連邦中央病院に、ギリシャから緊急輸送されてきた患者が到着する。
病院の前で待機していたスタッフたちが、救急車を取り囲む。
患者と一緒に降りてきた青年もまた、頭に包帯を巻いていた。

 緊迫したスタッフたちの中に、一人、冷静な男がいる。
外科医で、この患者の担当だ。
目視で患者の状態を確認し、患者と一緒に降りてきた青年から、
向こうでのカルテを受け取る。

「すぐ手術を開始します。麻酔医は待機していますね?」

「はい、ドクター・ヘルガ」

 外科医はカルテを看護士に手渡した。

「準備を始めてください。すぐに行きます」

 カルテを受け取った看護士が、患者のベッドと一緒に病院の中に吸い込まれていく。
外科医は青ざめた青年と向き合った。

「ジョルジュ」

 名前を呼ばれ、青年の瞳から涙が溢れだす。

「・・・お父さん・・・ザナドゥが・・・ザナドゥが!!」

 それ以上言葉が続かず、父の白衣に顔を埋める。
ヘルガは、息子を優しく抱擁した。

「ここまで、我慢してきたのですね。偉かったですよ。
もう大丈夫。ドイツの医療技術は世界一です。
それに、世界一の外科医がついているのですから」

 泣き濡れた顔で、ジョルジュは父を見上げて、ちょっと口元をゆがめた。

「自分で、言う?」

「私は、世界一の外科医ですよ」

 ヘルガは微笑んで見せた。そして、そっとジョルジュの体を押し戻した。

「安心して、待っていてください。スコルピオンと一緒にね」

 ジョルジュは、すぐ隣にスコルピオンが立っていることに、初めて気がついた。

「・・・おじさん」

 スコルピオンは、笑みを見せようとしたのだろうが、
ヘルガのように上手にそれを作ることができず、
唇を引きつらせるようにしか見えなかった。

「ジョルジュを、お願いします」

 くるりと踵を返すと、ヘルガは病院内へ走っていった。

 

 

 

 手術が始まって、最初の何時間かは手術室の前でおろおろと過ごした。
が、病院のスタッフに勧められ、ジョルジュとスコルピオンは、
専用の待合室へと席を移した。

 こんな事になってしまった経緯を、
ジョルジュはスコルピオンに話さなければならないと、何度も脳裏をよぎる。
だがそのたび、ジョルジュは言葉を失い、ため息を漏らす。
スコルピオンは、腕を組んで一点を凝視したまま、動かない。

「・・・・・・おじさん・・・」

 思い切って名前を呼んでみると、スコルピオンは振り向き、目を細めて吐息をついた。

「何か、飲むか」

 不安なのだ。言葉に出せぬほど。

 ザナドゥは、父親を憎んでいた。
スコルピオンもまた、息子に対していつも態度は冷たかった。

「・・・大丈夫だ、ジョルジュ。私の息子は、簡単にはくたばらない。
まだ決着もつけていないしな。それに、天才ヘルガがついているのだ」

 天才。

 実の父親が「天才」だともてはやされる事は、
正直、ジョルジュは好いてはいなかった。
それは、周囲が父を「人間」として見ていないようで。

 だが今は、その「天才」という言葉にすがりたい。

 父が、人間離れした「天才」であると、信じたかった。

 

 

 

 十数時間にも及ぶ手術が終わり、看護士が「終った」ことを告げに訪れ、
次に助手をしていた医師が「成功しました」と告げに訪れ、
少し遅れてヘルガが待合室に入ってきた。

「もう大丈夫ですよ。しばらく安静は続きますけどね。
脳の腫れが収まれば、意識も戻るでしょう」

 声色は少し疲れているが、しっかりとした口調で、ヘルガはそう言った。

「今、ICUの方に運んでいます。ジョルジュ、会いたいでしょう? 
本来なら面会謝絶ですが、医療スタッフとしてなら特別に許可します。
臨時スタッフの申請を口頭でしておきましたので、
医局のドクター・カーターに証明書を貰ってください」

