 「いいから、やめさせてくれ」 うんざりしたようにスコルピオンが手のひらをヒラヒラと振る。 「…仕方ありませんね」 結局はスコルピオンに逆らわないのが、ヘルガである。今も昔も。 ヘルガは二人の男の間に入り、ゲーリングには背を向け、ヒムラーに向き合った。 突然乱入してきたヘルガに、あからさまにヒムラーは嫌悪の表情をする。 ゲーリングは、といえば、愛しのヘルガ嬢の登場に、 うっとりと髪に鼻先を近づけたりする。 「何を勝負したって、決着などつきませんよ? もう20年もやっているのですから。そろそろ諦めたらどうです?」 「はあ? だから何だって言うんだ? だいたいなあ、俺はあんたのその上から目線が気に食わないんだよ。 エラそうにしやがって。天才だかなんだか知らないが、 ちやほやされていい気になってるんじゃねぇぞ」 あ、ヒムラー、そうとう出来上がってる。 スコルピオンがそう気付いたときには、時すでに遅かった。 「俺はなあ、 あんたのその『私は偉いんです、特別なんです』 みたいな態度が大っ嫌いなんだよ!」 「・・・・・・・・・・」 ヒクリ、とヘルガの頬が引きつる。 「なあ、スコルピオン。 ヘルガ嬢ちゃん、そうとう疲れているんじゃないのか?」 さすがのゲッペルスも、眉を寄せてスコルピオンを突付く。 スコルピオンの顔も引きつっている。 「…この1週間、夜勤と救急外来、それに通常の外科手術の行ったり来たりでな。 さらに、来月の学会の発表もあって、 そのレポートを作成する暇がないって言っていたな。 おかげで俺は、一週間一人寝を強いられたんだ」 「最後は余計だから」 ゲッペルスはさりげなく釘を刺した。 「最後が重要なんだよ」 「…スコルピオン、あんたがもうちょっと我慢すれば、 嬢ちゃんも楽になるんじゃないのか?」 いや、確かに。 それはともかく。 にこやかに平静を保っていたヘルガの額に、不気味な縦線が表れる。 「ええ、そうですよ、ヒムラー。私は偉いんです。 特別なんです。私の平均睡眠時間をご存知ですか? 3時間ですよ、3時間。 しかも、夜勤明けでへとへとになって帰ってきても、 スコルピオンが寝かせてくれないし」 いや、そういうことは公言しなくていいから。 スコルピオンは口をパクパクさせた。 「私は天才なんです。ちやほやされて当然なんです。 そのために、私は私の人生を投げ打っているのですからね。 ええ、そうですよ。 物心ついたときから、 当然子供が与えられる親の愛情なんて与えられたことはないし。 おおよそ遊びと呼ばれる遊びなんかしたことがありません。 すべての時間を勉強に費やしてきたんです。 天才とは、1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力だと名言がありますが、 そのとおりです。私は他の人よりちょっと記憶力がよかっただけなのに、 あとの99パーセントの努力を強いられ、天才と呼ばれるまでになったんです。 スコルピオンの下で血を吐くほどボクシングの訓練もしました。 その上で勉強の方も手を抜くことを許されず。 ボクシングの実力を保ちながら、事務処理も全部やっていましたしね。 今だってそうです。 ちょっと記憶力がよくて、ちょっと手先が器用なだけなのに。 天才だからどんな難しい手術も任せられる、どんなハードな勤務もこなせる。 手術の予約は2年先までいっぱい。その合間を縫って学会だのなんの。 どんなに精巧なロボットだってメンテナンスは必要だってのに。 いつも笑っていなくちゃいけない、失敗は許されない。 これで息子を放任主義だって批判までされちゃうんですから。 息子をかまう時間を与えて欲しいものですよ。 今だって本当は、少しでも寝たいのに。 私はね、『天才』という称号を努力で得てきているんです。 そんなにうらやましかったら、喜んで代わってあげますよ。 私と同じだけの努力ができるならね」 さっきまで酔っ払っていたヒムラーは、 すっかり酔いが覚めてただただ呆然としている。 正直、言い返されると思っていなかったから。 今までは、そんな悪態も微笑んで受け流されてきたから。 「……いや…悪かった」 「わかればいいんです。わかれば」 「ハニー、あんまり怒ると、肌によくない」 ヘルガの後ろ髪を指に絡め、そっと口づけするゲーリングから、 スコルピオンは慌ててヘルガを奪い返した。 鼻息を荒げるヘルガをぎゅっと抱きしめ、それから腕を緩めて髪を撫でる。 「俺は、そんなお前を愛している」 砂糖菓子のシロップ漬けを吐くようなスコルピオンの言葉に、 文字通り三巨頭は胸焼けを感じた。 「今すぐ全身でお前を愛したい」 「ダメですよ。何を言っているんですか、こんな所で」 「ヘルガ、お前を俺だけのものにしたい。 お前が何にも煩わされないように。俺はお前になにができる? 俺の全てをかけて、お前を守ろう」 「…スコルピオン」 「言ってくれ。どうすれば俺だけを見てくれるか。 お前を煩わすものは、すべて俺が切り捨ててやる」 ふ、と力を抜いたヘルガは、ふるふると首を横に振った。 「……すみません、スコルピオン。八つ当たりをしました。 もう大丈夫です」 もう一度ヘルガを抱きしめ、呆れ顔で注目している三人に、 スコルピオンはそっとウインクをして見せた。 「帰ろう」 「いいんですか、せっかく…」 「疲れているお前を、放って置けるわけがないだろう」 ヘルガを腕の中に絡めとったまま、スコルピオンはバーを出て行った。 で、残された三巨頭。 改めて座りなおし、ビールを注文しなおす。 「どこかのスポーツ選手が言ってたな。 努力を続けることができることが天才なんだと」 ゲッペルスが呟く。 「だから俺は、ヘルガが大嫌いなんだ」 「ん?」 ビールを傾けながらゲーリングが先を促す。 「どう転んでひっくり返ったって、あいつには勝てない」 ふふふ、とゲーリングが笑う。 「健気で可憐じゃないか。俺は愛しくて仕方がないね」 「ヘルガは繊細なガラス細工じゃないぞ? あいつは鋼鉄でできている。 しかも、あいつを抱擁できるのはスコルピオンだけだ」 ゲッペルスはそう言って、にやりと笑う。 「そこがいいんじゃないか。 絶対に手に入らない『鋼鉄の処女(アイアンメイデン)』。 いつかこの手に抱きしめたいものだ」 「お前、死ぬぞ?」 「ってか、スコルピオンに殺される」 ゲッペルスとヒムラーに指摘され、ゲーリングはまた楽しそうに鼻で笑った。 「変わる事のない、俺たちの総統閣下と、天才参謀殿に乾杯」 三人はジョッキを合わせた。 そうして、ベルリンの夜は更けていく。 おまけ 服を脱ぎかけたままベッドで爆睡するヘルガに、 スコルピオンはどんよりと肩を落した。 「また今夜もお預けかよ……」