 ジョルジュの表情が、ぱっと輝く。ヘルガはにっこりと微笑んで見せた。
ジョルジュは急いで待合室を出て行った。

 ジョルジュを見送った後、ふとヘルガの笑みが消える。
スコルピオンはヘルガの肩を抱き、
足元もおぼつかないほど疲れきっているヘルガを椅子に座らせた。

 ジョルジュは知らない。
この緊急手術のために、
ヘルガは予定に入っていた手術を全て前倒しにこなしてきた。
この時間を空けるために。

「大丈夫か?」

 こくり、とヘルガは頷き、スコルピオンの肩に頭を乗せる。

「で、実際はどうなのだ?」

 ヘルガは、疲れて乾いた唇をなめた。しばしの沈黙。

「命は、別状ありません。しかし、意識が戻る確立は、八割・・・七割・・・」

 声がしぼんでいく。

「アテネの病院では、命が助かる確率が五割、
意識が戻る確立は一割以下、と、診断されたのだろう」

 ヘルガは、肯定の代わりにため息をつく。

「感謝している、ヘルガ。息子の命を救ってくれて」

 ゆるゆるとヘルガは首を横に振り、重たい頭を持ち上げた。
疲れきった表情のヘルガに、スコルピオンはキスをする。

「患者の容態を見てきます」

 立ち上がろうとするヘルガの腕を、スコルピオンが掴む。

「もう少し、休んだ方がいい」

「大丈夫です、スコルピオン」

 そう言って、ヘルガは微笑んで見せた。

「私は天才外科医ですから」

 自らの人間性を否定するように、ヘルガは言って、スコルピオンの腕を振り解いた。

「お前は人間だ。疲労も苦痛も蓄積する」

「いいえ、スコルピオン。
今ここでザナドゥを助けられなかったら、私は私の存在意義を失います。
私が人間に戻るのは、ザナドゥの意識が回復してからです」

 そんな風に自分の人間性を否定するヘルガを、スコルピオンは悲しく思う。
そして同時に、そんなヘルガを擁護できるのは、自分だけなのだと。

「・・・わかった。だが忘れるな。私はお前の全てを愛している。
たとえ何があっても、その愛が薄れる事はない。他の何を失っても」

 口元に微笑を残したまま、ヘルガはそっと頷いた。

 

 

 

 ザナドゥは、夢を見ていた。

 それが夢なのだと、自分でもわかっていた。

 咲き誇る、色とりどりの花々。頬を撫でる暖かな風。そして、ピアノの音。

(母さん)

 そっと、その名を口にする。

 花の妖精のように、その女性はたたずんでいる。

(・・・母さん、オレは、まだそこに行けない)

(わかっているわ、ザナドゥ。愛しい子)

 ふわりと風が吹いて、花びらを舞い上げる。

(ザナドゥ、お帰りなさい。あなたの、帰るべき場所へ。
あなたを待っている人のところへ)

 

 

 

 白い光。

 瞼を透かして、柔らかな光が差し込んでくる。

 ザナドゥはゆっくりと瞼を動かした。

 白い光。

 消毒液の独特のにおい。単調な機械音。

 濃い酸素が、肺に流れ込んでくる。

 呼吸を意識すると、とたんに体が重く感じられた。

「・・・・気が、ついたか」

 覗きこんでくる男の顔を、ザナドゥはしばらく凝視した。
その男の顔を、よく知っている。

(お・・・父さん)

 唇が動く。スコルピオンは、ザナドゥの言葉を聞けるように、
かぶせてあった酸素マスクを少しずらした。

「・・・・ジョルジュ、は?」

「そこのソファーで寝ている。ずっと付きっ切りだったからな。
少し休ませた。ジョルジュは無事だ。心配する事はない。今起こそう」

 離れていこうとする男の腕に、ザナドゥはそっと触れた。
男の動きが止まり、また顔を近づけてくる。

「オレ・・・・あんたに・・・話したいこと・・・
話さなければ・・・ならないことが、ある」

 スコルピオンは、目を細めて笑い、ザナドゥの手を取ってベッドの脇に置いた。

「話なら、あとでたっぷり聞こう。時間なら、いくらでもある。
それより今は、ジョルジュにお前の声を聞かせてやれ」

 ナースコールを押しながら、
スコルピオンはソファーで眠っているジョルジュに声をかける。
ジョルジュは飛び起き、ザナドゥのベッドに走りよってきた。

「ザナドゥ! ザナドゥ!!」

 喜びに顔をくしゃくしゃにして、涙を零す。
ザナドゥは重たい腕を持ち上げて、ジョルジュの頬に触れる。
ジョルジュはその手を握って、まともな言葉も出せないまま、涙を零し続けた。

 ナースコールで飛んできた看護士が、驚いてまた出て行く。

「ドクター・ヘルガ! ドクター!! 患者の意識が!!」

 そんな騒々しい看護士に、スコルピオンが苦笑いをする。
そしてすぐに、白衣姿のヘルガが飛んできた。

「すぐに検査をしますから、二人は下がってください」

 医者らしいてきぱきした動作。

「手伝います」

 涙を拭きながら、ジョルジュが言う。ヘルガは少し肩をすくめた。

 看護士が検査道具を取りに行っている間、ヘルガはザナドゥを覗き込んだ。

「・・・ヘルガ」

 ザナドゥが名前を呼ぶと、ヘルガはにっこりと微笑んだ。

「お帰りなさい。ザナドゥ」